1999年3月1日

情報公開イコール報道OKではない

脳死・臓器移植報道検証

浅野健一

テレビの画面に移植手術に提供されるビニール袋に入った心臓の映像が写った。 臓器提供を受ける患者が手術室に運ばれる姿も放送された。手術の模様も流れた。 見たくなかった。TBSが二月二八日夜にオンエアしたニュースの一こまだ。ど うしてこんなに騒ぐのか。臓器を提供した病院前に林立する中継車のパラボラア ンテナは、九八年夏から秋にかけて和歌山市園部で繰り広げられた風景と同じだ。

 

脳死判定から臓器移植へ。脳死での臓器提供に同意する意思表示カードを持つ病 院の患者は二月二八日午前、臓器移植法に基づく手続きで脳死と判定され、この 患者をドナーとする臓器移植手術が各地の大学病院で行われた。九七年十月の同 法施行以来、国内初の脳死移植となった。三月一日の新聞はまるで戦争でも起き たのかと思うほどの派手さだった。

大学病院は手術の模様を報道陣にテレビ映像で見せた。大学病院の教授たちが記 者会見で、移植手術を成功させて喜んでいるのが画面や行間から伝わってきた。 臓器提供の側の医療機関の医師たちも嬉しそうだ。ドナー患者と家族がメディア の集中豪雨的な報道の中で埋没しているような感じを受けた。先端医療とマスメ ディアという名のモンスターに振り回されたような気がしてならない。科学者と しては「新しい時代」に入った喜びがあるのだろう。でも、これでいいのだろう かと思ってしまう。

▼善意の提供者に異常な取材

二月二五日から報道が始まり、全国メディアが殺到。病院名も明らかにされた。 脳死判定の結果も出ていないのに、テレビのネット局が病院前から生中継を開始。 「法施行後初の移植手術」への期待を煽るような報道が展開された。取材現場は 異常な興奮状態となった。

病院は当初「臨床的な脳死」という曖昧な表現で発表。ところが、二五日に行わ れた最初の脳死判定では判定基準を満たさず、二六日の診断であらためて「臨床 的な脳死」と判断。再び判定の手続きがあり、二八日午前、最終的に脳死と判定 された。

一部テレビは家族の自宅を取材し、放送した。一部メディアは患者の年齢、市町 村名、病名、運ばれてきた経緯などを詳しく報道。ニュースキャスターの質問を 受けて、生中継で立ちレポした現場記者が患者の年齢などのプライバシーを明ら かにしてしまうケースもあった。報道の当初から、患者の特定につながりかねな い状況となった。

一部の記者たちは病院側に、「臓器を摘出する場面を撮らせてほしい」「臓器を 写させてほしい」などと申し入れた。「時間がたってきているが、提供を希望さ れている臓器に影響はないか」という質問をした記者もいた。日本のニュース報 道は、すべてがワイドショーのようになってきた。 地元の記者たちは「患者のプライバシー保護が前提の上で臓器移植とそれに関す る報道がなされるべきなのに、主治医が家族のプライバシーが踏みにじられるこ とへの不安、不満を代弁せざるを得なかった。報道被害は事件現場だけでなく、 善意の提供者の周辺にも起こりつつある」と語っている。外国では絶対にドナー 患者のプライバシーは明かされない。

ドナーの家族から二六日、「今後二回の脳死判定については一切公表せず、遺体 の帰宅にあたって取材を控えるよう強い要望が出された」(毎日新聞)。これを 受けて病院側は、脳死判定について、その時点では公表せず、臓器摘出後、家族 の承諾が得られた時期以降、脳死判定の経緯に関する経緯を公表すると決めた。 一方、厚生省保健医療局長は二六日、「報道関係の皆さまへ」に「お願い」の文 書を出した。文書は、「ご家族から、病院を通じ、患者及びその家族のプライバ シーにふれる報道が繰り返しなされていることについて、耐えきれないという訴 えとともに、プライバシーに係わる報道を自粛してほしい旨の強い要請があった ところであります」「私どもとしても、臓器移植の諸手続きの中で、患者・家族 の方々のプライバシーを守らなければならないことは当然のことと考えておりま す。特に重篤な状況にあるご家族の御心情を考える時、この念を強くする次第で あります」などと述べている。厚生省の幹部が報道機関にこうした文書を送るの は極めて異例だ。

患者の家族は二八日に患者、家族のプライバシー保護をと訴えた所感を発表した。 家族はその中で、「遺体および家族は、すべての臓器摘出後、報道関係者からの 撮影・取材を受けることなく平穏に帰宅し、生活を続けていきたい」「報道関係 者は、患者および家族のプライバシーに触れる報道の在り方以前の非人道的な取 材方法の在り方を反省し謝罪する」と強調。家族は最後に脳死判定の公表に関し て、「しかるべき時期に公表することについては当初から理解して拒否したこと は全くない」と付け加えている。

新聞各紙は、厚生省などがドナーの脳死判定などの詳しい経緯を公表しておらず、 情報公開の在り方に問題を残したままの移植手術となった、と報道している。し かし、詳しい経緯を公表できなくなったのはメディアが患者が特定されるような 取材・報道を行ったからではないか。メディアの責任が大きい。

