大谷昭宏氏の呆れた誹謗中傷・複数メディアに同一文書を掲載

テレビ朝日宛てのファクスを一方的に公開

1998年12月6日

浅野健一

 

フリージャーナリストの大谷昭宏氏が、いくつかのメディアで、私のことを中傷、非難している。

大谷さんに宛てたファクスでもないのに、テレビ朝日の一社員が、私に無断で「現場の判断」(テレビ朝日広報部)で大谷氏の大阪の事務所にファクスしてしまい、自分に向けて送られたと思い込んだ大谷氏が激怒したようだ。

テレビ朝日が私が同社の求めに応じて、同社広報部員に宛てて書いて送ったファクスを、私に電話もせずに、大谷氏にそのままの形で送ったことが、この大谷氏の「怒り」の文章の原因になっている。

私はテレビ朝日に抗議したが、テレビ朝日の今村広報部長は12月3日、ファクスで「当然のこと」と回答してきた。大谷氏が番組の担当者だから当然だというのだが、これからテレビ朝日の社員に手紙やファクスを送る場合は、社員以外の人にも、その文書のコピーが一方的に渡ることを覚悟しなければならないようだ。全く信じられない回答なので、近く社長の見解を求めるつもりだ。

大谷氏は「ダ・カーポ」にも書いているが、「窓友新聞」に書いていることとそっくりだ。違う媒体に、同じようなことを書いていいのだろうかと思う。これまでもそっくりの記述があったのを覚えている。

全く「低次元の論争」ではあるが、大谷氏が一方的に、自分に宛てたファクスでもない文書を基に、非難を展開しているので、私としても、まずホームページで反論しておきたい。私がテレビ朝日に送ったファクスは、大谷氏がそのまま見ることを前提にしておらず、そのまま公表するつもりはなかったものであるので、事実と異なる点があるかもしれない。事実を確認するために、テレビ朝日に問い合わせたのである。

大谷氏がファクスで送ってきた「回答書」は、大谷氏の了解がとれ次第、紹介する。

大谷氏はTBSなどにも最近よく出て夫妻について言及している。カレー事件と保険金事件を分けているというのだが、「ヒ素」をキーワードにして、夫妻、特に妻をカレー事件で犯人という印象を与える番組の中で、彼もまた人権侵害に加担していると思う。

 

以下は大谷氏に送った抗議文である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1998年12月2日

浅野健一

 

大谷昭宏様

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。

初めて手紙を差し上げます。ファクスで失礼いたします。

私は同志社大学文学部社会学科で新聞学(ジャーナリズム、マス・コミュニケーション論)を教えております。経歴などについては、末尾のプロフィールを参照下さい。

私が1998年10月26日に、和歌山毒カレー事件報道の調査の一環として、テレビ朝日広報部に問い合わせた件に関して、大谷さんは「窓友新聞」1998年11月号の「連載37 大谷昭宏の怒りのげんこ」で、《「新聞学」教授のあきれた質問状/誹謗中傷に答える必要がないが・・・》と題して論評しています。

大谷さんの記事は、テレビ朝日から入手した同社宛ての取材申し込みのファクス文をもとに書かれています。論評の手続きに問題があるうえに、その論評内容には私への誹謗中傷表現が多くあります。大谷さんに対し、強く抗議するとともに、私の見解を以下に表明しておきます。

また、この記事を掲載した「窓友新聞」編集発行責任者に、私の反論を掲載するように求めます。反論に関しては「窓友新聞」にその旨を伝えます。

 

一昨日(11月30日)夜、大阪の友人から、「黒田ジャーナルの大谷昭宏氏(以下、大谷氏とさせていただきます)が浅野さんを非難した記事を書いている」という電話があった。友人から12月1日夜、ファクスを受け取った。月刊誌「創」の篠田博之編集長もこの記事を確認したという連絡があった。(私が「創」12月号で論評した「窓友新聞」98年10月号の記事は、夫妻のメディア担当の弁護人である木村哲也氏からファクスで送ってもらった。その後、木村氏から現物を提供された。10月号では大谷氏と木村氏の紙上対談が載っている。木村氏は同紙の支援者だという。)

