天皇の軍隊の時代から不変の日本社会
「反オウム」からあらあゆる異端を排除へ
浅野健一 1999・9・21はじめに
東京の天皇一家の住む皇居の近くにある神道の靖国神社には、アジア太平洋で二千万人の無辜の市民を死に至らしめた侵略戦争のA級戦犯、東条英機元首相らが「神」として祭祀されている。天皇を神として、アジア諸国の人民に「あなたたちは天皇の子供だ」と教え込み、「大東亜圏」建設に狩り出したカルト宗教である。天皇は戦争責任を免責され、皇国史観を支えた神道も、解体を免れ、戦後、宗教法人として存続した。最近では東条元首相を美化する映画や、第二次世界大戦はアジア諸国を欧米列強の植民地主義から解放するための聖戦だったとする漫画がベストセラーになっている。
天皇を赦し、神道を復活させた日本社会は、半世紀後に、オウム真理教という宗教団体が、弁護士一家を殺害し、二つのサリン事件を起こすなどのテロを行ったとして、オウム真理教に宗教法人としての解体を命令し、今も信仰を続ける信者に「住む権利」も認めない情況をつくりだしている。検察の主張によると、オウム信者によって殺されたのは二十人である。
あのいまわしい侵略戦を遂行するための中心的なイデオロギーだった国家神道はほぼ同じ形で存続したのに、オウムの人たちは、一部の幹部や信者たちが起訴され、一部で有罪判決が出るなかで、徹底的にいじめられている。
昭和天皇の戦争責任がタブーになった日本では、小さなカルトとされる麻原彰晃氏が率いるオウム真理教に裁判の決着を前に、「吊るしてしまえ」という世論ができあがり、オウム信者にも人権があるという人はほとんどいないのである。▼なぜオウムは嫌われるのか
一九九九年九月初旬に放送されたテレビ朝日の全国ニュースは、日本で最も大きい宗教法人は神社本庁で、信者の数は七千万人以上と伝えた。この数字を見て、ニュースキャスターは「えっ」と驚いていた。この数字で行くと、日本人の大人のほとんどが神社本庁の信者ということになる。
神社本庁というのは、神道のことで、全国各地にある七万九一八四の神社を統括している。神道ではこのほか、多数の宗派があり、東京の靖国神社など単立のものもある。
九八年度の宗教年鑑によると、日本における神道系の信者は一億四五五万三一七九人。仏教系は九五一一万七七三○人。キリスト教系は一七六万一八三五人。その他の宗教が一一二一万四三三一人。これを合計すると二億一二六四万七○七五人になる。日本の全人口は約一億二千万人なので、ほとんどの成人は神道と仏教の信者を兼ねていることになる。
日本においては真剣に宗教を信仰している人は数パーセントしかいないのではないかと思う。キリスト教信者が人口の一%強という国は世界でも珍しいだろう。
私の父親の家系は神道である。親類に神主も多い。六六年に米ミズーリ州スプリングフィールドの公立高校へアメリカン・フィールド・サービス国際奨学生として一年間、留学した時に、世話になったホスト・ファミリーは敬虔なバプティストで、私が「神道信者」ということを知って、神道のことを勉強して、私を神道から「脱出」するようにすすめた。私は個人データを記入するところに、深く考えずに神道(Shintoist)と書いただけだったのだ。日本では無宗教であることが、当時も今も普通だ。
私個人は七二年に日本を代表する共同通信(Kyodo News)の記者となり、二二年間の記者生活を送る中で、宗教について考えてきた。特に八九年二月から九二年七月までジャカルタ支局長を務め、インドネシアのイスラム社会についてもふれることができた。東ティモールではカトリック教会の影響力の強さを知った。そのほかの東南アジア取材では、ビルマにおける仏教についても取材した。
多くの外国では、一つの国に異なる宗教、民族が共生していることが普通だが、日本では、ほとんどが大和民族で、在日朝鮮人ら外国人は一%にも満たない。アイヌモシリ、琉球など大和民族と違う文化的伝統を持つ人たちも一%程度である。九八%が大和民族であり、「無宗教」に近い。
そういう日本の社会で八○年代後半にオウム真理教が新興宗教として登場し、多くの若者の心をつかんだ。私がジャカルタにいる間に国政選挙に出馬したり、勢力を大幅に拡大した。日本の民間放送テレビの番組に「朝まで生テレビ」という人気討論番組があるが、オウムの人たちは別の新興宗教との討論で圧勝し、司会者が「オウムは立派な宗教だ」と言ったらしい。私は九四年に同志社大学のジャーナリズム専攻の教授になったのだが、同志社大学や日本で屈指の国立大学である京都大学の中にある書店には麻原氏の本がベストセラーとしてたくさん平積みになっていた。私が出た集会や講演会で「次に誰を呼んでほしいか」というアンケートをすると、トップか二番目には麻原氏の名前があった。
そのオウムが「狂団」として猛烈に非難され始めたのは、九五年三月二二日に、警察当局がその二日前に起きた東京の地下鉄サリン事件でオウム施設を家宅捜索、信者たちを逮捕してからだ。弁護士一家殺害事件もオウムの犯行とされた。オウム真理教の信者が引き起こしたとされる一連の事件では麻原氏ら約百人が起訴されており、一部で有罪判決が出ている。しかし、教団の開祖、麻原彰晃氏の裁判はまだ一審で真理中であり、オウ真理教が麻原氏の命令によって団体として引き起こした事件であるかどうかは、全くといっていいほど解明されていない。
ところが日本では、事件はすべてオウムが計画的やったものだという結論が出ている。そしてオウム信者であること。かつてオウム信者であったことで、さまざまな差別や、虐待を受けている。刑事事件で被疑者にもなったことのない一般信者が生きる権利を奪われている。
日本社会では宗教を真面目に信仰することが、不気味だと見なされる。お金と出世が信仰の対象なのだ。かつて日本人のことを「エコノミック・アニマル」と軽蔑する外国人がいたが、そう思われても仕方がないところがある。日本人の多くは、異端を極端に嫌うのだ。これまでにも共産主義革命を目指す党派が、無差別に市民を殺害したり、内部抗争で殺人を起こした集団もある。組織暴力団による暴力も繰り返されている。しかし、オウムほど嫌われたグループはいない。それはオウムが、普通の日本人には理解できないと思っている宗教集団だからだと思う。