▼事前取り決めを無視した報道機関

厚生省広報課の話によると、臓器移植法施行直後の九七年一○月、厚生省と厚生 省記者クラブは「二回目の脳死判定手続きが終了した時点で、記者クラブで会見 し情報を提供する」という取り決めを行った。ところが臓器提供側の救急医など でつくる救急医学会(会長・大塚日本医大教授ー当時)側が、「臓器摘出前に報 道陣が病院に殺到して混乱する。臓器摘出後に公表するということでなければ協 力できない」と厚生省に申し入れた。このため、厚生省は記者クラブに「情報提 供は臓器摘出後に行う」と伝えた。記者クラブ側はこれに反発、取り決めは宙ぶ らりんの状態になっていた。

科学担当の全国紙記者は「厚生省の記者クラブが厚生省の提案を蹴ったので、そ の後平行線のままになっていた。取り決めが事実上ない状態なので、厚生省は情 報提供しないと思っていた」という。この記者は「脳死移植が増えてメディアが 取材もしなくなった時に、法律を的確に守って手続きが行われるかどうかが心配 だ。メディアもどう対応するかが問われている」と述べた。 高知新聞のある記者は「共同通信は二八日夜、臓器移植をすすめてきた責任者の 厚生省臓器移植対策室長が、うまくいってよかったと晴れやかな笑顔を見せたと いう記事を配信した。取材記者はそう感じたのだろうが、家族がどういう思いで 新聞を読むかと考えて、そのくだりを削除して掲載した」と述べた。

▼「識者」の無理解

情けないのは、新聞やテレビにコメントを寄せる「識者」たちだ。元日本新聞協 会職員で桂敬一立命館大学教授は「脳死は議論の分かれる問題だけに、情報を公 開し、プロセスを透明にするのが臓器移植法の趣旨で、情報規制は問題だ。そも そも、世間が患者の死を待っているような雰囲気ができたのは、脳死が確定する 前に、一部の報道機関に患者が脳死したかのような情報が流れたため。家族の心 情は察するに余りあるが、すべてのメディアが悪いかのような批判は筋違い」 (二月二八日の京都新聞)とコメント。梓澤和幸弁護士は、「患者の家族側に『 死を待たれている』と思わせてしまった報道の過熱ぶりは問題だが、家族のプラ イバシーを含めて関心を集めそうな情報を漏らして報道を過熱させた医療側の責 任を重視すべきではないか。(以下略)」(二月二八日の高知新聞)と表明した あ。堀部政男一橋大学名誉教授は「今回の事例は、誘拐報道における報道協定と は基本的に違う。誘拐された人の生命が、報道によって危険にさらされるのとは 別で、報道協定にはなじまない。厚生省や病院は、患者のプライバシーの配慮と、 報道機関に自粛を求めることを別々に考えるべきではないか」(二月二八日の朝 日新聞)と述べた。

ある新聞記者は「脳死移植とメディアの在り方について、多くのメディア論専攻 の識者に取材したが、ほとんどの学者が『脳死のことはよく知らないので分から ない』と答えた。これからでも遅くないから、メディアとしての取材と報道の基 準をつくっていきたい」と話している。

「すべてのメディアが悪いかのような批判は筋違い」というが、二五日からの取 材と報道は、厚生省記者クラブの合意に違反している。違法ではないが、アカウ ンタビリティ(説明責任)に欠けたものだ。「患者のプライバシーの配慮と、報 道機関に自粛を求めることを別々に考えるべき」だというのは、納得できない。 報道機関が患者を特定するような取材報道を行っているために、患者と家族のプ ライバシーが侵害されているのだ。

世界で最初に情報自由法が施行されたスウェーデンでも、情報開示された事実を すべて報道していいわけではない。病気に関する情報は原則として八○年間秘匿 される。日本でも「裁判は公開」だが、裁判の手続きをすべて報道していいわけ ではない。取材し報道するのはメディア企業である。メディア企業としての倫理 が求められる。

弁護士の中にも、手続きを透明にして一般市民が心配することについて説明がな ければ検証できなくなるという立場から、メディアの報道を擁護する人がいるが、 「報道される側」の意思をまず尊重すべきだろう。メディアに取材され報道され なければ、検証できないということはないはずだ。 森岡正博大阪府立大学教授は二月二八日の朝日新聞で、「脳死判定は密室ではな く、開かれた形でやってほしいが、今回はマスコミが早い段階で『移植』の話を 出し、移植コーディネーターの動きも早すぎたという印象がある。移植をする場 合は関係者全員が納得できる形で進めてほしい」と述べている。 週刊文春は新聞・放送の取材が混乱させたという視点で、家族にアプローチを始 めているという。一部メディアは今後も何をしでかすか油断ならない。

▼メディア責任制度で対応を

初の脳死臓器移植に関する報道は、マスコミのもう一つの欠陥を露呈させた。松 本サリン事件などで事件報道の在り方が問題化したが、善意の提供者もまた報道 界に、「非人道的な取材方法の在り方を反省し謝罪」し、「平穏な生活」の保障 を求めざるを得なくなったのだ。臓器移植法や今回の移植手術に関しては賛否両 論があろうが、法律に基づき臓器移植に協力しようとする市民が、報道によって 冷静な判断を妨げられる事態は避けなければならないということは一致できるだ ろう。 

情報公開が約束されているからといって、公開される事実をすべて報道してもい いというわけではない。マスコミ業界は、個人のプライバシーと「報道の自由」 を調整するために諸外国で機能している報道評議会・プレスオンブズマンなどを つくるべきだ。日本弁護士連合会は一二年前、日本新聞協会に対して自主規制機 関を設立するよう要請している。

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Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.03.08