翼賛体制で第二破防法の団体規制法が成立
参議院での参考人意見表明を無視した超スピード審議
浅野健一 99年12月3日私は99年11月30日、参議院法務委員会で参考人として団体規制法2法案についての意見を表明した。参考人質疑は、午後1時半から4時半まで行われた。それから3日後の12月3日午前、参議院本会議で成立した。衆議院4日、参議院3日間だけの超スピード審議で、破防法よりもっと危険な法律が成立した。悪法の総仕上げだ。
私には参考人質疑がアリバイつくりであることは分かっていたが、法務委員会の議員個人の責任を通告するために参加した。ここで自分の意見を言っておくことが重要だと思った。
委員会の模様は「週刊金曜日」12月10日号に書くので読んでほしい。
法務委員会の委員は21人いる。正副議長の議員以外は出席したが、自民党と自由党の議員のほとんどは、まじめには聞いていない。
参考人として招かれたのは、被害対策弁護団の武井共夫弁護士、三島聡・大阪市大助教授(刑法)、鈴木恒年・東京都足立区長らと私。私がトップで5人が意見を述べた後、各党の代表5人が質問した。民主党の竹村泰子さん、公明党の魚住裕一郎さん、共産党の橋本敦さん、社民党の福島瑞穂さん、無所属の中村淳夫さんはいい質問をしていた。自民党は当初塩崎議員が質問の予定だったが、取りやめになった。我々5人に対して失礼だと思う。
東京の新聞社で報道したのは朝日新聞と毎日新聞だけだった。毎日新聞は足立区長が法律施行後も住民票不受理を続けると述べたことを取り上げただけで、他の参考人四人の意見は全く書かなかった。朝日だけがきちんと伝えた。
破防法よりも危険な法案が参議院に回り、参考人が意見を述べたのに、それを全く伝えない。委員会に取材にも来ない。ここまでこの国のジャーナリズムは腐りきっているのだ。
以下は、私が委員会で配布した意見書全文である。
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1999年11月30日
参議院法務委員会 参考人 資料
同志社大学教授 浅野健一
はじめに
私は共同通信記者を22年間務めた後、94年から大学で新聞学を教えています。専門は人権と報道です。私は1996年に公安調査庁長官がオウムに対する破壊活動防止法による団体解散処分請求を公安審査委員会に行った後、弁明手続きの立会人の一人として、6回にわたる弁明手続きをすべて見守りました。弁明手続きに毎回参加して、破防法の違憲性と破防法を宗教団体に適用する不当性、公安調査庁の前近代的体質も再確認できました。公安調査庁担当者の民主主義とおよそ無縁な強権的振る舞いも肌で知ることができました。ご承知のように、公安審査委員会は97年1月31日、全員一致で請求棄却を決めました。公安調査庁は法務省の一部局であり、公安審査委員会も法務省の外局です。
公安審査委員会はオウムの将来の危険性に関して次のように述べています。
「本団体は、人的、物的、資金的能力を縮小、弱体化させつつ、閉鎖隔離的集団から広く社会内に分散した宗教生活団体へと移行していることがうかがわれるうえ、本団体をとりまく諸状況も本団体による暴力主義的破壊活動の余地を困難にしているなど、本団体をめぐる内外の諸状況は、本団体が前記松本サリン事件や地下鉄サリン事件等を惹起した当時の状況とは極めて大きく変化しているものと認められる。/結局、公安調査庁提出の書類をもってしては、本団体が、今後ある程度近接した時期に、継続または反復して暴力主義的破壊活動に及ぶ明らかなおそれがあると認めるに足りるだけの十分な理由があると認めることはできない」。
こうして将来の危険性は、委員会により否定されたわけです。公安調査庁が提出した「白抜き調書」「新聞記事」など、とても証拠とは言えないものが多く、傍聴していたメディア記者が呆れるほどのお粗末さでした。
一部政治家・メディアが「破防法に反対した文化人は、今のオウムの復活に責任がある」と非難しているが、破防法適用の要件はないと判断したのは公安審査委員会です。メンバーは堀田勝二委員長(弁護士)、柳瀬隆次委員長代理(弁護士、元判事)、弁護士の山崎恵美子氏(元検事)、鮫島敬治・元日本経済新聞編集局長、中谷瑾子大東文化大学教授(慶応義塾大学名誉教授)、山崎敏夫元英国大使の六人(委員の東芝会長の青井舒一氏は96年12月28日死去、後任補充なし)でした。首相が任命し国会で承認された彼や彼女らが全員一致で請求を棄却したのです。その時点で破防法は廃止され、公調も解体されるべきだったと私は思います。少なくとも、権限を縮小すべきだったのです。
破防法で教団の代理人を務めた内藤隆弁護士は、11月9日に衆議院第二議員会館内で開かれた集会で、「将来の危険性はないという証明がなされたのに、2年9カ月後に、第二破防法とも言うべき法案が出てきたのは、信じられない」と述べていました。私も、なぜこんな法律案が出てくるのか、と驚いています。
