甲山再控訴に抗議する

浅野健一(4・6記)

       

4月6日夕方のテレビニュースで神戸地検が甲山事件で正式に再控訴したことを知った。私は「再控訴へ」という報道があった3日から、控訴断念を求めて、祈るような気持でだったが。裏切られた。記者会見する地検の堀川和男検事正ら幹部三人の顔がテレビ画面に映ったが、いい顔ではなかった。

日本の良識が問われる事態だと思う。日本人であることがとても恥ずかしい。

幌川検事正は「判決の結論の誤りは明らかであることと事案の重大性を考慮すれば、判決を確定させるのは正義に反すると言わざるを得ず、控訴によって適正な裁判を求めるべきだと判断した」とのコメントを発表した。記者団から「控訴はメンツを守るためとの声があるが」という質問には、「メンツで裁判をするだろうか。(控訴派)職責であり使命であると考えている」と顔を紅潮させて答えたという。

帝京大法学部の土本武司教授は六日夕のNHKラジオで、「検察側としては殺人事件で有罪の確信がある以上、裁判に時間がかかっているという理由で真実をうやむやにすることはできないと判断したのだろう。迅速な裁判と真実の発見という二つの要請の間で悩んだ末の苦汁の選択だと思う。しかし新しい証拠が出ているわけではないのでこれまでの証拠を高裁をどう判断するかが焦点になるだろう」とコメントした。土本教授には、「真実の解明」という抽象的な言葉で、人生を奪われる人間が見えない。

七日の毎日新聞には山田さんを再逮捕したときの神戸地検検事正で元大阪高検検事長の別所汪太郎弁護士は、「控訴は当たり前だ。裁判の迅速化は大切だ。だからと言って、一つの裁判で、犯人はどうなってもいいということにはならない」と言い放っている。

この発言は山田さんを犯人に決め付けた犯罪的な発言だ。対立する立場の両方コメントを出すのがフェアで公平な報道とは言えない。メディアとして、この事件をどう見るかが大切だ。

二十年間も裁判を受けて二度も無罪判決を言い渡された人が、さらに数年間も裁判を受けるような残酷なことがあっていいのだろうか。再控訴のニュースを聞いた感想だ。

二十四年前に兵庫県の施設で園児の水死体が発見されたこの事件では、裁判所は可能な限りの審理を尽くし、再び元保母を無罪と認定した。日本以外のほとんどの先進国では、一審で有罪判決を受けた被告側は控訴できるが、無罪判決の場合に国(検察)側は控訴できない。「二重の危険」の禁止である。米アトランタ五輪公園爆弾事件冤罪被害者を支えてきたブライアント弁護士は昨秋、講演会で「日本のような文明国が検察の控訴権を認めているのは信じられない。市民の生活は取り返しがつかないではないか」と述べていた。

甲山事件は世界でも稀な超長期裁判である。このままでは憲法で保証された「迅速な裁判を受ける権利」を侵害するだけでなく、国際的な人権問題になるのは必至だ。

 

インドネシアに一週間の旅をして四月一日朝に帰国した。そのまま入学式に参加して、二日まで元二回生の共同研究報告書つくりを見ていた。甲山に再び無罪判決がで出たのを傍聴して、翌々日旅に出ていた。二日夜、東京の国際交流基金に勤める友人のがインドの所長として赴任することになり送別会に出た。

深夜、NHKラジオで、甲山事件差し戻し審の無罪判決に対し、検察当局が控訴の方針を固めたというニュースを聞いた。我が耳を疑った。怒りがこみあげてきた。税金を使って人権侵害を続ける。許せない。人間を人間とも思わないのか。二四年もひどいことをしておいて、まだ反省しないのか。

三日夕方、山田さんに電話した。受けて立つという元気な声だった。「甲山裁判で、一審で無罪が出たら確定するように法律を変えるようにしていく」。私も自分のこととして頑張っていくつもりだ。

神戸地検は六日、記者会見で再控訴を発表した。日本の検察官は一時不再理をの原則を何度破ることになるのか。これはもう公務員による犯罪である。再控訴を決めた検察官を監視していこう。

検察庁は一連の金融汚職捜査で政治家、官僚、企業幹部の腐敗に立ち向かい高い評価を受けている。何の力もない一市民をこれから先また何年間も被告席に座らせるのでは、検察の正義に汚点を残すことになる。

麻田弁護士は三日午後、電話で私に、「最終決定ではない。これから七日まで様々な方法でメディアなどに働き掛けて、控訴断念をさせたい」と述べていた。私も努力した。

私の本の読者である高校生からの連絡。「20年かかって無罪が証明されたのに、なぜ控訴するのか?検察官がどのような判断なのか、公開して欲しい。そして誰の判断なのかも。検察官はあまりにも閉鎖的すぎます。検察官の実名顔写真公開を強く要望したい」。

「再控訴へ」という報道があってから、東京の新聞は何のフォローもしなかった。私の知る限り、関東では弁護団の抗議声明もNHKが報じただけだった。産経新聞も含め各氏は社説で控訴すべきではないと主張したのに、再控訴の動きに何のコメントもしないのでは、情けない。規制事実化を狙う権力にとって、こんなに好都合なことはない。

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