論評 石原知事の誕生と「不審船」騒ぎ 99年5月7日記 浅野健一
かつて美濃部東京都知事が「ファシスト」と呼んだ石原慎太郎氏が東京都知事に選出された。私は彼の当選直後の発言の中で、許せない内容があったので朝日新聞に投書した。ボツだった。
石原氏は選挙直前まで中国のことをシナと呼び、かつては南京大虐殺はなかったとうそぶていた。最近は「数の問題だ」と居直り、(日本軍による虐殺の被害者は)一万人ぐらいだと主張している。「徳目」教育を強制しようとしている石原氏の今後の言動を監視しよう。
以下は朝日への投書の全文である。
99年4月13日朝日新聞社「声」欄
ファクス03ー3248ー5588
〒277ー0827 柏市松葉町7ー13ー6
浅野健一(同志社大学文学部教授) ファクス0471ー34ー8555
500字
▼不適切な少女暴行事件への言及 柏市 浅野健一 大学教員 50歳
東京都知事選挙で十一日夜、当選確実を決めた石原慎太郎氏の発言で気になることがいくつかあった。石原氏は「既成政党の存在価値がほとんどなくなった」と述べたが、彼自身、今も自民党党員のようだ。知事選で選挙対策本部長を務めた長男の石原伸晃氏は自民党の衆議院議員だ。
石原氏は「私は都庁へ一度も行ったことはない」など言いたい放題だったが、九五年九月に米兵に乱暴された少女の年齢など属性を明らかにしたうえで、事件についてどぎつい表現をしたのは看過できない。この事件で、メディアは少女が特定されないように、「沖縄本島北部の少女」としか報道してこなかった。
石原氏は尖閣諸島領有問題があった時期に少女の事件が起きたと述べ、米国が日本の領土を守らなかったのは不当だと批判した。石原氏の論の立て方は乱暴であり、米軍基地を抱える沖縄で起きたこの事件の被害者ら「社会的弱者」の傷みに共感する感性と想像力に欠けていると感じた。(了)
投書の最後に(注)として、属性の内容、「どきつい表現」の言い方を、石原氏の発言通り書いた。この発言はテレビ中継で全国に生中継された。
石原知事の誕生とほぼ同時に、「不審船」騒ぎで、戦後の新憲法下で、自衛隊が初めて「実戦」発砲した。これを自民党から共産党まで認めた。社民党などだけが批判していた。「不審船」になぜ武力を使うのか。朝鮮民主主義人民共和国(DPRKa朝鮮、私は原則として「北朝鮮」という表記はしない)の方角に「逃げた」からといって、それが朝鮮の国家としての「工作」活動だとなぜ断定できるのか。
不審な船はそう珍しくない。密輸や密入国の事件は絶えない。日本政府は今回の「不審船」を大騒ぎする3日前に確認していたようだ。
明らかに戦争総動員を可能にするガイドライン関連法を通すための世論工作だ。メディアはそれに積極的に加担した。産経は「日本海波高し」という見出しを付けた。FNNのファシスト木村太郎は「平和ボケの日本」にとってよかったなどと発言した。
「不審船」は朝鮮の工作活動だとメディアも断定的に報じている。しかし、東京のど真ん中のホテルから金大中氏がら致された時、日本政府は「関与していない」と主張してきた。国家としての犯罪、不適切な行為はなかなか究明できない。日本のメディアはどこまで追求したか。
「不審船」騒ぎで怖いのは、朝鮮に対して、もっと強い姿勢(武力行使)をするべきだという世論ができたことだ。メディアを通して情報を得る市民は朝鮮に敵意をもって、日本はもっとやれと言っている。朝鮮をつぶせという声まで出ている。朝日新聞は本紙で「北の脅威」を煽る特集を組み、「アエラ」増刊号でも排外主義を扇動すした。もし、我々がピョンヤンに住んでいたとして、朝鮮の方から日本を見るとどう感じるか。沖縄の米軍基地(米海兵隊が海外にいるのは沖縄だけ)、核兵器を積載していないはずはない米軍の空母(石原氏は在日米軍基地に核兵器があると断言している)。かつて朝鮮を31年間侵略したことを全く反省も認識もしていない日本社会。
日本は外敵からどう守るかより、再び軍国主義、全体主義の国家にならないためにどうするかを考えたほうがいい。
にもかかわらず朝日をはじめ、日本の新聞社は米軍の侵略戦争に加担するガイドライン関連法などに全面的に反対しない。後方支援はいいとか、外敵の攻撃から自衛するのは当然だという論調である。公明党も自民、自由に乗った。沖縄選出の白保議員だけが棄権した。
日本のファッショ化をチェックできず、米軍のユーゴ空爆に明確な反対もできないメディア。人民が最も知りたいことを取材せず、伝えようともしないこの国のジャーナリズムはまさに瀕死の状態だ。
こういう時代は、自分で考え行動する自立した個人になることが必要だ。臣民から市民へ。国家と市民の関係を学ぶためには、市民革命について学ぶこと。空想的社会主義者、ヘーゲルからマルクスへと展開した思想家の古典を読むことを薦める。
慶応義塾大学で講師をしていた大塚金之助・一橋大学名誉教授は各年の最終講義で、「日本がもしファシズムに向かい、侵略戦争を起こす兆しがあれば、職場や地域で闘え。それが大学で社会科学を学んだ諸君の義務である」と訴えた。大塚教授は治安維持法違反で逮捕され、敗戦までの保釈中は小泉信三慶応義塾塾長が三田の図書館の職員として雇用した。その恩に報いるために、亡くなるまで慶応大学で非常勤講師として講義を続けた。思想信条の違いを乗り越えて、権力から学問の自由を守るべきだ。
(了)
Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.05.09