日本では、裁判で有罪が確定するまでは、無罪を推定されるなどの、近代市民社会の原理原則が社会に根付いていない。またジャーナリストの仕事は、捜査当局などの国家機関を監視することだという認識がほとんどない。当局とメディアの二人三脚によって、一連の事件は、麻原教祖が自暴自棄になって犯行を計画指示したとされ、オウムの教義そのものが殺人事件を起こす危険なものだという世論ができあがった。これに異議を唱える人は非常に少ない。▼住宅内部を見ると安全と分かってしまう
「マスコミで元民宿の施設に入って取材したのはうちの社だけだと、浅野さんは評価するが、私は、うちの社が住居の中に入って取材することに反対して、取材にも行かなかった。彼らの住居に入って取材したら、あそこが安全だと分かってしまうからだ。私は住民が反対運動をする気持がよく分かる」。
「市議会で視察を行い『危険はない』と確認をしても、住民は撤退を強く求めており、意味がない」。 初めの言葉は、朝日新聞宇都宮支局の若い県庁担当記者が九九年八月四日、私に語ったものだ。二番目は栃木県大田原市市会議員が七月二八日、市議会オウム対策特別委員会(柳田崇夫委員長)の席上、発言した。
オウム真理教の開祖、麻原彰晃氏の二人の子どもが六月二五日、大田原市佐久山地区の元民宿に転居し、二人の転入届けが出された後、市当局が不受理を表明。地区住民が「オウムは出ていけ」と不当な排除運動を行っている中で、権力を監視することが仕事であるジャーナリストと、行政当局の不正をチェックするべき地元議員が、オウム信者の住宅を実際に見ると、「危険はない」と分かってしまうから、見るべきではない、と口を揃えていうのだ。
ほとんどの人が大田原市に住むオウム真理教信者に、差し迫った危険性がないことをよく知っている。ところが、市当局は信者の転入届を、違法だと熟知しながら不受理を強行した。「公共の福祉」という言葉以外には、具体的危険性も示しえないまま、気持が悪い、不安だという住民の気持は理解できるというだけだ。
住民たちは、政府当局者とマスメディアから流される情報に扇動されて、「よくわからないが、とにかくオウムは怖い」という理由から、信者の「生きる権利」を奪っている。商店は「オウムには売らない」という不売ステッカーが貼られている。新聞の宅配も拒否する。LPガスを売らない。公衆浴場に入れない。ゴミ・し尿処理を受け付けない。水道メーターの検針を拒否する。ライフラインのほぼすべてを拒否されている。
住民のデモのプラカードに、「地球から出ていけ」「宇宙へ行け」という文字があった。
日本は法治国家のはずだ。私にはオウム信者だという理由だけで、「オウムには人権はない」と断定して、よってたかって排除する集団ヒステリー的な日本社会の方がよほど怖いと思う。
九七年の神戸連続児童殺傷事件の後で、「少年による凶悪犯罪が急増している」というデマ宣伝が流され、少年法改悪の動きがあった。少年非行が急増しているという事実はない。最近の東ティモールにおけるインドネシア軍による住民虐殺では、山崎拓衆院議員らが、東ティモールの人たちを救うために、「PKFの早期凍結解除」を狙っている。自民党政府は七六年のインドネシアの東ティモール侵略を黙認し、スハルト軍事政権を支えてきたことを反省もしていない。
保守反動の政治勢力は、なりふり構わず、「恐怖」を創り上げて、悪法をつくっていくのだ。日本のネオ・ファシストたちは、オウム問題を利用して、管理社会の強化、警察国家化をすすめようとしている。私たちが闘うべき相手は、オウム信者ではなく、「オウム問題」を利用して、市民の人権を制限し、反体制運動や市民運動を弾圧しやすくする体制をつくりあげようとしている国家権力と御用マスコミである。
▼人権と報道・連絡会が現地調査
私も世話人の一人を務める人権と報道・連絡会(168ー8691 東京都杉並南郵便局私書箱23号、ファクス03ー3341ー9515)は八月四日、栃木県で現地調査した。地元のメンバーを含め全国から一九人が参加した。米国の宗教学者、ジェームス・ルイス氏も同行した。
まず、信者が住む住宅へ向かった。佐久山地区が近付くと、「オウムは出ていけ」という看板が目立つ。サイズや色が何種類かある。普通の市民運動で使う立て看とは違って立派なものだ。「一本一万円はかかるはず」と組合運動経験者がいう。住宅の約百メーター手前に、「この先、交通が渋滞します。迂回ください」という警察の標識があった。警備の警官が車を制止した。
住宅前には「団結小屋」があり、高齢の住民ら約十人がいた。小屋の裏には小さな山があり、中腹に周辺の木を切り取ってつくった見張り場があって、数人が双眼鏡で住宅を監視している。「オウム出て行け!」「絶対許さない 早く出て行け」「殺人教団は社会の敵だ」などというスローガンがある。
住民たちは私たちが来ることを事前に知っていたようだ。視線が何となく冷たい。玄関前に着くと、報道陣に囲まれた。五十歳近い男性記者が「われわれも入れてほしい。記者は入れないという条件を認めて入るのはおかしい」と抗議してきた。大きなお世話だ。「あなたたちも取材したかったら、オウムに文書で申し込んだらどうか」と答えると、むっとしていた。
信者を代表して、長山さんから説明を受けた。長山さんとは、私が九五年五月にオウム真理教青山総本部で上祐史浩広報部長にインタビューした際、会ったことがある。広末晃敏・地域問題緊急対策室長らもいた。
住宅の裏山には覗き見のためのやぐらが二カ所あった。一つは住宅の裏のブルーシートから約十メートル離れた場所にある。やぐらの上から、ビデオカメラでわれわれを撮影していた。終始無言だ。もう一つはシートに隣接してつくった高いやぐらだ。やぐらが見えないように、木の枝や葉っぱでカモフラージュしている。