「窓友新聞」11月号のこの記事には、私がテレビ朝日広報部宛てに送ったファクスの内容が「質問状」という形で引用されている。「これがどうにも、私たちと同業にいたと言いながら、極めて文意不明なのであるが、どうにか質問したいことがわかるので、趣旨を変えずにそのまま掲載すると、こういうことになる」と述べて、私が10月26日にテレビ朝日に送ったファクスの内容が、27行にわたって引用されている。引用されている部分に「 」はない。

私はテレビ朝日広報部の求めに応じて、同社に聞きたい点をワープロに打ち込み、担当者と話をする資料にしてもらうためにファクスを送った。大谷氏は「テレビ朝日がびっくりして私のところに連絡してくるのは当然である」と書いているが、テレビ朝日広報部の担当者はそう驚いているようには、私には感じられなかった。大谷氏が記事で言うように、テレビ朝日広報部が大谷氏に何らかの「連絡」をするのは当然だろうが、発信者の私に承諾を求めることを怠り、「現場の判断」で大谷氏に、そのままの形でファクス文を提供したのは全く不適切だと思う。テレビ朝日の高木さんも「現場のディレクターの判断で、そのままのものをファクスした」と述べ、テレビ朝日としての判断ではないと私に語っている。テレビ朝日には、改めて文書で抗議する。

テレビ朝日の一社員が「現場の判断」で私の了解なしに、大谷氏にそのままファクスで送った(コピーを渡したのかもしれない)ために、大谷氏は過剰反応したと思われる。

大谷氏は、テレビ朝日への私の取材申し入れ書(ワープロ書き)を、私が既に発表(公表)した文章、または発表を予定した文章だと思い込み、翌日の朝、激しい調子の「回答」(10月26日付、署名入り)を送ってきた。この回答はディーセンシーに欠けていて、対応する気にならなかった。

メディアで仕事をする人たちには、自分が取材されたり、書かれたりすると感情的に反発する人が多い。まだ印刷されていないのに、ワープロで書かれたものを見ると、既に「活字になった」ものと錯覚して、猛烈に抗議してくる人がこれまでにも少なくなかった。特に幹部の人に多い。あるいは「浅野は勝手に書いた」とデマを飛ばす人も少なくない。このことについては、私の著作の中で度々明らかにしている。

大谷氏の回答文には、「法的手段で名誉回復をはかる所存」云々ということが書かれていた。

大谷氏は「窓友新聞」だけでなく、「自分が連載記事を持っている紙面、誌面には、きちんとことの経緯を掲載した」と書いているが、直ちに、テレビ朝日から提供されたファクスのコピーを基にした論評をやめていただきたい。テレビ朝日は、同社社員が広報部や私に相談なく、大谷氏にコピーを提供したことを是としているのか。私は高木さんを通じ、テレビ朝日に対して、社員がコピーを渡したことを不適切であると社とし認め、その撤回(取消)を行うよう求めている。

大谷氏の記事は、私がテレビ朝日に取材する過程で、テレビ朝日の要請で送ったファクスを、あたかも私が「書いた記事」「書く文章」と一方的に決め付けたうえで、それを一方的に公表し、「こんな取材方法を教えているのか」という見出しを立てて、大学教員である私を非難したのは極めて不当である。私の名誉にかかわることである。

大谷氏がこのことについて言及したメディアに対して、私の反論を掲載するように求めたい。どのメディアに書いたのかを教えてほしい。「窓友新聞」の記事について、7点お聞きしたい。

 

1 後で詳しく述べるように、私のファクスは大谷氏への「質問状」ではない。大谷氏はテレビ朝日の了解を得て引用しているのか。

2 大谷氏は《なるほど私は○○容疑者と塀越しに話はした。しかし当日、私は新聞どころか、紙片一枚も持っていない。(略)そんなことは自分の目で映像を見れば、それが本当かどうかすぐわかるではないか》と書いている。

