1999年8月13日
脳死移植報道最新情報 浅野健一
厚生省は7月29日開かれた第20回公衆衛生審議会臓器移植専門委員会(委員長・黒川清東海大学医学部長)で、脳死移植が適切に行われたかどうかを公正な立場から検証する第三者機関設置を提案した。メンバーは10人前後で、審議は非公開が原則で検証結果は公表するという内容だった。私は「検証機関の運営主体が行政当局では意味がなく、脳死移植に関係する医学会、日本弁護士連合会、市民団体などが運営委員会を設置して構成メンバーの設定や活動の責任を負うべきだ。その際、専門家も含めてメンバーが市民の感覚で監視すべきだ」と主張した。これに対し、医療関係の委員は「日弁連などが中立的かなどの議論が出て収拾がつかなくなる」「日本には本当の意味での市民はいないので、無理だ」と反論。板倉宏委員(日大教授)も「厚生省案に賛成」と述べた。
7月29日夕刊各紙は、この日の審議を3、4段で伝えた。驚くべきことに、朝日新聞だけに記事が全くなかった。産経新聞は《構成員の選出などをめぐって議論が分かれ、結論は来月12日の次回審議に持ち越された。(中略)この日の審議では「構成員に日弁連や市民グループなど医療以外の分野の人を多く入れるべき」「審議の経過が大切なのだから、リアルタイムでなくても経過について情報公開を」といった意見が一部の委員から出された》と詳しく報道。また、読売新聞は「構成メンバーや設立時期については今後、詰める」「第三者機関の事務局は当面厚生省に置くが、将来的には行政から独立した機関にするのが望ましいとの意見も出た」と審議内容を報じた。
ただし、両社の記事には不正確な点がある。私はメンバー構成に異議を唱えたわけでも、「将来の問題」として論じたわけでもなく、「機関の責任主体を行政とは無関係な団体、個人にすべきであり、厚生省案では、現在の委員会内部にある検証作業班のメンバーを拡大しただけになる」と強調したのだ。
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七月三○日、専門委員会委員で名古屋大学医学部の大島伸一教授からメールが届いた。
《7月29日専門委員会は、新鮮で楽しい議論でした。いまだに考え続けています。私は移植医療を業にする人間でこれを健全な形で推進することを願っている立場です。
今の移植医量を考える枠組みは法で制定されたもので、法は国民の総意で決められ、その法を遵守することについては合意の得られることだと考えています。ここが公益性の出発点であり、この公益性を推進していくのが国の役割、責任と考えています。
厚生省はこの責務をよく果たしているというのが私の実感です。専門委員会の人選にしてもこれを全公開で行うこと、内での議論の自由さについても今までにはない画期的なことだと考えてきました。権限・役割と義務・責任は当然のことながら表裏一体で、決めたことについての責任は決めた主体にあります。役人社会のみならず大学にもあたり前のように責任の分散とその所在の不明がありますが、これがボケるようでは本当に困ります。
私は第三者機関の設置ということに関して全面的に納得しているわけではありません。本来なら医学的なことに関しては、医療を担当するものが、あっせんに関してはNetworkが、手続きのことに関しては役人が、それぞれの業務責任で内部で行うべきと考えています。これはプロの権威と地位を自らが守ることです。馴れ合いかばい合いが当たり前と考えられている世の風潮のなかでこんな考えが通る訳もないこともよくわかっているつもりですが、検証機関を増やすことで本当に解決することだろうかという疑問が抜けきれません。
人選の問題についてですが、移植医療の今の枠組みが充分に理解したうえで、移植医療の健全な発展という目的のために公益性、公平性を国民が納得して担保でき責任をとるという団体があれば、先生の御提案で良いと思います。このような意味ですでに国民に納得されている団体が私の頭の中に思い浮かばないこともそうですが、このような議論をはじめると日本での公益性はどうのように保証されるべきかという広い話につながり、おさまりがつかなくなるのではないかという気がしますがいかがでしょうか。
勝手に思いついたことを述べさせていただきました。
創、拝受、ありがとうございました。先生の一貫した考え方がよく理解できます。
七月三○日のメールありがとうございました。
大島先生のお考えはよく分かります。「今の移植医量を考える枠組みは法で制定されたもので、法は国民の総意で決められ、その法を遵守することについては合意の得られることだと考えています。ここが公益性の出発点であり、この公益性を推進していくのが国の役割、責任と考えています」ということはその通りだと思います。
厚生省、専門委員会もよく開かれており、委員会の席でも言いましたが、私も画期的なものだと思っています。
「本来なら医学的なことに関しては、医療を担当するものが、あっせんに関してはNetworkが、手続きのことに関しては役人が、それぞれの業務責任で内部で行うべきと考えています。これはプロの権威と地位を自らが守ることです」というのもよく分かります。ジャーナリズム機関がこれを怠っているといつも思っています。
先生は「人選の問題についてですが、移植医療の今の枠組みが充分に理解したうえで、移植医療の健全な発展という目的のために公益性、公平性を国民が納得して担保でき責任をとるという団体があれば、先生の御提案で良いと思います」と言われています。
確かにベストな集団はありませんが、多くの人が納得できる団体、個人はあるのではないでしょうか。日弁連会長はその有力候補だと思います。