住民たちは元民宿を住宅にするため、塀をつくったり、内装工事をしている。工事のために寝泊まりするプレハブの住宅がいくつかある。しかし、市は建築確認申請書類を受け付けないという。
住民たちの反対行動について聞いた。
「二四時間の嫌がらせが続いているが、深夜の騒ぎはすさまじい。午後一○時過ぎから、住民たちが裏山や横のたんぼに集まり、集団で騒ぎ始め、夜中過ぎまで続く。わいせつな言葉も使う。奇声は異常で、薄気味悪い。昼間の奇声も同じだ」。これを聞いた口の悪いメンバーが「オウムに気持が悪いと言われたらおしまいだ」と話した。
オウム信者たちは、住民たちの「罵声」をビデオに収録している。このビデオは九月一五日に宇都宮で開かれた「『公共の福祉』を考えるーオウム真理教信者の転入届不受理問題をめぐって」という集会で公開された。ビデオは約一五分あったが、気持が悪かった。
「おっかあのところへ帰れ。だけどお前らには家族がいねーんだよな」「麻原にだまされているのがわからないのか」「お前らは一生出世なんかできねー。麻原にこき使われて死んでいくだけだ」。「ヨーガをやっているだけのに、何で宗教なんだ」
住民にライトをあてて、「○○、この前、おめーと顔を合わせたよな。目をそらすなよ。」「○○」と信者の名前を呼び捨てにして、あげつらう。
「死ね、お前らの居場所はどこにもないんだよ」「おめえらが生きるところはないんだよ」。
集会では、七月二一日に住宅入り口に右翼団体を名乗る男性がトラックで突入し、敷地内で門を開けようとした信者二人がはねとばされるシーンも上映された。信者が設置している防犯カメラがとらえた映像だが、男性はゲートの前に横付けした後、バックで突入したのが分かる。信者は軽傷ですんだが、死者が出てもおかしくないケースだ。
また右翼団体が街宣車の上からゲート越しに缶などを投げつけ、信者が顔面を二針縫うけがをした時のビデオも見た。
▼なぜ反対しているか説明できない住民
約一時間後、住宅を出て、住民たちの団結小屋で話を聞いた。午後にももう一度戻り話を聞いた。
「なぜオウム信者に出ていけ、というのか」と尋ねてみた。小屋の中にいたお年寄りたちは、「上の人に聞いてくれ」「当番できている」「役員がいないから・・・」と答える。役員というのは、佐久山地区の自治会でつくった「佐久山地区オウム対策協議会」の役員を務める会長、区長らのことらしい。
五十歳ぐらいの男性が、「われわれの写真を勝手に撮っただろう」と詰め寄ってきた。「みなさんを撮ったのではなく、報道陣を撮った」と説明したが、「無断で人の顔を撮るな」とすごんだ。われわれを「オウムの味方」だと思い込んでいるようだ。
私は敢えて、住民たちに「あそこにいるオウム信者のことを本当に怖いと思っているのか」「なぜ怖いのか」と聞いてみた。「何をするか分からない集団だ」「ユンボなどを入れて工事をしている」「隠しカメラで我々を写している」「顔を隠す奴がいる」「あいさつもせず、非常識だ」「サリン事件でたくさん人を殺しているのに、教義は変わっていない」「事件のことを反省していない」「あんなにシートを高くして中が見えないようにしている」。
住民たちが中を覗き込み、「出ていけ」と怒鳴っていることを、すっかり忘れている。自分の家の中を二四時間覗かれて、引っ越せと言われても、普通に近所付き合いする市民はいないだろう。
警察が家宅捜索したが何も危険なものはなかったのではないか、と言うと、「あの鉄板の下に何を隠しているか分からない」
裏山の監視やぐらを案内してくれた七○歳前後の建設業の男性は、「あんたたちも怖いと思うだろう」と盛んに同意を求めてくる。この人は私たちの話もよく聞いてくれた。
大田原だけではないが、全国各地で繰り広げられる「反オウム」デモをテレビで見て感じるのは、官製の住民運動ではないかということだ。米軍の戦争に協力する法律、盗聴法、国民総背番号制などの悪法を通すために、オウムを最大限利用している。
反オウムデモに参加している住民は私と同じ世代が多い。青年時代には全共闘運動があり、ゲバ棒を振るっていた人もいるのではないか。
八月下旬、ディリで見た「インドネシア帰属派のデモ」と似ている。言葉は勇ましいが、集会の会場の前の方にいる百人ぐらいが盛り上がっているだけで、その他の参加者はただそこにいるだけという感じだった。
▼大田原市助役
佐久山地区から大田原市役所へ向かった。千保一夫市長は不在で、荒井政義助役が応対したが、約束では三人だったと主張し、「三人しか会わない」と言い張った。日本の役人はどうしてこう高圧的なのかと呆れる。山際事務局長と手塚さんと私が会った。
ここで大田原市の不受理の経過を振り返っておこう。
六月二五日に転入届が出された際、若目田敏之市民課長は、二人の代理人である信者に、「転入届の受理についてはいったん時間を置きます。週明けに改めて現地へ行って居住実態調査をしたい。その際に、賃貸関係、使用目的、電気、ガス、水道などについて説明してください」と述べている。「月曜日に居住実態調査に来てください」という信者に対し、課長は「できるだけ早い時期に行きます」と答えている。
ところが、市はその日の午後、転入届けの不受理を決めている。課長らは六月二八日午前、不受理を決めたとする大田原市長名の通知書を手渡した。
通知書で、不受理の理由は、「かつて宗教法人の解散命令が出された後、破壊活動防止法の団体指定の検討が行われるなど、社会不安の元凶ともなった組織と密接不可分な関係を有する団体に属すると思料される」と述べたうえで、「地域住民の生活を侵害する危険性が相当程度の確度をもって予測され、居住及び移転の自由を考慮したとしても、公共の福祉の観点から受理することはできない」と書いている。
「不受理の理由は、過去のオウム真理教の犯罪とされる事件が原因なのか。それとも今後の危険性を問題にしているのか」と聞いても、明確な回答はなかった。宗教法人としては解散しており、破壊活動防止法の団体適用の申請は公安審査委員会で棄却されている。