ここで言う「映像」はどこで見ることができるのか。ぜひ拝見したい。「テレビ朝日」とまったく関係がないと書いているが、それではどこの局(あるいは番組制作会社)なのか教えてほしい。大学のメディア研究者が「自分の目で映像を見れ」るところはどこか教えてほしい。

3 大谷氏は月刊「宝石」11月号の「マスコミ カルテ」で、和歌山事件を取り上げている。大谷氏は「別件にしろ、本件の毒入りカレー事件にしろ、容疑者逮捕がないまま、この原稿を書くことになってしまった」ので、忸怩たる思いだと書き出している。8月25日の朝日新聞記事を「男性2人の髪の毛や爪から、高濃度のヒ素が検出された」と報じた「大特ダネ」と評価。「ヒ素を所有している家なんかそうそうあるものもんじゃない」から、「毒入りカレー事件と結び付けて考えないほうがおかしい」「この夫婦に関係した複数の人物が、死亡したり、あるいは重度の障害を負う事態」に至ったなどと述べている。

大谷氏は「夫婦にインタビューはしていないし、申し込んでもいない」が、「夫婦に会っていないのかと言えば、会っている。とりわけ妻のほうとは、テレビカメラで撮影するなか、短い間だけど会話を交わしている」と書いている。

大谷氏は「テレビカメラで撮影するなか、短い間だけど会話を交わしている」と書いているのだが、これはいつ、どこで、どのように、なぜこうした取材が行われたのかを聞きたい。このテレビカメラとはテレビ朝日系のテレビカメラか。2で紹介した、「塀越し」の取材と同じときのことか。「とりわけ妻のほうと交わした会話」の内容を明らかにしてほしい。「短い間」とはどれくらいの長さか。

大谷氏は各局が8月25日以前の映像を流しているというが、その映像は自宅周辺を取り囲み撮ったものではない。夫妻に親しそうに近づいたり、被写体側が気付かないようにして撮っていた映像である。そもそも逮捕前にインタビューしたり、夫妻宅に上がり込んで取材していたころの映像を、逮捕後にその一部を編集して使用することに問題がある。(この点については山下幸夫弁護士が「救援」355号で詳しく論じている)。この夫妻が8月初めごろから、一部メディアの疑惑の対象になっていたのは事実だが、8月25日の朝日新聞の「保険金詐取疑惑」報道とその日の各紙の夕刊での追っかけ報道で、「正統派」メディアが夫妻をマークし始めたのである。しかし、その日の朝は、報道陣もまだ夫妻宅を直接取り囲むようなことはしなかった。朝日が報じた「地区内の民家」が後に逮捕された夫妻だということを確認していない社も少なくなかった。大谷氏が妻と交わした会話がきっかけとなって公然とした自宅包囲が始まったという情報が複数ある。その記者たちは大谷氏のすぐ傍にいたと述べている。情報によると、大谷氏が夫妻宅に接近した際、約100人の報道陣が周辺にいたという。

私は妻からも、この情報についてコメントをとっている。夫妻が逮捕される三日前にも、大谷氏の姓名を挙げて、8月25日午後のことについて聞いている。

4 大谷氏は《それにしても、見たことのないようなひどい質問状である。にも関わらず教授は、テレビ朝日が私にこの質問ファクスを見せたことでいたくご立腹であったという。》と書いている。「いたくご立腹であった」と伝えたのは誰か。私は、株式会社テレビ朝日として、広報部に問い合わせがあった場合の対応が悪すぎるのではないかと指摘。「アルバイトだった」とか「部長のデスクの上で半日そのままになっていた」という社内広報体制を強く批判した。「浅野さんと大谷さんの問題だ」という高木さんの見解にも抗議したのだ。「ご立腹」という表現はふさわしいか。

