横浜市役所が講演中止をいったん通告

抗議で急遽撤回

浅野健一(99・5・16)

 

私はこのホームページで、99年2月18日、東京都知事選挙に元国連事務次長の明石康氏が、自民党の要請を受けて支持を出馬することになり、翌日正式に記者会見したことを批判した。明石氏は結局、惨敗したが、私の明石批判が思わぬところで「追及」された。

私は2月20日、横浜南区役所で市民による自主講座「報道を考える」で講演した。市の公報を見て来てくれた人が多く、70人近くが集まった。実は、この講演会は2日前に突然一方的に「中止」と通告されていたのだ。私が事前に送ったレジュメの中に、都知事戦に立候補予定の明石氏を批判した文章があったことが問題になった。横浜市といえば故飛鳥田一雄市長がさまざまなリベラルな改革を打ち出した市であり、市の職員のレベルもかなり高いと思っていただけに、愕然とした。

その経緯は次のようだった。

《私は二月二○日(土)午後、横浜市の南区役所、南区市民学級「報道を考える」運営委員会が主催する「報道を考える」連続講座の第3回目の講師を務めることになっていた。横浜市南区役所地域振興課のS氏から、「二月一八日までに当日配布すべきレジュメを送ってほしい」という依頼があった。その際、「横浜テレビ局」から講義を収録、放送したいという申し出があったことも伝えられた。

私は一七日、レジュメを宅配便で送った。一八日午後五時半ごろ、S氏から柏の自宅に電話があり、「レジュメの最初の方にある、明石康さんに関するところを削除してほしい」と要請された。理由は「都知事選挙が間近に迫っており、役所が行う講座で特定の候補を取り上げるのは困る。ほめても批判してもいけない。削除してくれないと講座を開くことは難しい」と言ってきた。

私は、「講師がどういう内容で話すかを制限するのはおかしい。事前検閲に当たる。レジュメは私の責任でつくったものであり、その内容を講座が始まる前に問題にするのは憲法21条違反に当たる。私が刷って持っていくので、市役所の責任はない。講座の内容にクレームがつけば私が全責任をとるという誓約書を書いてもいい」と答えた。約40分話し合った。S氏は「役所が開くので、偏った講師をなぜ呼んだのだという批判がよくあるので、理解してほしい。上司ともう一度相談してみる」と述べた。

午後八時頃、S氏から再び電話があった。「講座は中止せざるを得ない。責任者がそう決めた。レジュメを瀬戸保・南区長にも読んでもらって決断した。役所は組織だから、こういう決定になった」。私は、「書面で講演依頼状が来ているのだから、キャンセルするのなら、誰がどういう根拠で中止すると決めたのかを明示した文書を送ってほしい」と述べた。S氏は「今日は上司が退庁したので、明日送る」と述べた。私は「予定どおり会場に行って、瀬戸区長らとレジュメに問題があるかどうかを議論したい。それを受講生の人に聞いてもらって、陪審評決してもらうつもりだ」と伝えた。

私は全国各地の自治体主催の集会や公民館での講師を務めたことがあるが、レジュメの内容が問題だと言われたことは一度もない。ましてや、講師依頼を撤回されたことなどない。

南区役所のこの「報道を考える」講座は、一般市民の人たちが98年秋から準備してきた。特に人権と報道・連絡会事務局長の山際永三さんが、コーディネーターになってプランをつくったという経緯もある。全体で6ページあるレジュメのごく一部が問題だからといって、講座を中止するのは全く不当である。》

 

問題となった部分のレジュメの文章を再録したい。


メディアがつくった「明石康」像

日本では明石氏は、国連で活躍した不偏不党の立派な人というイメージが定着している。マスメディアがそうした虚像をつくってきたからだ。私から見ると、彼は国連事務次長職を悪用した人物で、自民党・自由党に担がれてその本質を暴露したと思う。

元国連事務次長で広島平和研究所所長の明石康氏が、東京都知事選挙に自民党と自由党の推薦を受けて出馬しようとしている。しかし、彼のカンボジアPKOでの「活躍」は日本の自民党と外務省の超タカ派グループの工作員としての活動だった。当時の自民党渡辺美智雄派と皇太子妃の父親、小和田恒外務事務次官(前国連大使)や岡崎駐タイ大使らの意向を受けて、九二年五月八日から東京を突然訪問。日本の国会やメディアで「日本は自衛隊員を五人でも十人でもカンボジアに送ってほしい」「過去の(侵略戦争)のことより平和を創造することが大事だ」などと繰り返し述べて、日本の世論をミスリードした。カンボジアで停戦合意が破られて、ポル・ポト派が国連を「占領軍」と規定し、ゲリラ闘争を再開した直後だった。ポト派放送は明石氏のことを「現代の東条英機」と批判していた。私はその時、カンボジアへ出張していた。ニューヨークからプノンペンへ直接戻るはずの明石氏は、日本の自民党右派と外務省タカ派の要請で、急遽訪日したのだ。ニューヨークからの旅費や東京のホテル代は誰が払ったのだろうか。国連事務次長としての公務なのか、プライベートな旅行なのかもはっきりしない。

明石氏は個人的見解として発言したようだが、国連の職員のナンバー2の一人に当たる国際公務員が、「自衛隊のカンボジア派遣は違憲ではない」などと公の場で述べることは、不適切である。国連による内政干渉の疑いもある。プノンペンの国連職員の間でもそうした批判があった。明石氏は、UNTACのスタッフがプノンペン郊外に多数営業していた売春宿を利用しているという批判について、「やむを得ないこと」と発言したこともある。