助役は「憲法二二条で『公共の福祉に反しないかぎり』とあり、二人の転入は、公共の福祉に反する恐れがあると判断した。教祖とか開祖と呼ばれる人がまだおり、次男は教祖でもある。オウムの裁判は判決が出たものは、すべて有罪判決を受けている。また最近活動を活発にしてきている。これらを総合的に判断した」(無罪判決を受けた人もいるー筆者注)と説明した。
「皆さんは今日しか見ていないから、問題はないというが、信者が来た直後の異常さを体験していないから、そう言えるのだ。六月二五日からの約一○日間はすごかった。信者はシートを張り巡らし、敷地内に重機を入れて工事し、トラックが出入りした。施設前には右翼団体が詰めかけて音楽を流したり、マスコミも押しかけて騒然となっていた。あの雰囲気は異常だった」。
助役は「オウムは不気味だ」と何度も言明したが、その理由は過去の事件の凶悪さを繰り返すだけだった。
▼住宅視察を一方的に中止
ジャーナリストとして佐久山の住宅に入って取材したメディアは、朝日新聞と月刊誌「創」、それに人権と報道・連絡会の調査団メンバーの記者だけだ。朝日新聞の支局記者と本社の写真記者は七月二五日午前に、「創」の篠田博之編集長とフリーライターの岩本太郎氏は同日午後に内部で取材した。朝日は、信者らが大田原市に建築確認の申請を出したために、どういう建物があるのかや信者の生活ぶりを取材する目的だった。記事は客観的に書かれていたという。
オウム信者と教団は、メディアに内部取材を呼び掛けているのに、ほかの報道機関は取材の申し入れもしていない。
大田原市議会事務局によると、市議会オウム対策特別委員会(柳田崇夫委員長)は七月一二日、市議会を訪れたオウム真理教地域問題緊急対策室長の広末氏に、文書で視察を申し入れた。七月二八日、大田原市議会が元民宿の施設視察取りやめを決定。オウムから要請されていた話し合いも拒否した。特別委員会はその理由について、「報道機関が施設に入ったり、県警の捜索で立ち入りは既に実施されているため、あらためて視察する必要はない」と表明した。議員たちは地元の下野新聞に、「視察を行い『危険はない』と確認をしても、住民は撤退を強く求めており、意味がない」と述べてている。
自治体や住民とオウム信者の間に対立があるというなら、まず住宅に入ってオウム側の人たちの生活の実態に触れるのが、記者や議員の基本ではないか。オウム信者の住居も見ないで、「怖い」とか「出ていけ」と叫ぶのでは、専門職、特別公務員として失格である。
大田原市議会は七月六日、首相らに宛てた「オウム真理教集団の活動を制限し住民の平和な暮らしを守るため厳正なる措置を求める意見書」を採択した。意見書は、オウム真理教がサリン事件を引き起こしたと断定し、「破防法の改正、あるいは特別立法の制定」を国に求めている。
市議会が係争中の裁判について、有罪と断定した文書を採択するのはいかがなものか。
▼自民党タカ派が背後に
大田原市は故渡辺美智雄衆議院議員の息子である渡辺喜美衆院議員の選挙区だ。下野新聞が六月二八日報じたところによると、渡辺氏は六月二七日、大田原市役所を訪れ、「今回のことは地域にとっても非常事態。個人的には非常時にどう決断し、その地域を守っていくかが肝心だと思う」「今の世の中に合うように、破防法を修正するのがわれわれの役目」と発言。転入届の取り扱いについては、「法律を無視するわけにもいかない」としながらも、「信者の自由もあるが、地域住民も平穏に暮らす権利がある。比較衡量の問題だ」と強調している。
渡辺氏は山崎拓派(旧中曽根康弘派)に所属する議員で、破防法改悪を狙う超タカ派である。渡辺氏ら自民党守旧派グループが、盗聴法などを成立させるために、メディアをうまく操作してオウムと住民の「トラブル」を煽っていると思われる。
▼「憲法を超える判断」と教育長
我々は宇都宮市の栃木県教育委員会を訪れ、清水英夫県教育次長と会った。全員が会議室に通され、関係課長らも同席した。
下野新聞によると、古口紀夫県教育長は七月六日の記者会見で、麻原被告の子供について、「個人的な考え」とことわったうえで、「住民感情や仲間となるべき子供たちへの影響を考えると非常に微妙な問題」「杓子定規に法律に沿って進めるべきなのか。いろいろな要素を考えていいのではないか」「教育を施す義務があるといわれているが、憲法を超えて別の考え方で対応してもいいのではないか」と述べた。メディアは、「小学校入学拒否を示唆」などと報じた。
教育次長は私たちとの会見で、「教育長の発言は歪曲されて報道されている」と次のように述べた。「教育長の発言の部分部分は事実でも、入学を拒否するとは言っていない。まだ大田原市の教育委員会からの問い合わせもない段階で、そういうことを言うはずがない。憲法や法律を尊重するのは当然だ。真意が伝わらなくて残念だ」。
ところが教育長は報道機関に「訂正申し入れや抗議はしていない」という。テレビ朝日の取材があったので、その場では真意を伝えたという。報道が誤っているなら、直ちに記者会見して訂正を要求すべきであろう。
教育次長は、二男の就学について、「(麻原氏の子供に)学校で学ぶ権利があると同時に、現在学校に通っている子どもたちが平穏に学習を」続ける権利もある。他のところでも混乱している。法律を条文通りそもまま適用していいのか。オウムだからということではないが、学校を混乱させてはいけない」述べた。これは教育長の報道された発言内容とほとんど変わらない。
「法律を杓子定規に適用していいのか」という発言を公務員がしていいのだろうか。
▼公安の広報になったメディア
オウム真理教の信者たちは九五年に宗教法人として解散し、九六年に富士山麓の教団施設から撤退を余儀なくされて以来、全国各地に分散して信仰生活を続けいる。教団によると出家信者五○○人、在家信者一○○○人という。