オウム真理教の幹部、一部信者が起訴され、一部有罪が確定していることについて、オウムの人々は真剣に考えるべきだと考えます。裁判でその真相が究明され、有罪が確定した場合、麻原被告らが信者と社会全体にきちんと説明し、罪を償ってほしいと思います。無罪を推定され、裁判を受けている現在でも、麻原被告らが何らかの意思表明をする社会的責任があると私は思っていますし、オウム関係者にそう伝えてきました。それがないために、市民の間から、反オウム感情が生まれているのは事実ですが、その一方で、一連の事件が、本当に検察・検察・メディアがいうように、教団全体で教祖の指揮のもとで遂行されたのかどうかは、裁判の場で完全に解明されたわけではないと思われます。教団以外の勢力が関与していないのかなども、まだ不明な点もあります。多くの一般信者はその計画さえ知らなかったという現実もあります。
近代市民社会は、連座主義。連座制をとりません。この2法案は明らかに、連座制を導入し、強化するものです。連座制はオウムだけでなく、あらゆる市民の結社の自由など基本的人権の尊重の原則を根底から覆すことになる危険性があると考えます。
オウムに対する住民の不安を取り除くために、この2法案が必要だという結論を、こんな短時間で引き出そうとすることのは、法治国家としてはいかがなものかと私は判断します。1 第二破防法としての団体規制法案
今回の団体規制法案の法律案趣旨説明は、二つのサリン事件について書いた後、「最近の国際情勢からみても、多数の死傷者を出した平成十年八月のケニヤ・タンザニアにおける米国大使館同時爆破事件に代表されるように、公共の場所で爆弾を爆発させるなどして多くの一般市民を犠牲にする無差別大量殺人事件が多発しております」と述べています。
なぜ、日本の法案の提案理由説明の中で突然、海外のテロ事件、とくに米国大使館に対する攻撃がここで引用されるのか違和感がありました。大使館と言えば、米軍が中国大使館を誤爆するという信じられない事件もありました。
国内、海外を問わず、「平穏な市民生活にとって重大な脅威である」危険な戦争、犯罪は後を断ちません。なぜ、サリン事件と米国へのテロがここで取り上げられる必要があるのかということです。
日本の新聞は、法案がいつ衆議院を通過する、いつ成立すると、占い師のような記事を書いていますが、絶対に成立させてはならない法案というのもあるのです。この2法案はまさに、その一つです。
とくに団体規制法案について論じてみます。
まず第一に、第二条と三条に「この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから」「拡張して解釈するようなことがあってはならない」「いやしくも権限を逸脱して、思想、信条、信教、、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利などを不当に制限するようなことがあってはならない」などと規定しています。これは破防法(第二、三条)も同じですが、当局の恣意によって拡大解釈される危険性があることを認めているわけです。現に、破防法は宗教団体を想定していないのに、公安調査庁はオウムに対して解散請求を行っています。
第二に、この法案の目的は第一条で、「団体の活動として役職員又は構成員が無差別大量殺人行為を行った団体」に対して「必要な規制措置を定める」となっており、第四条で、「無差別大量殺人行為」とは。「破防法第四条第一項第二号へに掲げる暴力主義的破壊活動であって、不特定かつ多数を、又はその実行に着手してこれを遂げないものをいう」としています。無差別大量殺人行為に、未遂も含まれるというのです。これでは、「対象をオウムに絞る」どころか、いくらでも拡大解釈が可能です。つまり、この法案は、破防法ではできないことを容易に行えるようするための法案であり、まさに第二破防法と言うべきでしょう。破防法よりも劇薬としての危険性が高く、悪法と言えます。政府首脳は当初、「破防法の改正やオウムへの破防法適用の再申請」を検討したのですが、それは無理ということで、2法案が提案されました。しかし、破防法改正では不可能なことを単独立法で実現しようというのは適切なことでしょうか。
この法案は処分が「観察処分」と「再発防止処分」の二段階になっています。
第二章の規制措置として、「観察処分」は「次の各号のいずれかに該当し、その活動状況を継続して明らかにする必要があると認められる場合」として、「当該団体が殺人を慫慂する綱領を保持していること」など五号にわたり要件が述べられています。「慫慂」という曖昧な言葉が法律に使われるのはこれまで例があるのでしょうか。しかも、破防法では団体規制の要件として、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った団体に対して、「当該団体が継続又は反復して将来さらに団体の活動として暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由があるとき」と規定されていたが、将来の危険性の証明は不要となっており、処分の決定がきわめて手軽になっています。