テレビ朝日広報部は、どういう経過説明を大谷氏にしたのか。

私は、回答など求めていない大谷氏から、10月27日に届いた「回答」ファクスを読むとともに、テレビ朝日広報部員からの説明を聞いて、追加取材が必要と考えて、「創」12月号では、大谷氏と夫妻との「接触」に関しては書かなかった。大谷氏が既に公刊している記事を論評した。

5 私はテレビの映像に大谷氏と夫妻とのやりとりが記録されているかを最も知りたかった。大谷氏の記事によると、映像はオンエアされたようなので是非見てみたい。

そのほか大谷氏が和歌山事件に関連して出演されたテレビ、ラジオのビデオ、テープを是非提供していただきたい。

6 大谷氏は私が「新聞学を教えている」ことが危険極まりないとまで述べて、《何となれば、教授の取材方法というのは「まったく関係のない機関に質問を送りつけ」「なんの根拠もないことを問い質し」「その日のうちに回答せよと迫り」、その上で回答がなければそのまま書くという手法なのである。/最近では大多数の新聞記者、放送、出版のメディアが教授の弄する言辞に一顧、一瞥さえくれないという。まさに明快で極めて賢明な選択ではなかろうか。》と結んでいる。

「最近では大多数の新聞記者、放送、出版のメディアが教授の弄する言辞に一顧、一瞥さえくれない」という根拠は何か。

テレビ朝日に質問書を「送り付けた」という事実はあるか。その表現は適切か。

「回答がなければそのまま書くという手法」と主張する根拠は何か。

7 大谷氏から私の自宅と大学に送られてきた「回答」を公表していいか。

 

以上の点について大谷氏から回答をお願いします。

 

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ご参考までに、私がテレビ朝日広報部に問い合わせをした経緯について説明します。

 

【私は98年8月11日に和歌山の毒カレー事件報道を調査するため、友人と一緒に現地調査して以来、和歌山報道を研究の対象にしている。地元の連合自治会が取材自粛要請を決め、事件のあった第14自治会の全世帯の玄関に報道陣への取材自粛のお願いの文書が貼り出されたということを知って興味を持ったからだ。私が二度目に現地へ行ったのは9月2日である。この時は、報道陣が「疑惑の夫婦」とされた夫妻の自宅を取り囲み、子供たちが学校にも行けない状態だと知ったからだ。

私の関心はいつどういう契機で自宅を取り囲むような過剰取材が始まったかにあった。自宅の回りを記者たちが取り囲んだのは、98年8月25日夕方だった。その日の朝、朝日新聞が最初に、カレー事件の前にも、園部地区の民家に出入りしていた二人がヒ素中毒症状を起こしていたと報道した。にわかに夫妻が疑惑の人物とされたが、その民家が現在逮捕されている夫妻の家であるかどうかは朝日新聞と数社以外はよく知らなかった。

複数の現場記者から、8月25日の午後4時頃、園部地区の夫妻の隣の家に、捜査員が聞き込みのために訪れた際、周辺にいた報道陣が隣家に近付き、そこへ元読売新聞記者で「黒田ジャーナル」の大谷昭宏氏が、塀越しに「疑惑の夫婦」とされ始めていた妻に、「○○さん、こういう記事が出ているのだが、この住民は誰だか分かりますか」(○○さんではなく、「奥さん」と言ったという情報もある)と尋ねたことがきっかけとなり、周辺にいた記者たちが夫妻宅を取り囲んだという話を聞いた。記者たちは「テレビの映像に映っているのではないか」と述べた。

私は大谷氏が一緒にいたというテレビ局クルーがどこの局かも分からないので、この情報をもとに調べることにした。

テレビの映像を集めるのは大変な作業だ。録画ビデオを第三者には見せてくれない。事実確認が困難なので、まず各主要テレビ局の広報に8月25日午後、大谷氏がかかわった番組があるかどうか聞くことにした。