オウムが復活し、住民とのトラブルが頻発しているという報道が始まったのは九九年二月である。国家権力が悪法を国会で通そうとしていた時期である。警察庁や公安調査庁が「オウムの復活」をPRする一方で、反オウムの住民運動を組織したと思われる。
大田原市の前の、九九年三月には茨城県三和町でも二三人の信者の転入届が不受理になっている。三和町の町長は「憲法に違反することは分かっているが、オウム関係者の住民票を受理しない」と語ったと報道されている。
佐久山地区の転入届は、六月二六日の下野新聞に“スクープ”として大々的に報じられた。一面トップの凸版見出しは「オウム、大田原に進出」。社会面は「全住民挙げ戦い抜く 怒りと不安訴え 緊急区長会」。「なぜ大田原に来るんだ 突然の出現 住民衝撃 教団の説明会に反発」というサイド記事もあった。「とにかく出ていけ」という住民の声を伝えた。河野義行さんは「戦争中の新聞はこんな感じだったんでしょうね」という感想をもらしていた。
下野新聞はこれ以降、菊池社会部長の発案で「オウムが来た」というワッペンを付けて報じている。一頁を使ったグラフ特集も組んだ。
市民が転入届を市役所に出したというのはプライバシーではないか。信者一人と、麻原氏の子ども二人が転入届を出したのは、六月二五日午後一時過ぎである。下野新聞に情報を流したのは市当局者以外に考えられない。
下野新聞を含めマスメディアの地元記事は、必ず「自治体や住民と信者の間でトラブルが起きている問題」という書き出しである。トラブルは行政当局とメディアが勝手につくりだしているのではないか。
大田原市は、地元の有力メディアを使って、不受理を正当化するために世論を誘導したのではないか。受理するかどうか迷っていたら、メディアには情報提供しないはずだ。
オウム信者は九五年三月に強制捜査されて以来、少なくとも集団での違法行為はしていない。宗教法人法による宗教団体として解散命令が出され、現在は「任意団体 オウム真理教」である。信者たちは警察、公安調査庁などの監視下にあり、「微罪・別件」逮捕は日常茶飯事だ。マンションの郵便受けにビラを入れようとしただけで住居侵入容疑で逮捕され、ビラが押収された。実際の住居と住民票の住所が異なるという理由で逮捕されている。
▼「事実を報道しているだけ」
大田原市の「オウム騒動」をつくったのはマスメディア報道であり、とりわけ地元紙、下野新聞の役割は重大だ。人権と報道・連絡会の栃木グループは、下野新聞編集局幹部との会見を申し入れたが、菊地実社会部長から「事態が動いているし、担当者も他の事件で取材をしたりしているので会うことはできない」という返事があった。その後。菊地部長は「事前に質問項目を文書で出してほしい」と要求、「一人だけなら会う。複数なら文書回答する」と連絡してきたが、「双方で検討する」ということにした。
私たちは全員で下野新聞社に出かけた。予定より少し早い到着だった。一階に下野新聞の系列の旅行代理店があり、そのホールで待たされた。菊地社会部長が降りてきたが、人数についてクレームをつけた。会議室も用意しておらず、ホールの中にあるブースのようなコーナーに案内された。小さなテーブルに椅子が四つしかない。菊地部長は「二、三人にしてほしい」と人数にこだわったが、山際事務局長が「みんなで入ろう」と言って、ブースの回りを取り囲んだ。
その時、菊地部長の背後にメガネをかけた管理職らしい男性が立っており、しきりに菊地部長に指示を与えていた。この男性は私たちが名前を聞いても、しばらく答えなかった。話し合いの途中で、学芸部長だと分かったが、名前は明らかにしなかった。
菊地部長は文書を見ながら回答した。「基本的人権を尊重し、公共の福祉に配慮しながら客観報道している。松本サリン、地下鉄サリンなどの事件を起こしている団体に関係する人たちが移動してきたのは、社会的に大きな問題であり、社会的な関心事だ 地域住民に不安を感じているという事実は事実として読者に伝えることは意義がある」。
我々は一連の事件はまだ裁判段階であり、一部で有罪判決が出ているが教団全体の犯罪という証明はなされておらず、松本サリン、地下鉄サリンなどの事件を起こしている団体というのは問題だと指摘した。これに対し、菊地社会部長は「一連の事件を起こしたとされている団体」と言うべきだったと認めた上で、「係争中とはいえ、一部の裁判では有罪が出ており、麻原開祖の関与も認められている」と強調した。
「とにかく出て行け」というのは感情論ではないかと指摘したが、部長は「住民が団体としてのオウムに不安を抱き、そう思っているのは事実だ」と説明した。
部長は「オウム信者にも基本的人権は保障される」と述べた。
また、警察や公安調査庁が提供する情報をタレ流す傾向にあるのではないかという疑問には、「公的機関の発表を信頼して伝えるのが新聞のやり方だ。またニュースソースに出きるだけ近付いて、現場取材を行って情報をつかんでいく。それらをもとに総合的な判断をして記事を書くわけで、警察の情報だけに頼っているわけではない」と答えた。
部長は、オウム側に内部取材の申し入れはしていないことも明らかにした。
下野新聞は連日、オウム排斥運動を報じているが、読者からの投書はほとんど来ていないという。
▼人権と報道・連絡会を黙殺する朝日新聞
私たちは八月四日夕、栃木県庁内の県政記者会で記者会見した。NHKは午後八時四五分からの関東ローカル・ニュースで、我々の一日の動きを詳しく報道した。翌日の新聞各紙は「東京の市民団体 元民宿など視察」(下野新聞)などと伝えた。下野新聞のこの記事にも、「オウムが来た」のワッペンがついていた。他紙も「激震 オウム進出」(読売)「オウムの進出」(毎日)というワッペンが付いている。
▼米紙が日本社会を分析
八月二七日のニューヨーク・タイムズ一面に「日本がカルトの人権を激烈に侵害」という見出し記事が掲載された。私も取材を受けて、コメントが載っている。オウム反対運動を日本の憲法に抵触する疑いが濃厚であると指摘した記事である。
