99年2月18日
続報・メディアがつくった「明石康」像 浅野健一
「誰が負け戦に出ますか」。自民党から都知事選候補に推されていた明石康氏、2月17日、記者団にこう語った。自民党がまとまってお膳立てしてくれれば出るというのだ。明石氏は18日、小淵総裁と会談して、出馬を表明した。「自民党がまとまって推してくれる」と「市民、都民の幅広い支持を受けたい」という希望が通ったというのだが、なぜ自民党にこだわるのか。要するに、強いところにお願いして、勝てることが確実なら出るというのだ。政治家には最も向かない人だ。自民党に推されたときに、本当に嬉しそうだった明石氏。この人から、これまで、どういう東京にしたいかの表明は全くなかった。明石氏が自民党と自由党から推薦を受けて都知事選挙に出馬することになれば、彼が九○年代に入ってから、自民党右派と外務省タカ派のエイジェントとして国連で活動してきたことを証明することになるだろう。そう思っていたら、柿沢氏が「なんで明石なんや」と思ったのか、2月14日に出馬の意向を表明。明石氏は15日夕に予定していた出馬表明を先送りした。自民党がまとまれば出るという明石氏の政治認識はどうなっているのか。なぜ自民党ならいいのかがさっぱり分からない。都知事になりたいのなら、まず都民に政策を含めアピールすべきだろう。勝てる体制ができれば出馬するというのは、有権者を愚弄している。
公明党は前回の参議院の比例代表区のトップに明石氏を推したが、本人が断った。公明党幹部も複雑な心境だろう。
なお、明石氏と対決することになった柿沢氏は、九二年三月末の「朝まで生テレビ」で、私を誹謗中傷したことがある。日本でPKO法案をめぐって国論が二分されているとき、インドネシアのスハルト大統領の側近の閣僚が、私のインタビューに答えて、日本の自衛隊のカンボジア派遣に懸念を表明した。この記事はフン・セン首相の東京での「自衛隊にぜひ来てほしい」という発言を伝える各紙の記事の末尾に掲載された。これを見た柿沢外務政務次官は滞在先のベトナムで激怒した。柿沢氏は同行記者に、「共同のジャカルタ特派員が記事を捏造した」と語った。帰国後、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で、同じような発言をした。柿沢氏はジャカルタに何度も来て、インドネシア政府に対し、自衛隊のカンボジア派遣を容認するように説得していた。インドネシアの閣僚が最も微妙な段階でPKO法案に懸念を表明するとは思わなかったのだ。彼はジャカルタのヒルトンホテルのスイート・ルームに滞在していたが、東大の学生だった息子と一緒にいた。息子の旅費は誰が出しているのだろうか、疑問に思った。
柿沢氏はアラタス外務相と会談した後、共同通信の支局に電話してきて、共同の政治部記者数名の名前を挙げたうえで、「共同さんだけにアラタス外相との会談内容をお伝えするので記事にしてほしい」と言った。「ASEAN(東南アジア諸国連合)と日本でPKO合同部隊をつくったらどうかと、アラタス外相に提案したら理解を得られた」というのがニュースだというのだ。政治部との関係もあるので記事にした。ところが次の日の朝日、読売に同じ記事が出ていた。読売新聞の特派員によると、柿沢氏は読売新聞の支局にも「読売さんだけにお伝えする」と言って電話してきたそうだ。
今度の知事選は、柿沢氏と明石氏という「PKO」の同志による因縁対決となった。柿沢氏から見れば、自民党(特に渡辺美智雄派)と外務省の手下だった明石氏に負けるわけにはいかないのだと思う。二人でしっかり政策論争をやってほしい。特に明石氏には、自民党の政策でどう世界と日本の「平和」を創造していくのかを語ってもらいたい。
Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.03.01