観察処分を受けた団体に対しては、団体活動や財務内容の報告聴取義務を課し公安調査官や警察官が団体の土地、建物に身分証明書を見せるだけで立ち入り、設備、帳簿などを検査できます。令状が必要なく、制限なしにです。これを拒否すると一年以下の懲役又は50万円以下の罰金が科せられます。
「再発防止処分」関しても、「次の各号のいずれかに該当するとき」として、「殺害し若しくは殺害しようとしている時に」「殺人を慫慂する綱領に従って役職員又は構成員に対する指導を行い、又は行おうとしているとき」など八号が書かれています。「しようとしているとき」(未遂)という判断を公安当局が行うのですから、歯止めはないと考えたほうがいいでしょう。
施設の利用や信者の勧誘を禁止するこの処分は団体解散命令にも等しいもので、処分に違反した行為を行えば、二年以下の懲役、又は100万円以下の罰金が科せられます。
これら処分は、公安調査庁長官の請求で、簡単な公安審査委員会の審査で行うことができます。意見聴取の公示の日から30日以内に出すようにという規定もあり、現行の破防法より簡易迅速化されています。
これらのいずれの処分も、決定前に規制を受ける団体が異議を申し立てる十分な機会はなく、破防法が規定している弁明手続きもありません。行政処分でありながら、行政不服審査法による不服申し立てもできません。
公安調査庁(公調)は一時リストラの最有力官庁とされていました。オウム問題で復権し、95年12月には破防法団体適用を申請しましたが、前述のように公安審査委員会は97年1月、これを棄却し、公調は再び解体の危機を迎えました。必死に生き残りをはかる公調は、オウムが復活しているという宣伝をメディアを通して展開し、2法案までこぎつけてきたのです。
公調は警察の捜査に同行するだけで強制捜査権は持っていませんでした。新法ができれば、公調はその体質を改善することなく、組織をさらに肥大化させ、オウム以外の市民運動、宗教団体などを「観察対象」に拡大していくのは間違いないでしょう。
2法が、組織的犯罪対策法の成立を受けて登場してきたことが重要です。憲法、刑法、刑事訴訟法などの個人責任原則から、団体責任への転換をはかろうとする意図も持っており、実質的に保安処分の導入でもあります。戦後の法体系を大転換するもので、行政警察的権限を強化し、管理社会化、警察国家化を完成させようとしています。
公安調査庁ではなく、公安委員会・警察にだけ、権限を与えるべきだという議論もありますが、日本の警察もまた、その非民主主義的体質が問題になっているところです。神奈川、佐賀、京都だけでなく、警察全体の見直しが必要です。警察、とくに公安当局の透明性を高めることが何より重要です。それなしに、第二破防法に警察がほぼフリーハンドで参加できるのですから、その濫用が危惧されます。
国会がまずやるべきは、警察や公安調査庁など公安当局に憲法、刑事法などを守らせるための法整備を考えるべきです。北欧で花開いたオンブズマン制度と公的情報への自由なアクセス権を確立する仕組み(情報公開法を捜査当局にも適用する)を確立すべきだと思います。「特定破産法人の破産財団に帰すべき財産の快復に関する特別措置法案」も、団体規制法とセットになっており、現行の法体系を崩します。松本サリン事件の被害者である河野義行さんは2法案に反対を表明しています。11月29日に電話で聞いたところ、「マスメディアの取材に対して、反対の意見を出した。本当にオウムだけを対象にするなら、時限立法でいいはずなのに、そうしないのは他の団体にも使えるようにしたいのだろう。またオウム関連の財産を推定で破産財産に組み入れることには問題がある。明確に隠し財産であることが立証される必要がある。犯罪被害者救済については、本来、他の先進国で行われているように税金で賄われるべきであり、早く犯罪被害者救済法を制定させるべきだ」と話していました。被害者救済は他の犯罪被害者に対する公的救済措置を確立すべきだと私も思います。
11月18日の東京新聞夕刊によると、法務省の幹部は匿名で、この2法案は、オウムの広報部長であった上祐史浩氏が出所する前に施行したいとコメントしています。一人の人間のために法律の施行を急ぐなどという国は民主主義国と言えるのでしょうか。日本の既存の法律そして法の執行機関はそんなに頼りないものなのでしょうか。
衆議院における修正で、「例えばサリンを使用するなどして」、「十年前以前にその行為が終わったものを除く」「規制を受けた団体が公安審査委員会に取消を促すことができる」、「公安審査委員会への書類の提出」「五年ごとに廃止を含めて見直し」などが行われましたが、この法案の危険性はほとんど変わっていないと思います。2 メディアと当局が煽った「反オウム」感情
ここで私は、マスメディア報道の問題にふれたいと思います。団体規制法関連の二つの法案は、「オウム真理教が再び活動を活発化させ、国民の多くが再びサリン事件のような凶悪な犯罪を犯すのではないかと不安を抱いている」ということ、またそのために「全国各地で住民とトラブルを起こしている」ことを、自明の前提として用意されています。