シムズ記者は取材の中で私に、「自治体の長が、違法であることを認めて、住民票を受け付けないと言っている。日本では、官庁の責任者が法律に違反する行為を行った場合、どの官庁が取り締まりにあたるのか」と尋ねた。「法務省なんだろうな」と答えるしかなかった。
シムズ記者は、オウム信者の住宅を覗き込もうとして裏山に登る男性の「これが悪い奴だ。悪いんだ」と述べるところから長文の記事を記事を始めている。記事は、オウムには憲法で保障されているはずの生存権もないという風潮の中で、「オウム信者に対する政府の扱い方について批判する人は、数人の人権活動家、憲法学者以外にはほとんどいない」と指摘。その数少ない人たちのコメントを引用している。
この記事に登場する警察当局者は匿名を条件に話している。法務省人権擁護局の課長補佐は顕名で、「正式な申し立てがないと動けない」「住民とオウム信者の両方に人権がある」とコメントしている。荒木氏が、広報責任者として紹介され、意見が載っている。住民や右翼の嫌がらせや暴力についても伝えている。
日本のメディアにもこういう記事を書いてほしい。
▼「住民の方が悪い」と河野義行さん
人権と報道・連絡会は九月一五日宇都宮で「『公共の福祉』を考えるーオウム真理教信者の転入届不受理問題をめぐって」という集会を開いた。栃木グループの手塚愛一郎さんが八月の調査報告を行った後、パネルディスカッションを行った。パネリストは松本サリン事件被害者の河野義行さん、山下幸夫弁護士で司会を私が務めた。
河野義行さんは集会で次のように述べた。
《ビデオを見ていて悲しくなった。あまりにも醜い。長野県北御牧村でも、オウムと住民との間でいさかいがあった。地元テレビ局が特別番組をつくったので見たが、車が入ろうとすると「村から出て行け」と叫ぶ。小さな子どもが出てきて、「オウムにさらわれるから怖い」と話していた。テレビ局にコメントを求められたので、「これはどう考えても、住民がオウムに対して人権侵害を犯しているとしか思えない」と言ったら、住民からテレビ局に、「どうしてあんなコメントを放送したのか」などと抗議があったそうだ。
栃木のオウム信者に対する動きを見ていると、オウムの現状と五年前の自分がダブってきた。私も犯人視報道によって、一日二○、三○件を超える無言電話や脅迫状があった。「町から出て行け」「人殺し」などと言われ、もうちょっとで社会から抹殺されるところだった。「こんな状態なら死んだほうがいい」と思いつめたこともある。「意識不明の妻がいるのに、今ここで自分が死んだらどうなるのか」と、思い直して生きてきた。警察官は「さっさと白状しろ」と迫った。住民も同じだった。そうではないと分かった時に、一言でもいいから、謝ってほしいが、ほとんどの人はそうしていない。
オウムの人は家を買ってそこに住んでいるだけだ。何もしない人が、あそこまでいじめられたら、普通の人でも牙をむく。住民は感情論だけで対応せず、冷静によく話し合ってほしい。松本サリン事件も、オウムが食品工場を松本市内につくろうとして、住民とトラブルになった後に起きている。そういう意味で住民にも責任がある。栃木でも、被害者が出たらどうするのか考えてほしい。
大田原の信者は「人殺し」ではない。何かやっていれば逮捕されているはずだ。当局は微罪でも逮捕しているのだから、違法性があれば捕まえるはずだ。彼らは違法行為をしていない。そんな中で、行政は麻原さんの子どもたちに嫌がらせをしている。
本当にオウムが怖かったら、「お前は出ていけ」とは言わないはずだ。自分の命を失うのが怖いから。この人たちは、オウムは怖くないと見ている。
行政は決められた法律をきちんとすすめていくのが仕事だ。住民票、建築確認申請書を受理しないのはおかしい。憲法に違反することを承知して判断している。
集会の前に荒木広報部副部長らに初めて会い、オウムの人たちに行政訴訟を起こすように勧めた。もし裁判で市長が敗訴したら責任をとって辞めてもらいたい。
オウムがなぜ怖いのか。これから犯罪を犯すかもしれないというなら、暴力団の方がよほど怖いのではないか。暴力団の事務所に向かって「この町から出ていってくれ」とは言わないだろう。
「あいつを殺したい」と思うだけでは罪にならない。殺すための道具を入手したりすると犯罪の対象になる。
この土地って無法地帯みたいだと、信州から見て思う。
かつてオウム信者の人たちがサリンをまいたとされている。だからそこに所属していた人たちにも責任がある、と言うのだが、例えば私が殺人事件を起こしても、私の子どもには罪はない。「ここから出ていけ」というなら、どこへ行けというのか。オウムの人たちの居場所を、オウムの人たちに納得して住んでもらえるような場所を、特に行政は用意すべきだろう。
ラベルだけで人を見たり、世の中の流れだけで判断してはいけない。法治国家なのだから、オウムの人だからといって、具体的な事実もないのに排除するのは間違い。
先ほど荒木さんと話をした。まだまだ真実が分かっていないし、捕まっている人たちには無罪推定の原則があるというのはその通りだが、社会からなぜこんなに叩かれているのかも考えてほしい。私は、@今は裁判で係争中で無罪推定が原則というのは分かるが、何年か後にオウムの組織的犯行という有罪判決が出て確定した時に、被害者の人たちに対してどうするのか今から考えてほしいA皆さんも生活している中でいっぱいいっぱいだろうが、余剰金が出たら法務局に供託して、有罪が確定したら、被害者に手渡すというようにしたらどうかーと伝えた。
今のような険悪な状態、人と人が恨み合うのは、どうかと思うのでそうお話しした。》
河野さんの話を受けて、荒木氏が「一連の事件にかかわっていない信者たちは、一体何が起きたのか分からないまま今日にいたっており、真相解明を望んでいる。教団としても、市民の間にあるオウムへの不信、憎悪について真剣に考えており、近いうちに何らかの見解を示したい」と述べた。また賠償金供託については、「貴重なアドバイスとして長老部にも伝えたい」と語った。
