人間の尊厳を示した3・24甲山事件無罪判決

検察は控訴断念を

浅野健一(3・25記)

 

 1984年以来の友人であり、人権と報道の改革運動における同士である山田悦子さんに再び無罪判決が出た。98年3月24日午前10時、神戸地裁101号法廷。立派な判決だった。本当によかった。でも、これほどはっきりした冤罪事件を解明するのになぜ24年もかかったのだろうか。これは捜査当局、裁判所、マスメディアによる人権抑圧の24年でもあった。検察審査会の審判によって再逮捕に追い込まれたことが最大の問題だが、当時のマスメディア報道がちゃんとしていれば、その裁定がなかったのは間違いない。

 以下は23日午後から24日夜まで神戸過ごした私のリポートである。


 山田さんに対する差し戻し審判決公判が3月24日、神戸地裁で開かれ、吉田昭裁判長は無罪を言い渡した。吉田裁判長は、検察が証拠として挙げた「園児五名の供述及び被告人の自白については、いずれも信用できない」などとして、犯罪の証明がないと述べた。

 「被告人は無罪」。その瞬間、傍聴席から「やった」「よし」などの叫び声と共に大きな拍手がわき上がった。無罪判決を言い渡した吉田昭裁判長は、傍聴席の歓喜の行動に何の制止もしなかった。85年の一審無罪判決よりもさらに山田さんのまっ白を強調、弁護側の主張をほぼすべて取り入れた内容だった。二人の検察官を除く法定内の人々すべてが画期的な判決を喜んだ。

 被告席にいた山田悦子さんと荒木潔さんはがっちりと握手をかわし、喜び合った。傍聴席で判決の出棺に立ち会った私は、日本の裁判所が正義と公正を示した、と感激した。淡々と判決理由を読み上げる裁判長。山田さんらも落ち着いてそれを聞いていた。被告席に座らされた20年と1カ月。山田さんにとってつらい厳しい日々の連続だった。それでも多くの支援者の支援を受けてこの日を迎えた。

 山田さんは冤罪の被害に遭いながら、自分一人の問題だけにせず、司法やジャーナリズムのあり方をとらえ直そうと訴えてきた。山田さんは今後日本における法と民主主義の改革のために働いてくれると思う。

 大分・みどり荘事件の元被告である輿掛良一さんもこの日の判決を聞いた。狭山事件など全国の冤罪事件関係者、市民運動家らが多数駆け付けた。甲山無罪を勝ち取った力が、この国の司法の公正とメディア再生の原動力になるにちがいない。

 甲山事件報道では、初期報道においては人権無視のひどい報道があった。しかし、比較的早い段階から山田さんの立場に共鳴し、フェアな取材と報道を展開した良心的なジャーナリストも多かった。メディアが無罪判決を後押ししたともいえる。犯罪報道が今後大きく改善される土台ができたと思う。

 

 

 私は昼休みの休憩後の午後の公判開廷前に「よかったね」と声を掛けた。山田さんはいつもの笑顔で、「ありがとう。おせわになりました」と答えた。私は判決後の記者会見に弁護団と共に出席した。検察に控訴を断念するように求める「作家・研究者」声明の代表として、作家の松下竜一さん、発達心理学者の浜田寿美男さんと一緒に参加した。私は「甲山事件の初期報道では、山田さんを犯人視した報道を続け、誤った捜査をチェックできなかったことが長期裁判の要因の一つとなった。メディア各社は当時の取材と報道を検証してほしい。報道は時に人を傷つけるが、人を救うこともできる。検察が控訴しないように訴えることができるのもメディアだ」と語った。

 山田さんは報道陣を避けて法廷から出た。記者会見にも出席しなかった。山田さんは「24年間の万感の思いがむくわれる立派な判決内容に心救われる思いがしています。すべての人が救われる判決をと願った私の思いに答えていただいた判決に心から喜んでいます」という談話を発表した。無罪判決を受けた被告がメディアに接触しないのは極めて異例だ。判決後に開かれた支援集会でも、ペン取材は了承したがカメラ取材は断った。無罪判決を受けて喜ぶ被告の写真は、一切報道されなかった。救援会の人たちのカメラ撮影は自由だった。