しかし、私は、こうしたオウム危険論は、本当に実態としてあるのかはなはだ疑問だと感じています。
私はオウムの信者数人と今も対話することができますが、信者たちのほとんどは過去の起訴されて一部有罪が確定している一連の事件について、無反省で平然と信仰生活を続けているわけではありません。オウム以外の市民と同じように、人間として悩み、苦しみながら、生活している人も少なくありません。ある出家信者は、「今の教団は内部ががたがたで、代表する者もいない状態だ」と打ち明けてきました。オウムが最も組織として混迷している時に、2法案が審議されているのです。
日本の大多数の市民が抱いている不安は、警察や公安調査庁などの公安当局による公式、非公式の情報と、そうした当局の情報を自らチェックせずに、タレ流しているマスメディアによって形成されていると思われるのです。
オウム真理教は95年に解散命令を受けて、96年からは施設から富士山麓の教団施設から撤退して以来、全国各地に分散して信仰生活を続けいました。教団によると出家信者5○○人、在家信者1○○○人ということです。
オウムが復活し、住民とのトラブルが頻発しているという大々的な報道が、急に始まったのは99年2月でした。政府与党が盗聴法などの組織犯罪取締法関連法案などを準備している頃でした。警察庁や公安調査庁が「オウムの復活」をPRする一方で、「オウムと住民とのトラブル」を受けて、反オウムの住民運動が各地で組織されたと私には思われます。
99年3月には茨城県三和町でも23人の信者の転入届が不受理になりました。三和町の町長は「憲法に違反することは分かっているが、オウム関係者の住民票を受理しない」と語ったと報道されました。三和町では、以前からオウムの信者が多数住んでいたのに、突然排斥運動が起きたのです。
私は8月初旬に栃木県大田原市佐久山地区のを現地調査しました。大田原のケースをもとに、反オウム運動が本当に住民による自然発生的な運動だったのかどうかを見てみましょう。
朝日新聞が5月31日の栃木版に、「オウム、鹿沼で土地探し?/住民ら、進出阻止へ/連絡協結成し警戒」という大きな記事が出ます。この記事は、《不審な「多摩」ナンバーの白い乗用車》がオウムの車両で、地図を見ながら携帯電話をかけていた運転手は、茨城県三和町に住む教団元科学技術省出身の出家信徒と見られる、などと報じました。これは明らかに警察からのリークで書いた記事だと思われます。
6月26日には下野新聞の一面トップに、「オウム、大田原に進出/松本被告の子ら転入届/1人受理、2人保留」という凸版見出しの記事が出ました。下野新聞に“スクープ”でした。社会面は「全住民挙げ戦い抜く 怒りと不安訴え 緊急区長会」。「なぜ大田原に来るんだ 突然の出現 住民衝撃 教団の説明会に反発」というサイド記事もありました。「とにかく出ていけ」という住民の声を伝えました。この新聞を見た河野義行さんは「戦争中の新聞はこんな感じだったんでしょうね」という感想をもらしていました。
下野新聞はこれ以降、菊池社会部長の発案で「オウムが来た」というワッペンを付けて報じています。一頁を使ったグラフ特集も組んでいます。
信者1人と、麻原氏の子ども2人が転入届を出したのは、6月25日午後1時過ぎです。下野新聞に情報を流したのは市当局者以外に考えられません。
下野新聞を含めマスメディアの地元記事は、必ず「自治体や住民と信者の間でトラブルが起きている問題」という書き出しです。しかし、トラブルは行政当局とメディアがつくりだしているのではないでしょうか。
現地調査で不思議だったのは、オウムは危険だという市議会議員、地元記者、反対住民のほとんどがオウムの住居の中を見ていないということでした。
「マスコミで元民宿の施設に入って取材したのは朝日新聞だけだと、浅野さんはうちの社を評価するが、私は、うちの社が住居の中に入って取材することに反対して、取材にも行かなかった。彼らの住居に入って取材したら、あそこが安全だと分かってしまうからだ。私は住民が反対運動をする気持がよく分かる」。
「市議会で視察を行い『危険はない』と確認をしても、住民は撤退を強く求めており、意味がない」。 初めの言葉は、朝日新聞宇都宮支局の若い県庁担当記者が九九年八月四日、私に語ったもので、二番目は栃木県大田原市市会議員が七月二八日、市議会オウム対策特別委員会(柳田崇夫委員長)の席上、発言したものです。
市当局が不受理を表明し、地区住民が「オウムは出ていけ」と激しい排除運動を行っている中で、権力を監視することが仕事であるジャーナリストと、行政当局の不正をチェックするべき地元議員が、オウム信者の住宅を実際に見ると、「危険はない」と分かってしまうから、見るべきではない、と口を揃えていうのです。
「公共の福祉」という言葉以外には、具体的危険性も示しえないまま、過去に凶悪な事件を起こした団体のメンバーだから、気持が悪い、不安だという住民の気持は理解できるとして、行政が違法を承知で生存権を奪うのです。