大谷氏はテレビ朝日系の番組に出ることが多かったと記憶していたので、まず10月26日午前11時半頃、テレビ朝日広報部に電話した。電話に出た女性は「今担当の者が席を外していて、午後二時頃まで戻らないので、メモ程度でいいから、問い合わせの内容を書いて広報部宛てに送ってほしい」と要請した。 私はテレビ朝日の社内勉強会「テレビ報道と人権」(93年6月18日、講演収録ビデオはANN系の局に配られ、講演と質疑応答の記録は「審査月報」に全文掲載されている)で講演したことがあり、ペルー事件の邸内取材の際も、当時の報道局長・広報部長らから何回か取材したことがあったので、そういうことを電話に出た女性に伝えた。私とテレビ朝日との関係については『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)第二部などに書いている。

私は電話で問い合わせるつもりだったが、広報部の人が、文書で質問するようにというので、午後二時すぎ頃に、資料1のようなファクスを送った。宛先を誰にするべきかを電話で聞いたが、「広報部」とだけ書けばいい、ということだった。ファクスを送った主な目的は、担当者から電話をもらうためだった。

その後、私は電話で、TBSにも電話を入れた。同社は担当者がすぐに対応してくれ、社内で調査してくれたうえで、「我々のテレビではないと思う」という回答を得た。

夕方までテレビ朝日広報部からは何の連絡もなかった。

午後7時すぎだと記憶しているが、テレビ朝日の広報部の中村(記憶違いかも知れない)という女性から電話があった。《大谷さんは当社の「スーパー・モーニング」「ワイド!スクランブル」「サンデープロジェクト」の三番組に出ている。多分うちの番組だろう。今から電話で現地に問い合わせてみる》という連絡だけだった。

テレビ朝日からはその後、全く連絡がなかった。

10月27日午前10時10分頃、大谷氏から柏の自宅にファクス(資料2)が届いた。大学にも同じファクスがきていた。両方のファクスとも、なぜか受信状態が非常に悪く読みにくいが、私の意図をかなり誤解したうえでの、「回答」だった。私はファクスが届いた直後に京都へ移動した。

時間ははっきりしないが、10月27日午後、テレビ朝日の高木という女性が大学の研究室に電話してきた(私のほうがが先に電話したのかもしれない)。高木さんは「大谷さんが今朝ファクスで回答したと聞いた。浅野さん宛ての回答ファクスは、テレビ朝日にもきている。大谷さん本人が答えたので、それでいいだろう」という。私は「大谷さんに問い合わせたわけではなく、テレビ朝日の人から、大谷さんが8月25日午後和歌山でテレビ朝日の仕事をしていたかどうか知りたいのと、もしそうであれば、こういう情報があるが何か知っていることがあるかを聞きたかった。テレビ朝日に取材を申し入れるためのファクスであり、いわば私信ではないか。それをそのままの形で、なぜ大谷さんに提供したのか」と尋ねた。

また、私がファクスで問い合わせの内容を書いた経緯について、社内で調査するように求めた。高木さんは「現地の担当者にファクスを転送し、現地のディレクターが大谷さんにファクスで送ったようだ」と説明した。私は「テレビ朝日宛ての質問状をそのまま大谷さんにファクスするのはおかしい。大谷さんに取材を申し入れるのは先のことで、そのための事前調査としてテレビ朝日に聞いたのだ。大谷さんにファクスしたり、コピーを渡すなら発信者の私に聞くべきであった」と抗議した。

その際、「大谷さんは私が大谷さんにも質問したと受け取っているようなので、私がテレビ朝日広報部にファクスした経過を正確に文書で伝えてほしい」と求めた。

高木さんは27日午後6時すぎに再び電話してきた。「確かに浅野さんからテレビ朝日広報部に電話があったが、そのときはアルバイトの人間しかいなかった。電話を受けたアルバイトの人に確認したが、彼女が浅野さんに、問い合わせ内容を文書にしてファクスで送るように要請したのは確かだ。浅野さんの言うとおりだと確認した。浅野さんから届いたファクスは、ずっと広報部長の机の上に置かれてだれも見ていなかった。部長は外出していた。午後6時すぎに、情報番組部門の担当者が部長の机の上に浅野さんからのファクスがあるのを見て初めて気付いた」と説明した。