私は北欧にある社会システムとしてのオンブズマンを高く評価しています。法の順守、プロ意識の徹底が社会の隅々までいきわたっています。その上で、法律をよくするため(次の国会で改正する)ためにいつもチェックする。法の建て前は公正、平等でも、実際は弱者、少数者が損をすることも少なくない、プロの中にいい加減なことをする人もいる。権力を持つとそれを濫用する人もいる。そこで三権とは別に、税金でオンブズマンを置くという考え方です。
日本の「市民オンブズマン」(左翼系の人が多い)とは全然違います。
詳しくは潮見健三郎氏の『オンブズマンとは何か』(講談社)をぜひお読みください。
私は99年5月29日に厚生省臓器対策室の朝浦室長へ、「脳死判定等にかかわる医学的評価に関する作業班報告書」に関する私の疑問、意見をファクスで送った際、次のように指摘していました。
《3 検証作業のためのオンブズマン制度の必要性
柳田邦男参考人が提唱したように、マスメディアのリアルタイム取材・報道を抑制してもらうためにも、検証組織を充実させることが不可欠である。柳田氏は検証機関について、「生命倫理研究者、法律家、臨床心理家、終末期医療専門家、及び専門ナース、喪失体験者(一般市民)、メディア論専門家、救急医、集中治療医、脳神経外科医、心臓外科医、肝臓外科医などによって構成される」と具体的に提言している。このシステムの目的は、脳死移植全般のチェックだけでなく、「ドナー家族とレシピエント双方のケアとサポートを視野に入れて、よりよい移植医療のあり方を探ることにある」とも規定している。私も賛成である。
米本昌平氏は「臓器移植法を所管する厚生省とは別に、例えば日弁連のようなところが検証するのが望ましい」(5月24日毎日新聞夕刊)と述べている。また5月13日付の朝日新聞メディア欄の「2例目の脳死報道/各社、それぞれに『慎重』」という記事は、「厚生省、各社と話し合い」の小見出しで、厚生省の臓器移植対策室が、日本新聞協会や民放連などを通じて報道各社に専門委員派遣を要請したが断られたことなどを紹介して、次のように書いている。〈一方、新聞協会では三月末、報道各社の科学部長会で取材のあり方などを話し合ったが、具体的な動きには至っていない。
同協会編集部は「まずは現場の記者クラブで議論を深めることが先決。専門委員会への委員派遣についても、委員会それ自体が再検証の必要があるなか、報道機関が当事者になるのは好ましくないと判断してお断りした」と話している。〉。
私は脳死報道に従事した記者たちと対話しているが、「現段階では医療不信もある。脳死移植をリアルタイムに報じることに意味があるのではないか」「情報を知りたいと思っている人に見てもらうことが必要だ。リアルタイムでの報道をやめることはできないと思っている」「厚生省や専門家によるチェック機関などが情報を統括した時、その検証や言葉をどこまで信用できるのか」などと述べている。
記者たちの心配というか根拠は「1例目の手順ミスなどが隠蔽されはしないか」ということだ。
読売新聞も前述の4月28日朝刊(大阪本社版)の1ページ特集の「リアルタイム」という小見出し記事でこう問題提起している。
〈(和田移植が行われた)その後も臓器移植をめぐり「密室医療」への不信を生むようなケースがいくつもあり、脳死移植には透明性が必要だ。しかし、現在、同時進行的にチェックする第三者機関は存在しない。
高知赤十字病院は二十五日夜の脳死判定で、患者の容体にも影響する無呼吸テストの実施順序を間違えた。ミスは記者会見の際、記者側が検査の手順を院長にただしたことから病院側が気づいた。判定医の無呼吸テストに関する認識不足が原因だったが、会見での質疑がなければ、その後の脳死判定でミスを重ねていた可能性もある。病院側は、このミスを葬儀後まで家族に伝えなかったという。(略)
病院とネットワーク、厚生省が大阪で会見を開いたのは移植から半月後の三月十五日。しかし一連の経過の公表は、いまだに十分とは言いがたい。病院は、エックス線CT画像や脳波の検査記録を部分的に示さず、脳死判定医がだれかも公表を拒んでいる。
ネットワークもコーディネータの行動や移植患者の選定経過をきちんと公表していない。病院職員、コーディネータには今も「かん口令」が敷かれている。「専門家による検証」だけで、移植医療が「社会のインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)を得られるだろうか。〉
私は5月24日の専門委員会の席上でも、厚生省に対し、「密室の中でミスなどが闇に葬り去られるという記者たちの指摘に答えてほしい」と要望した。
医療に透明性を持たせるためには、スウェーデンなどにあるオンブズマン制度を導入すべきだろう。オンブズマンは単なる「第三者機関」ではなく、弱い立場にある市民(患者)の立場にたって適正な手続きが踏まれているかを監視する「市民のための代理人」である。
私は厚生省と無関係な日弁連などが検証機関をつくっても実効性があまりないと思っている。透明性を要求されている脳死臓器移植は、これまでの「第三者機関」とは異なる、北欧型のオンブズマン的なものでなければならない。
このような機関を創設する構想ができるまで、私は委員の職にとどまりたいと考えている。》
この時に、私が日弁連について否定的でしたが、「日弁連の中につくる」のはおかしいという意味でした。あくまでも公的なものです。ただし、人選、運営の主体を当事者以外の人にも半数(これは議論の余地があります)程度入るようにしていけなと思っています。
厚生省の案のままでは、不十分だと思います。
検証機関の必要性は、メディアの「リアルタイム取材」の自粛を実現するための、方策として出てきました。メディアがもうこの問題にほとんど関心を見せなくなっていることも不思議です。
移植医療をきっかけにして、日本にも本当の意味でのオンブズマン機関が生まれることを私は期待しています。
Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.08.13