「よくわからないが、とにかくオウムは怖い」という理由から、信者の「生きる権利」を奪っているのです。商店は「オウムには売らない」という不売ステッカーが貼られ、新聞の宅配も拒否、LPガスを売らない。公衆浴場に入れない、ゴミ・し尿処理を受け付けない、水道メーターの検針を拒否するなど、ライフラインのほぼすべてを拒否されていました。住民のデモのプラカードに、「地球から出ていけ」「宇宙へ行け」という文字がありました。
オウム信者たちは、住民たちの「罵声」をビデオに収録している。このビデオは九月一五日に宇都宮で開かれた「『公共の福祉』を考えるーオウム真理教信者の転入届不受理問題をめぐって」という集会で公開されました。
「おっかあのところへ帰れ。だけどお前らには家族がいねーんだよな」「麻原にだまされているのがわからないのか」「お前らは一生出世なんかできねー。麻原にこき使われて死んでいくだけだ」。「ヨーガをやっているだけのに、何で宗教なんだ」
住宅の中の住民にライトをあてて、「○○、この前、おめーと顔を合わせたよな。目をそらすなよ。」「○○」と信者の名前を呼び捨てにして、あげつらう。「死ね、お前らの居場所はどこにもないんだよ」「おめえらが生きるところはないんだよ」。
集会では、七月二一日に住宅入り口に右翼団体を名乗る男性がトラックで突入し、敷地内で門を開けようとした信者二人がはねとばされるシーンも上映されました。信者が設置している防犯カメラがとらえた映像だが、男性はゲートの前に横付けした後、バックで突入したのが分かります。信者は軽傷ですんだが、死者が出てもおかしくないケースです。
また右翼団体が街宣車の上からゲート越しに缶などを投げつけ、信者が顔面を二針縫うけがをした時のビデオも見ました。
オウムが怖かったら、こんなことはできないはずです。オウムの広報部の責任者を取り囲んで、耳元にハンドスピーカーでがなり立てているシーンを見ましたが、相手が弱いと見ているから、あんな乱暴なことができるのではないでしょうか。
組織暴力団の事務所や組長自宅の前であんなことができるでしょうか。もしサリンを再びまくような危険な団体なら、絶対に怖くてできないはずです。
日本は法治国家のはずです。私にはオウム信者だという理由だけで、「オウムには人権はない」「人権が制限されて当然」と断定して、よってたかって排除する集団ヒステリー的な日本社会の方がよほど怖いと思います。
大田原市の「オウム排斥」の動きは全国に広がり、東京でもすべての区がオウム信者の転入届の不受理を表明。東京都も信者に公共施設を使わせないと決めました。各地の自治体や地方議会から政府に対して、破防法の「改正」やオウム立法を求める意見書が寄せられました。地域社会から出て行け、自治体には来させないと決めておいて、国に「オウム対策」を求めるという大合唱を背景に、公安当局とメディアの二人三脚でつくりあげた「オウム対策の新法を」という世論を背景に、この2法案は出てきたのです。
この2法案に反対すると、オウムに味方したと思われて、次の選挙がやりにくいという声が一部の国会議員にあると聞きました。
3 監視下にあるオウム
オウム信者は95年3月に強制捜査されて以来、少なくとも集団での違法行為は起こしていません。宗教法人法による宗教団体として解散命令が出され、現在は「任意団体 オウム真理教」です。信者たちは警察、公安調査庁、地域住民、マスメディアなどの監視下にあり、「微罪・別件」逮捕は日常茶飯事です。マンションの郵便受けにビラを入れようとしただけで住居侵入容疑で逮捕され、ビラが押収されました。実際の住居と住民票の住所が異なるとか、ホテルに偽名で泊まったなどという理由で逮捕され、関連先として多数の住居や事務所が家宅捜索されています。現行法を拡大解釈して、公安労働事件で駆使された捜査方法で組織を根絶やしにする強硬な政策がとられています。
皆さんには是非、森達也監督の「A」を見てもらいたいのです。公安警察がオウムの信者を不当逮捕する一部始終が描かれています。
この法案の背景にあるという「反オウム感情」は、例えば、99年9月29日の長野県木曽福島町の「蓮華」と呼ばれる「施設」であった監禁容疑での信者2名の逮捕、8月24日のいわゆる松本サリン事件の被害者の家族がオウムに連れ去れたなどの大報道の中で大きくなってきました。
「女性信徒監禁事件」は、98年3月から4月3日にかけて教団施設から出たいと訴えた女性信者を施設内に監禁したとして逮捕されたが、東京地検は10月21日、逮捕された2人を処分保留で釈放しました。「現段階では、起訴するだけの証拠がないろ判断した」(毎日新聞)というのだが、この女性は行き場がなく、オウムの人たちが世話をしていたというのが真相のようだ。
また「女子大生拉致」は「狂言」だったことが、10月25日に分かった。
二つの事件とも、オウムの犯行と決め付けて、オウム側の反論はほんの小さく報じただけでした。
有力新聞社は、この2事件を有力な根拠としてあげて、団体規制法の必要性を論じています。
各マスコミは、オウムに対し謝罪していません。当局の見方をそのまま報じれば、マスコミは免責されると基本的に思っているのです。その上、相手はオウム。何を書いても許されるとでも考えているかのようです。
