1999・7・19
レッテル貼りでは社会進歩はない 「フォーカス」小田晋教授の人権感覚 浅野健一
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「講演の中で、小野悦男さんのことをなぜ話さなかったのか疑問だ」。最近、ある講演会で私の話を聞いた人たちのアンケートのなかに、こんなことを書いた人がいた。
小野さんが起こした事件について、私は『犯罪報道の再犯』などで私の立場を表明している。一人の女性が死亡したことで、「それみたことか」と、無罪が確定した昔の事件を小野さんが怪しいという言説が罷り通った。岩波書店が発行する「世界」誌上で、牧太郎毎日新聞編集委員が、無罪判決を疑う自由があると書いていた。「これで浅野はだめになった」と大喜びした実名報道主義の事件記者出身のメディア企業幹部の卑劣さを暴いてきた。
それでもまだ懲りない人たちがいる。
「フォーカス」(新潮社発行)は七月七、十四、二十一日号の「サイコキラーの事件ファイル」で〈冤罪のヒーロー「小野悦男」〉を連載している。筆者は小田晋・國際医療福祉大学教授(前筑波大学教授)。
「サイコキラーの事件ファイル」は、過去の犯罪を取り上げ、加害者のプライバシーを暴き、人格攻撃を繰り返しているが、これほどの回数で囚人を糾弾するのは異例だ。なぜ今ごろ、こんな連載をする必要があるのだろうか。
タイトルそのものに悪意がある。小野さんの名前に「」を付けているが、人間とは認めないということか。小野さんは一九七四年に千葉県松戸市で起きた信用金庫職員殺人事件で逮捕され、一審で無期懲役判決を受けた後、九一年に東京高裁で逆転無罪判決を言い渡された。ところが、九六年に同居していた女性を殺したとして昨年無期懲役判決を受け、服役中である。
小田氏は「人権“応援団”が語る背理の功罪」という見出しの第一回記事で、「自白偏重の捜査」批判は刑事司法に対する批判の紋切り型だと指摘、「和歌山カレー事件のように、被告の心中の機微に隠された動機など、およそ立証不可能なことについてまで、弁護側と人権“応援団”のジャーナリズムが一体となって、検察に立証を要求する」と非難する。そのうえで、〈この手法は、日本の司法が「自白と証拠をつねにピッタリと一致させなければいけないという「精密司法」であることを逆手にとったもの〉であり、〈検察の立証に一点の疵でもあれば、すべて崩壊です〉と嘆いている。
日本の裁判の有罪率がずっと九九・五%を超えていることを知らないのだろうか。冤罪事件の一つでも調べれば、日本の刑事裁判で無罪を勝ち取るのに、どれだけの年月と努力が必要かが分かるはずである。
小田氏は七四年夏から四か月続いた、小野さんを八件または九件の連続殺人事件の容疑者扱いした報道をそのまま引用して、「過去の事件と奇妙な一致」と強調するのだが、小田氏自身が認めているように、松戸信用金庫職員殺人事件は「焼殺」ではない。当時逮捕もされなかった事件まで小野さんの犯行と疑い、記事を書きながら、「無罪判決が確定した74年の事件について、現在、意見を述べる言論の自由は日本にはありません」などとうそぶくのである。
〈“監獄太郎”の犯罪エスカレーション〉と題した第二回記事では、小野さんの「前科」、知能指数、学校の成績を具体的数字を挙げて記述し、「多種方向犯」「異常性愛」「反社会型人格障害」などと断定した。小田氏は小野さんの家庭環境などのプライバシーを暴いたうえで、犯罪に対する遺伝の役割の調査は、差別とプライバシーの問題と重なるため、極めて困難になっています」とも論評している。
小田氏は第三回では〈捜査撹乱の取調べ室“高等テクニック”〉という見出しで、「警察との駆け引きを身につけた虚言者」「生来の虚言癖がある」などと書き、彼には「反省、後悔といった罪の意識はなかった」と断定した。
小田氏の連載は、板倉宏日大教授が九九年一月に出版した『人権を問う!』(音羽出版)で書いた主張と酷似している。板倉氏は、小野さんが九六年に殺人などの犯罪を犯したことから、裁判で無罪が確定している松戸事件も小野さんが犯人に間違いないとの論旨を展開して、「人権派弁護士や人権保護団体、支援団体」を非難している。
小田氏は「裁判の結果は逆転無罪」とさらりと書いているが、東京高検は上告しなかったことをどう考えるのか。
小田氏には、フランス革命などを通して基本的人権の思想が確立された歴史や、なぜ黙秘権や無罪推定の原則が重要なのかをきちんと学ぶ機会がなかったのだろうか。社会科学にほとんど無知な理科系教授が、司法について語るとこんなに情けないことになるのだ。
小田氏は大学教員になる前、長く刑務所に勤務しており、犯罪者に予断と偏見を抱いてしまい、犯罪を社会の病理ととらえる見方に強い拒否反応を示している。犯罪を犯した人もまた小田氏と同じ人間であるということを忘れてしまっている。ある人間を「サイコパス」「常習犯罪者」などというレッテルをはって、あれこれ説明することが大学教授に許されるのだろうか。。
小田氏は小野さんと一度も会っていないし、ましてや「診察」「問診」もしていないと思われる。当時の新聞や雑誌の記事や、おそらく一部の「反人権派」記者たちから情報を仕入れて、一方的な連載を書いているのだろう。
この人は犯罪報道で被疑者の逮捕段階で、しばしばテレビや新聞でコメントしている。被疑者として誰かが逮捕される前に、犯人像をあれこれ推理もしている。
国際的な人権基準や憲法を否定する人を使うメディアがあるという点が最大の問題だろう。編集部が資料を集めてお膳立てをして書いているのだろうと思われる。
「罪の意識がなく、反省もない」のは新潮社ではないか。裁判所が名誉毀損を認定し損害賠償を命令した判決が確定しても、「必要経費だ」としか考えない。新潮社こそ「人権侵害という犯罪の常習犯罪社」ではないだろうか。
山際永三さんは、大阪の甲山事件救援会のメンバーが発行している「ばじとうふう」194号(99年6月発行)に、小野さんとのかかわりについて書いている。小田氏とは全くレベルの違う人間的で哲学的な文章である。(中島俊)
Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.08.06