高木さんは「これは大谷さんと浅野さんの問題だ」と何度か発言した。私は「テレビ朝日の社員がファクスをそのままの形で提供したことで、大谷と私の問題になったのではないか。そういう形でいきなりファクスがきたら誰だって感情を害するだろう。私が高木さんに説明したことを、広報部の責任で伝えてほしい。文書にして説明してほしい」と重ねて要望した。

高木さんは「あの日は社員は外出していて、昼間、アルバイトしかいなかった」と言ったが、大放送局の広報部が午前11時から午後6時か7時まで、外部からの対応ができないというのも問題だと思った。私は高木さんに「テレビ朝日の広報に送ったファクスを生の形で提供するのはおかしい」と重ねて指摘した。高木さんは「それは浅野さんの見解にすぎない」「広報部の判断ではなく、現場のディレクターが独自に判断したことだ」と述べた。

私は再び、「大谷さんにこの間の事情を正確に説明してほしい。文書できちんと伝えてほしい」と求めた。高木さんは「それは浅野さんの意見で、判断はこちらですることだ」と語った。私は「どういうふうに大谷氏に報告したのかを文書で私に伝えてほしい」と再度要求した。高木さんは「聞いておきます」という返事だった。

私は「あなたがそういう判断をするのは仕方がないが、テレビ朝日という会社として、それでいいのかについて疑問がある。私が今まで述べたことを、文章にして、広報部長に報告してほしい」と伝えた。高木さんは「そうする」と答えた。

それ以降、テレビ朝日からも大谷氏からも連絡はない。】

 

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(資料1)

1998年10月26日

浅野健一

                   

テレビ朝日

広報部

ファクス 3505ー3541

拝啓 秋風さわやかな季節となりました。貴職におかれましては、益々ご清祥のことと存じます。

 私は同志社大学文学部社会学科で新聞学を教えている者です。72年から22年間、共同通信記者を務め、社会部、外信部、ジャカルタ支局に勤務しました。94年4月から同志社で教鞭をとっています。 以前、テレビ朝日の人権と報道の勉強会に講師として招かれたこともあります。

この度は、突然のファクスで失礼します。

和歌山のカレー事件に関するワイドショーで、元読売新聞記者で「黒田ジャーナル」の大谷昭宏氏が、出演しているかどうか、もし出演しているとすれば、以下のような事実があったのかどうか、確認させていただきたく、ファクスを送らせてもらいます。

《▼最初に「当たった」のは大谷昭宏氏

8月25日の午後4時頃、園部地区の夫妻の隣にあるKさん宅に、捜査員が聞き込みのために訪れた。通常の事情聴取だった。周辺にいた報道陣がKさん宅に近付いた。捜査員に便乗して家の周りに集まった。妻も双眼鏡を持ってきて庭先に出てきていた。写真記者たちはKさん宅を写すふりをして、本命の夫妻宅も撮ろうとしていた。そこへ元読売新聞記者で「黒田ジャーナル」の大谷昭宏氏が、テレビ局のカメラクルーと共に、夫妻宅の玄関前の細い道を左に進んでいった。大谷氏は、朝日新聞朝刊の「スクープ記事」を追っ掛けた毎日新聞夕刊をかざして、塀越に妻に、「奥さん、こういう記事が出ているのだが、この住民は誰だか分かりますか」と尋ねた。妻が「知らない」と答えて家の中へ入った。このやりとりは録画されて放送されたようだ。

この夫妻が8月初めごろから、一部メディアの疑惑の対象になっていたのは事実だ。8月25日の朝日新聞の保険金詐取疑惑」報道で、「正統派」メディアが夫妻をマークし始めた。しかし、その日の朝、報道陣も夫妻宅を直接取り囲むようなことはしなかった。