新聞各紙は、この間、「捜査当局と公安調査庁によると」と公安調査庁が情報源であることを明らかにして、「信者が約二千百人にのぼり、主な活動拠点は、約四十カ所に達している」とか「教団関連の企業は約四十社に及び、中でもパソコン販売は九八年の年間売り上げが七十億円を超えたといわれる」(七月二九日の朝日新聞)「オウム真理教は最近、全国各地に拠点を設けるなど活動を再び活発化している。このため、各地の自治体が信者の住民登録を拒否するなどトラブルが相次ぎ」(九月九日の朝日新聞」などと公安情報をタレ流してきました。公調のデータなど信用していいのでしょうか。公安調査庁は一部の新聞記者、政治家、研究者の動向だって監視しているのではないでしょうか。破防法が成立する前には、多くの新聞社、労組、大学教授会が、戦前の治安維持法の復活だとして反対しています。その破防法よりも、要件のゆるやかな法案が出てきているのです。
「任意団体オウム真理教」は「オウム真理教の現状と教団を取り巻く諸問題」と題した冊子を発行して、信者たちは信仰を続け、住む場所を探しているだけだなどと反論していますが、2法案に反対する文書も提出されています。しかし、オウム側の声、主張がメディアにフェアに報道されることはほとんどありません。
95年3月以来、オウム信者のうち四百人以上の人が逮捕され、約百人が起訴されました。裁判が進行して、一部は有罪が確定しています。しかし、一連の事件については、「自暴自棄になった麻原教祖の指示で引き起こされた」「教団の教義が犯罪を引き起こした」という当局とメディアがつくりあげてきたイメージが、事実、または真実なのかは、まだ明確になっていないという指摘もあります。麻原被告の裁判の成り行きが注目されます。
4 米NYT紙が日本社会を分析
8月27日のニューヨーク・タイムズ一面に「日本がカルトの人権を激烈に侵害」という見出し記事が掲載されました。私も取材を受けて、コメントが載っています。オウム反対運動を日本の憲法に抵触する疑いが濃厚であると指摘した記事です。
シムズ記者は取材の中で私に、「自治体の長が、違法であることを認めて、住民票を受け付けないと言っている。日本では、官庁の責任者が法律に違反する行為を行った場合、どの官庁が取り締まりにあたるのか」と質問。「法務省なんだろうな」と答えるしかありませんでした。
シムズ記者は、オウム信者の住宅を覗き込もうとして裏山に登る男性の「これが悪い奴だ。悪いんだ」と述べるところから長文の記事を記事を始めています。記事は、オウムには憲法で保障されているはずの生存権もないという風潮の中で、「オウム信者に対する政府の扱い方について批判する人は、数人の人権活動家、憲法学者以外にはほとんどいない」と指摘。その数少ない人たちのコメントを引用。この記事に登場する警察当局者は匿名を条件に話しています。法務省人権擁護局の課長補佐は顕名で、「正式な申し立てがないと動けない」「住民とオウム信者の両方に人権がある」とコメント。荒木氏が、広報責任者として紹介され、意見が載っています。住民や右翼の嫌がらせや暴力についても伝えています。
同紙は9月12日、11月3日にも、団体規制法案について書いています。
日本のメディアにはこういう記事は載りません。
5 「冷静な対応」訴える河野義行さん
9月15日宇都宮で開催された「『公共の福祉』を考えるーオウム真理教信者の転入届不受理問題をめぐって」という集会で、パネルディスカッションを行いました。パネリストは松本サリン事件被害者の河野義行さん、山下幸夫弁護士で司会を私が務めました。
河野義行さんは集会で次のように述べました。
《住民たちが騒いでいるビデオを見ていて悲しくなった。あまりにも醜い。長野県北御牧村でも、オウムと住民との間でいさかいがあった。地元テレビ局が特別番組をつくったので見たが、車が入ろうとすると「村から出て行け」と叫ぶ。小さな子どもが出てきて、「オウムにさらわれるから怖い」と話していた。テレビ局にコメントを求められたので、「これはどう考えても、住民がオウムに対して人権侵害を犯しているとしか思えない」と言ったら、住民からテレビ局に、「どうしてあんなコメントを放送したのか」などと抗議があったそうだ。
栃木のオウム信者に対する動きを見ていると、オウムの現状と五年前の自分がダブってきた。私も犯人視報道によって、一日二○、三○件を超える無言電話や脅迫状があった。「町から出て行け」「人殺し」などと言われ、もうちょっとで社会から抹殺されるところだった。「こんな状態なら死んだほうがいい」と思いつめたこともある。「意識不明の妻がいるのに、今ここで自分が死んだらどうなるのか」と、思い直して生きてきた。警察官は「さっさと白状しろ」と迫った。住民も同じだった。そうではないと分かった時に、一言でもいいから、謝ってほしいが、ほとんどの人はそうしていない。