山下幸夫弁護士は、九五年に熊本地裁が波野村の転入届不受理に関してオウム信者が起こした民事訴訟の判決で、明白に違法とされたことを紹介し、大田原市の処分も住民基本台帳法に明確に違反していると強調した。山下氏は「行政の長である市長が感情論で判断してはいけない」と述べた。
▼社会のルールを守ろう
河野さんは七月に私の取材に対して、「法の支配」「適正手続きの保障」が現在の日本におけるルールなのだから、どんな例外もなくすべての市民にそれらが適用されるべきだと述べた。そうでなければ、自分を犯人と疑って捜査し、犯人と報道し、報道を信じて社会的に排除した、警察・報道機関・市民を批判できないというのである。
「オウムの人はビラをまこうとしただけで逮捕されている。自治体の首長が、『憲法に違反することは分かっているが、オウム関係者の住民票を受理しない』という。これでは無法地帯であり、行き過ぎだ。一方でかなり公然と非合法なことをしている組織暴力団にはほとんど何もしない。オウムは実際には力がなく怖くはないし、現行法では違法なことを何もしていないと分かっている。オウムはなんにもできない。買い物もできない。だから、むちゃくちゃをしているのではないか」。
河野さんの妻、澄子さんは今も意識がほとんどない状態だ。河野さん自身にも後遺症が残っている。その河野さんが次のように主張する。「オウムは出ていけというが、誰がどうやってオウムかどうかを判定するのか。どんな人にも自由に信仰し、考える自由がある。刑罰は裁判所が言い渡すというのが決まりなのに、九八年夏の和歌山カレー事件も同じだが、実際にははやばやと世の中の人たちが制裁を加えてしまっている。こんな悪い奴は許さんぞという動きは間違っている」。
▼オウム特別法
大田原市の「オウム排斥」の動きは全国に広がり、東京でも半分以上の区がオウム信者の転入届の不受理を表明。東京都も信者に公共施設を使わせないと決めた。各地の自治体や地方議会から政府に対して、破防法の「改正」やオウム立法を求める意見書が寄せられている。
地域社会から出て行け、自治体には来させないと決めておいて、国に「オウム対策」を求めるというのは、結局、オウムを壊滅させてしまえということになる。オウム信者の信仰を許さないということであろう。
公安とメディアの二人三脚でつくりあげた「オウム対策を」という世論を背景に、政府はオウム立法を狙っている。
新聞各紙の報道によると、野中官房長官は九月八日、現行の破壊活動防止法とは別に、団体規制のための新たな法案を九九年秋の臨時国会に提出する方針を明らかにした。
小渕首相は九月七日の全国都道府県知事会議でも「破防法の改正やオウムへの破防法適用の再申請」の可能性に触れた。野中官房長官は知事会議の後の記者会見で「法務省だけの検討で早急な方向づけができるかどうか懸念している。オウムに対策を絞った議員立法が国民の不安にこたえる道ではないか」と首相発言を修正した。政府は当初、破防法の対象を政治集団だけでなくカルト集団などに広げる方針だったが、自自公連立に向かう中で、公明党が破防法改正に難色を示しているため、オウム立法の道を選んだと思われる。
法案の内容は不明だが、新聞報道によると、規制の対象を「過去に無差別殺人を犯した集団で、その基本的な方針が維持されている疑いのあるもの」とすることで、オウムを念頭においている。@観察処分A団体活動制限の二段階で取り締まる。対象団体としては直ちに解散させるほどの危険性が認められなくても認定が可能。
観察処分は、公安審査委員会の審査を経ずに公安調査庁長官が独自に認定でき、その認定に基づくき団体活動や財務内容の報告聴取義務を課し、結果を公表する。団体側がそれに従わなかった場合には立ち入り調査が出きる。立ち入り調査を拒否した場合には刑事罰または行政罰罰の科料を科すと規定。間接的な強制調査権を公安調査庁に与えることを検討している。
公安調査庁(公調)は一時リストラの最有力官庁とされていたが、オウム問題で復権し、九五年一二月には破防法団体適用を申請した。しかし公安審査委員会は九七年一月末、これを棄却し、公調は再び解体の危機を迎えた。必死に生き残りをはかる公調は、オウムが復活しているという宣伝をメディアを通して展開し、オウム立法までこぎつけてきた。
公調は警察の捜査に同行するだけで強制捜査権は持っていない。新法ができれば、公調は組織をさらに肥大化させ、オウム以外の市民運動、宗教団体などを「観察対象」に拡大していくだろう。
オウム新法が、組織的犯罪対策法の成立を受けて登場してきたことが重要だ。「暴力団対策法」と同様に、憲法、刑法、刑事訴訟法などの個人責任原則から、団体責任への転換をはかろうとする意図も持っている。また保安処分の導入を狙っている。行政警察的権限を強化し、管理社会化、警察国家化を完成させようとしている。
暴力団対策だという反対しにくい法律で団体規制を可能にし、今度はオウム対策という理由を挙げて治安法の強化の目指しているのである。
新聞各紙は、この間、「捜査当局と公安調査庁によると」と公調が情報源であることを明らかにして、「信者が約二千百人にのぼり、主な活動拠点は、約四十カ所に達している」とか「教団関連の企業は約四十社に及び、中でもパソコン販売は九八年の年間売り上げが七十億円を超えたといわれる」(七月二九日の朝日新聞)「オウム真理教は最近、全国各地に拠点を設けるなど活動を再び活発化している。このため、各地の自治体が信者の住民登録を拒否するなどトラブルが相次ぎ」(九月九日の朝日新聞」などと公安情報をタレ流してきた。公調のデータなど信用していいのだろうか。公調は新聞記者の動向だって監視しているのだ。
「任意団体オウム真理教」は「オウム真理教の現状と教団を取り巻く諸問題」と題した冊子を発行して、信者たちは信仰を続け、住む場所を探しているだけだなどと反論しているが、オウム側の声がメディアにフェアに報道されることはほとんどない。
▼オウムだから闘いにくい?