ある写真記者がこう振り返る。〈写真記者にとって、使うかどうか分からない写真というのがある。撮影しても、後でネガを捨ててしまえばいい。逮捕される前は、撮影された人に、写真を撮られたと気付かれないように撮る。それは最低限の配慮をすることで、カメラマンの間では暗黙の了解があった。8月25日朝に朝日が報道した後も、そういう配慮をしていた。ところが大谷氏が直接、妻に「当たり」取材をしたので、周辺にいた報道陣が堰を切ったように夫妻宅の周りを囲むようになった。解禁状態になって、マナーがなくなってしまった。ところが大谷氏は、翌日現場からのリポートで、脚立を置いて取り囲むのは異常だと非難した。雑誌や新聞にも同じように自宅周辺の張り込み取材を厳しく批判しているが、『あなたが火を付けたのではないか』と多くの写真記者が憤慨している。その後のテレビでも、視聴者が被疑者をカレー事件の犯人であるかのように受け取るようなコメントを繰り返している。〉

以上が私の質問です。

「創」12月号(締め切り28日)に書く記事に使わせていただきたいので、恐れ入りますが、今日中にご回答ください。こちらから電話を入れて、取材させていただいても結構です。どうぞご指示ください。》

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10月26日のファクスで、夫妻宅の隣家をKさんと表記したが、この仮名のためのアルファベットにあまり意味はない。Kを削除する。夫妻宅の隣家の方のことだ。Kさんは夫妻のことでは全くない。隣家に捜査官が入ったことで、報道陣が夫妻宅の隣家周辺に集まり、その後に、大谷氏が夫妻宅の妻に声をかけたという情報があるのだ。

以上が私の見解表明、質問と経過説明(資料付き)です。テレビ朝日への取材申し入れが、テレビ朝日の対応によって、大谷氏への質問状を私が出したと認識されて、大谷氏から私への回答が送付されてきたのです。私は大谷氏に対して質問したのではないのに、大谷氏に「回答」されて、大谷氏への確認作業が非常に困難になりました。大谷氏は、「窓友新聞」の文章をみても、冷静に書いているとは私には思えません。

私は大谷さんに会って、私が得た情報について確認をしたいと思っています。「なぜ私本人に確認しないのか」と書いていますが、ぜひ確認させてください。

テレビの映像は検証が非常に難しいのです。この国には放送を録画して見る施設がありません。チャンネルがたくさんあり、同じ時間に類似の放送があり、研究者にとってもテレビの研究は厄介だと言われています。

私がテレビ朝日などに問い合わせたのは、8月25日の午後、大谷氏のすぐ近くにいた人たちから情報があったからです。その情報を私のワープロで記録し、テレビ朝日に送ったのです。繰り返しますが、テレビ朝日の要請にこたえて文章化して送ったもので、大学教授がいきなり「送り付けた」のではないのです。

私は大谷さんが妻と交わした会話の映像と録音を入手できる、または大谷氏本人からの確認がとれるまで、このことを書くつもりはありませんでした。映像・録音さえあれば、この情報の真偽はかなり明らかになると考えます。

私の取材、執筆手法は、大谷氏が言うような乱暴なものではありません。大谷氏の「同業」だった(今もそうでしょう)私は、取材と報道の原則を大事にしたいと思っています。夫妻の発言をめぐり、朝日新聞社広報担当者とのやりとりを書いた「創」99年1月号(12月7日頃発売)をご一読いただければ、理解していただけると思います。

繰り返しますが、8月25日の午後から、あのすさまじい自宅包囲取材が始まった経緯について、どうか大谷さんの知っているところを教えてください。私の都合のつく限り、ご指定の場所にお伺いしますので、聞き取り調査に応じてください。お聞きしたことを公表する場合は、ご同意いただければ、事前に大谷さんに確認をしていただきます。

以上の点について、ご回答下さい。

敬具

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1998年12月1日現在のプロフィール

浅野健一(あさの・けんいち)

1948年7月27日、高松市生まれ。66ー67年AFS国際奨学生として米ミズーリ州スプリングフィールド市立高校へ留学。72年、慶応義塾大学経済学部卒業、共同通信社入社。編集局社会部、千葉支局、ラジオ・テレビ局企画部、編集局外信部を経て、89年2月から92年7月までジャカルタ支局長。帰国後、外信部デスク。77ー78年、共同通信労組関東支部委員長。94年3月末、共同通信退社。

