刑法違反者が常に「犯罪者」ではない

問われているのは日本の人権状況

浅野健一

 

97年12月中旬に発行された「救援」344号に〈投稿 現実を見ない曇った目ー「ピョンヤン訪問記」を読む)という私への「反論」が載った。編集部の求めもあり、345号(1月下旬発行)に、萩原氏の論文の誤りを指摘する文章を送った。紙面の関係で一部が次号(346号)に回されたので、全文をホームページで紹介したい。

筆者は「(萩原重夫)」となっている。私には同姓同名の和光大学教授の知人がいる。萩原氏は日本の侵略戦争の責任を問う市民研究会のメンバーである。(萩原氏と私との[論争」で、この会に迷惑をかけてはいけないので、会の名前はここでは明らかにしない。)

萩原氏に投稿者かどうかファクスで確認したところ、連絡がないので、電話で確かめると「私です」と答えた。投稿には事実誤認や思い込みがいくつか見られるので、自ら次号で訂正するように文書で申し入れたが、一二月二一日、〈「救援」に反論を書かれることを歓迎します。「訪問記」掲載紙面が「北朝鮮の広告塔になってしまった」との声も関係者から聞きましたので、私の投稿でバランスがとれた思っています〉と表明してきた。

萩原氏の「反論」は私が書いた341ー2号の内容への反論というより、現在の朝鮮民主主義人民共和国における人権状況、政治体制についての自説のプロパガンダである。こうした主張は「救援」の本来的活動とは次元の違うところで活発に展開してもらうのが筋だろう。

朝鮮の人民から救援センターに、救援の依頼があれば、それにこたえるかどうかを議論すべきだが、今のところそういう申し出はないと思う。救援連絡センターは山中幸男事務局長が中心になって、よど号関係者の救援活動をしているのであって、もし、それをやめろというなら、はっきりそう書けばいい。

萩原氏は冒頭で、「犯罪報道やインドネシア報道で定評のある記者の記事とは信じがたい内容である」などと書いている。今でも私を記者として見てくれているのは嬉しい。

何かを書くときに、すべてを網羅しなければならないと考える人たちがいる。とくに自分が専門としたり強い関心を持つ分野について書かれていないと不満なタイプが多い。そういう知識人を私は「百科辞典派」と呼んでいる。

私が犯罪報道の改革を訴えると、「情報自由法のことを書いていない」「メディア産業の独占資本の分析がない」「被害者の人権についてふれられていない」などと文句を付けてきた。紙数が限られた原稿では、すべてを網羅することなどできない。

それぞれの分野でがんばればいい。私が提唱する匿名報道主義だけではだめだという前に、それなら自分はどういう改革案を示すのかをはっきりすべきだと私は言ってきた。

萩原氏は朝鮮の人権状況を改善するために努力してほしい。私の言説がそれを邪魔したり妨害したとは思わない。

萩原氏は「北朝鮮」「北」と何度も表現している。かつて長谷川健三郎氏は三年目の記者だった私に、週刊新潮や一部新聞社が固有名詞である姓名(被疑者など)にカギ括弧を付けるのは不当だと主張していた。長谷川氏は@人間を「犯」と呼ぶべきではなく、拘禁された人々を「囚」と呼ぶべきだA親の罪を子は負わず、子は親の罪を負わないB救援の立場では、政治囚と刑事囚(社会囚)を区別すべきではないーと強調していた。長谷川氏の言うとおりだと思う。

萩原氏は反民主主義的なメディアと同じように、「北」「犯」という表現を繰り返している。また「伝えられている事実の多くはそのとおりであると思う」というメディア認識にも驚いた。産経や文春などの報道も含めてそう言うのだろうか。

また、ハイジャックは〈国際法、国内法ともに「犯罪」とされている〉と述べて、「犯罪者」と断定。「刑法違反性は政治目的とは区別して批難される」とも書いている。

そのうえで、亡命先に朝鮮を選んだのだから、日本に帰るという甘えを捨てて、「金正日独裁体制と運命を共にすべきである」と言い切るのだ。彼らのハイジャックは朝鮮への亡命が目的だったのだろうか。