オウムの人は家を買ってそこに住んでいるだけだ。何もしない人が、あそこまでいじめられたら、普通の人でも牙をむく。住民は感情論だけで対応せず、冷静によく話し合ってほしい。松本サリン事件も、オウムが食品工場を松本市内につくろうとして、住民とトラブルになった後に起きている。そういう意味で住民にも責任がある。栃木でも、被害者が出たらどうするのか考えてほしい。
大田原の信者は「人殺し」ではない。何かやっていれば逮捕されているはずだ。当局は微罪でも逮捕しているのだから、違法性があれば捕まえるはずだ。彼らは違法行為をしていない。そんな中で、行政は麻原さんの子どもたちに嫌がらせをしている。
本当にオウムが怖かったら、「お前は出ていけ」とは言わないはずだ。自分の命を失うのが怖いから。この人たちは、オウムは怖くないと見ている。
行政は決められた法律をきちんとすすめていくのが仕事だ。住民票、建築確認申請書を受理しないのはおかしい。憲法に違反することを承知して判断している。
集会の前に荒木広報部副部長らに初めて会い、オウムの人たちに行政訴訟を起こすように勧めた。もし裁判で市長が敗訴したら責任をとって辞めてもらいたい。
オウムがなぜ怖いのか。これから犯罪を犯すかもしれないというなら、暴力団の方がよほど怖いのではないか。暴力団の事務所に向かって「この町から出ていってくれ」とは言わないだろう。
「あいつを殺したい」と思うだけでは罪にならない。殺すための道具を入手したりすると犯罪の対象になる。
この土地って無法地帯みたいだと、信州から見て思う。
かつてオウム信者の人たちがサリンをまいたとされている。だからそこに所属していた人たちにも責任がある、と言うのだが、例えば私が殺人事件を起こしても、私の子どもには罪はない。「ここから出ていけ」というなら、どこへ行けというのか。オウムの人たちの居場所を、オウムの人たちに納得して住んでもらえるような場所を、特に行政は用意すべきだろう。
ラベルだけで人を見たり、世の中の流れだけで判断してはいけない。法治国家なのだから、オウムの人だからといって、具体的な事実もないのに排除するのは間違い。
先ほど荒木さんと話をした。まだまだ真実が分かっていないし、捕まっている人たちには無罪推定の原則があるというのはその通りだが、社会からなぜこんなに叩かれているのかも考えてほしい。私は、・今は裁判で係争中で無罪推定が原則というのは分かるが、何年か後にオウムの組織的犯行という有罪判決が出て確定した時に、被害者の人たちに対してどうするのか今から考えてほしい・皆さんも生活している中でいっぱいいっぱいだろうが、余剰金が出たら法務局に供託して、有罪が確定したら、被害者に手渡すというようにしたらどうかーと伝えた。
今のような険悪な状態、人と人が恨み合うのは、どうかと思うのでそうお話しした。》
河野さんの話を受けて、荒木氏が「一連の事件にかかわっていない信者たちは、一体何が起きたのか分からないまま今日にいたっており、真相解明を望んでいる。教団としても、市民の間にあるオウムへの不信、憎悪について真剣に考えており、近いうちに何らかの見解を示したい」と述べました。また賠償金供託については、「貴重なアドバイスとして長老部にも伝えたい」と語りました。
山下幸夫弁護士は、九五年に熊本地裁が波野村の転入届不受理に関してオウム信者が起こした民事訴訟の判決で、明白に違法とされたことを紹介し、大田原市の処分も住民基本台帳法に明確に違反していると強調した。山下氏は「行政の長である市長が感情論で判断してはいけない」と述べました。
6 社会のルールを守ろう
河野さんは7月に私の取材に対して、「法の支配」「適正手続きの保障」が現在の日本におけるルールなのだから、どんな例外もなくすべての市民にそれらが適用されるべきだと述べています。そうでなければ、自分を犯人と疑って捜査し、犯人と報道し、報道を信じて社会的に排除した、警察・報道機関・市民を批判できないというのです。
「オウムの人はビラをまこうとしただけで逮捕されている。自治体の首長が、『憲法に違反することは分かっているが、オウム関係者の住民票を受理しない』という。これでは無法地帯であり、行き過ぎだ。一方でかなり公然と非合法なことをしている組織暴力団にはほとんど何もしない。オウムは実際には力がなく怖くはないし、現行法では違法なことを何もしていないと分かっている。オウムはなんにもできない。買い物もできない。だから、むちゃくちゃをしているのではないか」。
河野さんの妻、澄子さんは今も意識がほとんどない状態です。河野さん自身にも後遺症が残っています。その河野さんが次のように主張します。「オウムは出ていけというが、誰がどうやってオウムかどうかを判定するのか。どんな人にも自由に信仰し、考える自由がある。刑罰は裁判所が言い渡すというのが決まりなのに、九八年夏の和歌山カレー事件も同じだが、実際にははやばやと世の中の人たちが制裁を加えてしまっている。こんな悪い奴は許さんぞという動きは間違っている」。
オウムを生みだしたのは、私たちの住む日本社会です。オウムは出て行け、なくなってしまえと叫ぶだけでは解決にならないと思います。オウム信者との対話を通して解決をはかるよう努力することのほうが、長い目で見ていいと思います。日本社会は、寛容な社会を目指すべきです。この2法案は、そうした社会に向かうための大きな障害になります。