人権と報道・連絡会は九月一三日から三日間連続で、東京と宇都宮でオウム問題を取り上げる集会をもった。九月一四日に新宿で開かれた集会では、「破防法の廃止を求める連絡会・東京」を代表してあいさつした大学教授は「オウム真理教の信者には人権がないのか、という問いかけはよく分かるが、オウムの人たちが自分自身の起こした過ちについて、何らの自己批判もしていないことが引っ掛かる。団体としての責任をとるのが当然だと思う。そういう意味でオウム特別法に反対する運動は組みにくいところがある」と述べた。
他にも、「一連の事件について謝罪しないオウムにはシンパシーを持てない」「団体としての責任がある」などの意見がかなりあった。こういう意見の人たちは、マスメディア情報を信じ切っている。新左翼に対する弾圧、原発問題などでは、メディアを「ブル新」などと決め付ける人たちが、オウムに関してはメディア報道のすべてが嘘というのは言い過ぎだと主張する。「一部で有罪判決が確定している」「被告人が認めている」という言い方もなされる。
オウム信者のうち四百人以上の人が逮捕され、約百人が起訴された。裁判が進行して、一部は有罪が確定している。しかし、一連の事件については、「自暴自棄になった麻原教祖の指示で引き起こされた」「教団の教義が犯罪を引き起こした」という当局とメディアがつくりあげてきたイメージが、事実、または真実なのかは明確になっていない。当面は麻原被告の裁判の成り行きを見守るしかない。
▼破防法阻止の陣形でオウム新法をつぶそう
私は公調がオウムに対して破防法による団体適用を申請し、弁明手続きが行われた際、弁明手続きの立会人(五人)の一人になった。
地下鉄サリン事件など一連の事件に関して、国家がオウム真理教の幹部たちに対して国家権力が言い掛り(allegation)をつけて裁判が行われていることと、信教としてのオウムの問題をきちんと分けて考えるべきだと主張してきた私にとって、破防法は絶対に許せない法律であると思い、引き受けた。
私は六回行われた弁明手続きに毎回参加して、オウム真理教が破防法に規定される暴力主義的破壊活動を繰り返す恐れなどないことが明らかになったと確信した。破防法の違憲性、公調の前近代的体質も再確認できた。公調の担当者(検事)の民主主義とおよそ無縁な強権的振る舞いも肌で知った。
公安審査委員会は九七年一月三一日、破防法の団体解散請求を棄却した。
私は九六年一0月に京都大学で学生有志が開催した破防法反対集会を思い出す。ビラを受け取った多くの学生が参加、かつてない盛り上がりを見せた。その後、関西の多くの大学でさまざまな集会が開かれた。私も時間の許すかぎり、講演会に参加した。当時の破防法反対運動を進めるグループや個人の中にも、「ファシスト・オウムへの立場を明確にしない反対運動とは共闘できない」とか「オウムが参加する反対集会には協力できない」という人たちがいた。彼らは、「破防法団体適用阻止は不可能で、六カ月の期限付き適用になれば勝利だ」と公言していた。勝てるとは思っていなかったのだ。
一方で「破防法が適用されると浅野研究室にガサ入れがあり、浅野ゼミの学生は就職が不利になる」とかの悪質な宣伝をする学生もいて、ゼミ学生三人が九六年一○月ゼミから逃亡した。そのうちの二人は全国紙の記者になっている。
破防法適用をつぶしたのは、さまざまな集会を開催したり、公調への申入書、署名活動、ハンスト、表現者による声明発表などを展開した人民の力があったからだ。
公安審査委員会がオウムの組織性、政治団体性を認めたことや、公調による処分請求は破産手続きの進行などの点で教団の変化をもたらし、相当な意義があったと判断したことや、オウムを今後も監視すべきだと指摘した点には不満があったが、これらは公調のメンツも考えてのリップサービスだったと思う。オウム真理教と破防法、オウム報道については拙著『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)を参照してほしい。
最近、保守政治家や御用メディアが「破防法に反対した文化人は、今のオウムの復活に責任がある」と非難しているが、破防法適用の要件はないと判断したのは公安審査委員会である。メンバーは堀田委員長(弁護士)、柳瀬隆次委員長代理(弁護士、元判事)、弁護士の山崎恵美子氏(元検事)、鮫島敬治・元日本経済新聞編集局長、中谷瑾子大東文化大学教授(慶応義塾大学名誉教授)、山崎敏夫元英国大使の六人。首相が任命し国会で承認された人たちだ。彼や彼女らが全員一致で請求を棄却したのだ。その時点で破防法は廃止され、公調も解体されるべきだったのだ。
オウム新法阻止の闘いの原点は、オウム破防法反対の時と同じように、松本サリン事件被害者の河野義行さんが私に教えてくれた人権思想だと信じる。その思想とは、第一にどんな犯罪も社会的なものであり、一定の個人を責め非難するだけでは社会は前進しないということ。第二に、国家には犯罪を犯したとされる人の思想や信条を裁く権利は絶対にないのだということだと思う。
オウム破防法の代理人を務めた弁護士たちは「破防法は人間と人間のコミュニケーションを破壊する」と強調していた。
先日久しぶりに帰国した友人のテレビ記者は「オウムが怖いとヒステリックに叫ぶ日本社会が恐ろしい。一つの方向に国家社会が突き進む風潮が危険だ」と語っていた。
戦後の法体系を根幹から否定し、団体の思想信条を取り締まりの対象とする新法の攻撃を目前にしながら、「オウムはまだ謝罪していないから反対運動を組織しにくい」などという呑気な議論をしている「市民運動」情況もまた怖いのである。
Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.10.22