よど号の九人が「ハイジャック」した七○年に、日本の国内法ではハイジャックを「犯罪」とする法律はなかった。

権力が犯罪と認定する行為であっても、それが人民のためになるなら犯罪ではない場合もある。逆に法的に問題がなくても人民から見て犯罪となるケースもあるのだ。

 「犯人の子供たち」も朝鮮が認めない限り出国できないと萩原氏は論じるが、どんな国家権力も外国人の出入国に制限を加える。私はインドネシアから追放された時、スハルト政権は「出国許可」(実態は出国命令)のスタンプを旅券に押した。朝鮮が二○人の子供たちの出国に厳しい対応をしているという情報を私は持っていない。

萩原氏もよど号の人たちと同世代ではないか。「ちょっと友人や先輩が変わっていたら、僕も全共闘に入っていただろう。そうしたら、内ゲバで殺されていたか、外国に行っていたか・・・。タイの刑務所にいたのは田中さんではなく、僕だったかもしれない。だから他人事ではないと痛感した」(田中さんを救援するパンフに掲載された鈴木邦男氏のコメント)という思いの方が率直である。

師走の東京都内で「よど号ハイジャック犯人の国際指名手配」(五人)のポスターが目についた。オウムの手配写真と並んでいた。よど号の人たちの所在は明白ではないか。税金の無駄遣いだ。朝鮮政府をい通じて交渉すればいいのだ。萩原氏はまさに警視庁の動く広告塔になってしまった。

アウンサン・スーチーという萩原氏の表記は間違っている。ビルマには姓名の区別がない。アウン・サン・スー・チーまたはアウンサンスーチーと書くべきである。「浅野氏の論法でいくと、〈ビルマ「ミャンマー」と表記すべきであろう〉というのも思い込みだ。私は九七年後半に出版した『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)と『日本大使館の犯罪』(講談社文庫)で、ビルマと表記している。軍事政権の国名変更に根拠がないと考えるからだ。

朝鮮にはアウンサンスーチーさんは出ないから云々と述べて、ミャンマー軍事政権の方が朝鮮よりましだと言いたいのだろうが、誠に乱暴な論理展開である。両方の国に問題がある。

萩原氏は「過去に日本と韓国との間に結ばれた条約(江華島条約から日韓併合条約)は現在から見たらおかしいが、当時としては合法だった」「法形式的には在日韓国人は大韓民国公民だが、現実は日本の永住者である。参政権を与えるべきだと思っている」などと述べて、韓国の研究者を唖然とさせた。

私は、多くの韓国と日本の参加者と動揺に、この歴史観に異議を唱えた。また参政権の問題は在日韓国人・朝鮮人が決めることで「与える」という発想がおかしいと発言した。(引用は前述の研究会で九月一六日に配らたレジメによる。萩原氏は、この発言の意図は、条約の違法性論を深めるためだったと説明してきた。意図はなかったが、そう発言したと認めたということさろう)

萩原氏は〈「北」に人権が保障されるよう自分の立場で努力する」と述べ、そのことが、戦争責任をとることだという立場である。

人権の意味を理解しないアジアの人たちを指導してやるという発想の文化人があまりにも多いが、彼の発言を聞いて同じような感想を持った。

萩原氏は、「私は国家の絶対性を認めない」「国家の枠外で考える」と強調する。(萩原氏は、「国家」ではなく「国家主権」と言ったはずと説明してきた)。それについて、私は萩原氏が勤務する大学も文部省の設置基準に縛られ、私学財団を通じて国税を億円単位で受け取るなど学内外の制約の中で存在しているのであり、「国家を否定する」というだけではすまない。「萩原氏の論理をすすめていくと、大学教員には留まれなく、自分で寺子屋を開くしかないのではないか」と問いかけた。「私はいつでも大学教員を辞めて、寺子屋を開く決意だ。明日にも辞める覚悟はある」と研究会会員の前でも言っていた。 

教員を辞めることだけが国家の絶対性を弱める道ではない。国家の枠の中で少しずつでも闘って改革を進めていくことだってできるのだ。

人は真空管のようなところでは生きられない。オール・オア・ナッシングでは割り切れない。朝鮮もその他の外国も、そして何よりこの日本も独裁、封建的身分差別(天皇制)、差別など多くの政治社会的矛盾を抱えている。

自分が独裁国家と規定する国と運命を共にしろ、とまで冷酷に断定する萩原氏のような思考方式こそ、「スターリニズムを封建主義的日本化」した代物ではないか。

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Copyright (c) 1998, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1998.01.28