河野義行さんが私に教えてくれた人権思想は、第一にどんな犯罪も基本的には社会的なものであり、一定の個人を責め非難するだけでは社会は前進しないということ。第二に、国家には犯罪を犯したとされる人の思想や信条を裁く権利は絶対にないのだということだと思います。
オウム破防法の代理人を務めた弁護士たちは「破防法は人間と人間のコミュニケーションを破壊する」と強調していました。
先日久しぶりに帰国した友人のテレビ記者は「オウムが怖いとヒステリックに叫ぶ日本社会が恐ろしい。一つの方向に国家社会が突き進む風潮が危険だ」と語っていました。
この2法案が成立すれば、結社の自由、そして表現の自由が当局によって制限を受けることになると思われます。マスメディアに働く人たちにとっても重大な問題です。今年2月以降の取材報道を検証して、世論を誤った方向に誘導していないかどうか点検してほしいと思います。そして破防法が審議されていた1953年当時の自社の社説や記事を読み直してほしいと願います。
本委員会の議員の皆さん、そしてすべての国会議員の人たちが、この2法案が日本における民主主義と人権の確立のために、危険な要素を多く内包していることを深く考えてほしいと願います。95年12月から97年1月まで、公安審査委員会のメンバーの人たちが、真剣に取り組み、結論を出した姿勢に学び、歴史に耐えうる判断をしていただきたい。現在のオウムの実態、国民感情の成立過程を慎重に調査して法案の是非を判断してほしいと願うものです。
(注)オウム真理教と破防法、オウム報道については拙著『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)『マスコミ報道の犯罪』(講談社文庫)と共著『オウム「破防法」事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)を参照してほしい。
浅野健一(あさの・けんいち) 1999年11月30日現在のプロフィール
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1948年7月27日、高松市生まれ。66ー67年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学。72年、慶応義塾大学経済学部卒業、共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年2月から92年7月までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。77ー78年、共同通信労組関東支部委員長。94年3月末、共同通信退社。
93ー95年慶応義塾大学新聞研究所非常勤講師。94年4月から同志社大学文学部社会学科教授(新聞学専攻)、同大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程教授。
96年12月から97年12月まで、同志社大学教職員組合委員長。
99年3月から厚生省公衆衛生審議会疾病部会臓器移植専門委員会委員。
共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号、ファクス03ー3341ー9515)世話人。日本マス・コミュニケ−ション学会会員。
著書 主著に『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)。
編著に『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)。共編著に『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。
共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『派兵読本』(社会評論社)、『成田治安立法・いま憲法が危ない』(社会評論社)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件報道の罪と罰』(河野義行氏との共著、第三文明社)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)などがある。
『現代用語の基礎知識』(自由国民社、1998・99年版)の「ジャーナリズム」を執筆。
監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。
E-mail:kasano@mail.doshisha.ac.jp/VZB06310@nifty.ne.jp(電子メールの場合は、お手数ですが、両方に送ってください。VZBの後は数字の0です)
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