93ー95年慶応義塾大学新聞研究所非常勤講師。

94年4月から同志社大学文学部社会学科教授(新聞学専攻)、同大学大学院文学研究科博士課程教授。

96年12月から1年間、同志社大学教職員組合委員長。

共同通信社社友会準会員。人権と報道・連絡会(連絡先:〒168-8691 東京杉並南郵便局私書箱23号、ファクス03ー3341ー9515)世話人。日本マス・コミュニケ−ション学会会員。

著書

主著に『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『犯罪報道は変えられる』(日本評論社、『新・犯罪報道の犯罪』と改題して講談社文庫に)、『犯罪報道と警察』(三一新書)、『過激派報道の犯罪』(三一新書)、『客観報道・隠されるニュースソース』(筑摩書房、『マスコミ報道の犯罪』と改題し講談社文庫に)、『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社、『日本大使館の犯罪』と改題し講談社文庫)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)、『メディア・ファシズムの時代』(明石書店)、『「犯罪報道」の再犯 さらば共同通信社』(第三書館)、『オウム「破防法」とマスメディア』(第三書館)、『犯罪報道とメディアの良心 匿名報道と揺れる実名報道』(第三書館)、『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』(スリーエーネットワーク)、『メディア・リンチ』(潮出版)。

編著に『スパイ防止法がやってきた』(社会評論社)、『天皇とマスコミ報道』(三一新書)、『カンボジア派兵』(労働大学)、『激論・新聞に未来はあるのか ジャーナリストを志望する学生に送る』(現代人文社ブックレット)。共編著に『無責任なマスメディア』(山口正紀氏との共編、現代人文社)。

共著に『ここにも差別が』(解放出版社)、『死刑囚からあなたへ』(インパクト出版会)、『アジアの人びとを知る本1・環境破壊とたたかう人びと』(大月書店)、『派兵読本』(社会評論社)、『成田治安立法・いま憲法が危ない』(社会評論社)、『メディア学の現在』(世界思想社)、『検証・オウム報道』(現代人文社)、『匿名報道』(山口正紀氏との共著、学陽書房)、『激論 世紀末ニッポン』(鈴木邦男氏との共著、三一新書)、『松本サリン事件の罪と罰』(河野義行氏との共著、第三文明社)、『大学とアジア太平洋戦争』(白井厚氏編、日本経済評論社)、『オウム破防法事件の記録』(オウム破防法弁護団編著、社会思想社)、『英雄から爆弾犯にされて』(三一書房)などがある。

『現代用語の基礎知識』(自由国民社、1998年版)の「ジャーナリズム」を執筆。

監修ビデオに『ドキュメント 人権と報道の旅』(製作・オーパス、発行・現代人文社)がある。

資格 1968年、運輸相より通訳案内業(英語)免許取得

 E-mail:kasano@mail.doshisha.ac.jp

VZB06310@niftyserve.or.jp

    (電子メールの場合は、お手数ですが、両方に送ってください。VZBの後は数字の0です)

 浅野ゼミのホームページ http://www1.doshisha.ac.jp/^kasano/

 人権と報道・連絡会 ホームページ http://www.jca.ax.apc.org/~jimporen/welcome.html

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私は「窓友新聞」発行人・編集人にも抗議文を送り、反論文の掲載を求めている。

テレビ朝日広報部の高木さんは「8月25日、大谷氏はテレビ朝日の仕事をしているので、テレビ朝日と関係のないことだと大谷氏が書いている意味がよくわからない。」と私に語っている。

 

このhpをご覧の皆さんで、大谷氏が出演したテレビ、ラジオ番組を録画、録音されている方がありましたら、お貸しください。特に、大谷氏が園部で逮捕されている妻と交わした会話の場面を見た人は連絡ください。ファクスの場合は0471ー34ー8555でお願いします。

 

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