 「浅野さんが教えてくれた匿名報道主義の考え方に従っているのです」。山田さんはメディアの映像取材を断った理由を私に語った。「浅野さん、判決言い渡しの瞬間、ドキドキしたでしょう」。山田さんはいつも周囲の人に心づかいを忘れない。

 大分から駆け付けた輿掛良一さんはあいさつの中で、「自分の場合と同じ完全無罪のいい判決が出て、自分の三年前を思い出しながら。今日裁判長の言い渡しが『む』で始まる言葉がいつ出るかと緊張しながら聞いていたが、無罪という判決で本当によかったという思いでいっぱいだ。今回無罪判決をマスコミのみなさんも評価して記事に書いてもらいたい。皆さんは日頃、権力チェックと言っている。それがマスコミの皆さんのペンの力だと思う。どうかこの正しい判決を正しく判断して、今日、そして今後の検証記事として評価をしてもらいたい。そうすることによって、検察官の控訴断念が早く確定するように願う。無実の山田さんが一日も早く社会復帰できるように、検察当局が控訴しないようにマスコミの皆さんでこれからも権力チェックの力を発揮してほしい」と報道陣に訴えた。

 山田さんは支援集会の最後にあいさつに立ち、「判決を前にした昨日、テレビ各局の報道を見た。人権と報道・関西の会の事務局スタッフの一人としてだ。メディアは変わっていない。一部メディアは亡くなった元園児の遺族に取材して、私との関係に結びつけていた」とメディアを批判した。

 ところが、甲山無罪を伝える新聞各紙に、捜査段階での犯罪報道の犯罪について反省する記事を見なかった。多くの社は社説で的確な検察批判を行っているが、過去の報道についての言及はなかった。83年以来、死刑囚の審判無罪などの報道では、犯罪報道を振り返る記事があったのに、なぜだろうか。

 一部メディアは、「そっとしてほしい」と言っている被害者の遺族を登場させて、遺族の「やり切れない気持」を伝えていた。イエロー・ジャーナリズムは「真犯人は誰だ」という大見出しを掲げた。山田さんに無罪判決が再び出たのだから、園児の死と彼女は無関係である。事件(事故)から何年経ったという報道で、家族が出てくるのは分かる。しかし、裁判で被告人が裁判を受けていることと家族のことは無関係だと思う。被害者の被告人を対立させるような構図をつくりだすのは極めてアンフェアだと思う。

 私たちが発表した声明文の中で、「今法廷判決は、私たち日本国民はもちろんのこと、先進諸国の法曹界、識者が注視するなかで、民主主義と人権を高らかに宣した日本国憲法の精神を実証し、正義と公正を、今再び顕現させ、人間性と人権を著しく阻害してきた長期裁判に一つの断を下したものであります」書いた。ジュエルさんとブライアントさんの来日を意識した表現である。

 山田さんに無罪判決が出たことをアトランタのジュエルさんに伝えた。ジュエルさんは3月26日、国際電話で「日本の司法制度が機能して山田さんの無実が証明したことを非常にうれしく思う。私にとってもいいニュースだ。ブライアント弁護士にも伝えた。我々が日本へ行き、甲山事件の支援集会に参加したことで、外国人も関心を持っているということが何か役に立ったとしたら、誇りに思う。山田さん、本当におめでとう」と話した。

 多くの人の願いと祈りがあって、本書の校正の最終段階で山田さんにすばらしい判決が出た。渡部保夫さんは読売新聞で「20年間頑張ってきた山田被告に敬意を表する」と語っていた。山田さんの家族の方々、そして判決前に勇気を持って事件の真相を明らかにした渡部さんをはじめ山田さんを支援してきた人々にも敬意を表したい。

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Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.03.31