明石氏が自民党と自由党から推薦を受けて都知事選挙に出馬することになれば、彼が九○年代に入ってから、自民党右派と外務省タカ派のエイジェントとして国連で活動してきたことを証明することになるだろう。そう思っていたら、柿沢氏が「なんで明石なんや」と思ったのか、2月14日に出馬の意向を表明。明石氏は15日夕に予定していた出馬表明を先送りした。自民党がまとまれば出るという明石氏の政治認識はどうなっているのか。なぜ自民党ならいいのかがさっぱり分からない。都知事になりたいのなら、まず都民に政策を含めアピールすべきだろう。勝てる体制ができれば出馬するというのは、有権者を愚弄している。公明党は前回の参議院の比例代表区のトップに明石氏を推したが、本人が断った。公明党幹部も複雑な心境だろう。

私は喜岡淳氏との共著『カンボジア派兵』(労働大学)62頁、『犯罪報道の再犯』313頁、鈴木邦男氏との共著『激論 世紀末ニッポン』(三一新書)39頁などで明石氏を批判してきた。私は共同通信外信部記者時代の九二年九月二六日に次のような文章を書いている。『カンボジア派兵』の元原稿である。明石氏と日本政府がカンボジア問題を徹底的に利用して、自衛隊海外派兵を実現したことがよく分かると思う。日本のPKO活動参加の目的は、自衛隊を戦後初めて、国会決議を無視して派兵するためだけだった。

(当時の取材メモから)《私は三年半のインドネシア滞在を終え九二年七月一四日帰国した。本来は来年初めまでいる予定だったが、インドネシア政府がビザ更新を拒否したため、急遽後任記者と交替した。

アジアから反発を招いたPKO法成立に大きく貢献したのがカンボジアのフン・セン首相と明石康国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)国連事務総長特別代表だ。二人は三月と五月に東京で「自衛隊をぜひ派遣せよ」と体を張った。セン首相は「他の東南アジアの国も反対していない」という嘘までついた。明石代表も「自衛隊派遣は憲法違反ではない」とまで言って、日本の内政に干渉した。職権濫用だ。

セン首相はパリ経由で米国に行くはずだったのが、急に東京経由に変った。明石氏も最初は五月八日ころプノンペンに戻る予定だった。当時プノンペンにいた私は明石氏とのインタビューを計画していた。そのころポト派がコンポントム州で大攻勢を掛けていた。一日も早くカンボジアに戻るべきなのに、東京に立ち寄り、外務省の用意したと思われる作文を国会で読み上げた。「自衛隊派遣は憲法違反には当たらない」「五人でも十人でも自衛隊員を」などとした国連代表の職権を乱用、日本に内政干渉した。

明石氏をよく知る同僚の元ニューヨーク特派員(国連担当)によると明石氏は日本の再軍備には一貫して反対し「日本は非軍事部門で国際社会に貢献すべきだ」といつも強調していたという。「自民党に頼まれて説を変えたのだろう。見識のある人と思っていたので失望した」と彼は話した。

UNTACの資金は日本が出す、代表には明石氏を据える、日本はカンボジアを利用して自衛隊の内外での認知を獲得するーというシナリオが出来上がっていたのだろう。丸目の八九年後半からの動きも、ODA絡みの権益獲得だけでなく、海外派兵を実現するという高度な政治的目的を持ったものだった。》


 以上が問題とされたレジュメだ。

私は2月18日、横浜市長、横浜南区役所・瀬戸保区長、横浜南区役所地域振興課・S氏、南区市民学級「報道を考える」運営委員会代表に、抗議文を送った。

《私が2月20日午後に南区役所で予定していた講義が中止になった、という電話連絡がS氏から本日夜にあった。S氏は「区長とも相談して決めた」と言うのだが、「私は決定権者ではないので文書での通知はできない」と述べている。理由も不明確だ。

受講生に配る予定のレジュメの原紙(18日午前中に届いたばかり)を市役所の公務員(区長も含む)がチェックして、講義中止まで決めてしまったことに驚いた。何を恐れているのだろうかと思う。

南区役所のこの「報道を考える」講座は、一般市民の人たちが98年秋から準備してきた。特に人権と報道・連絡会事務局長の山際永三さんが企画段階から協力してきたので、私も全面協力するつもりだった。全体で6ページもあるレジュメのごく一部(そのほとんどは私の著作で公表済み)が問題だからといって、講座を中止するのは全く不当である。

私は20日午後1時40分に、蒔田駅で生涯学習支援係の担当者と待ち合わせて、会場に向かうことになっている。予定どおり、会場に行って、講座の参加者に説明する。

S氏から1月21日に届いた手紙によりますと、「この講座は市民からなる運営実行委員会が実施主体になっており」とあります。今回の措置について、実施主体である市民からなる運営実行委員会も同意されているのかどうかを至急お知らせください。

私は市民の皆さんとの約束を守るために、20日午後2時に会場に行きます。中止の決定の通知を受講生の方々には伝えないようにしてください。20日の午後2時まで、レジュメをどうするかについて、「決定権者」と私で協議しましょう。

何とぞよろしくお願いします。                        敬具》

 

私は「講演会中止」について2月18日夜、一部の報道機関に連絡した。

この講座は人権と報道・連絡会の山際永三事務局長らが企画段階から加わっており、山際さんも抗議した。

2月19日午前中は、担当課長が「選挙にかかわることを書いているから駄目だ。市民による運営実行委員会も昨夜遅く中止に同意した」などと述べた。

ところが、正午過ぎ、課長から私に電話があり、「予定通り講演をお願いしたい。レジュメも原文のままコピーして配布する」と言ってきた。講演中止問題が社会的に批判されるのを恐れての決定だと思われる。自分のことしか考えない、ことなかれ主義である。

運営実行委員会代表の市民からの連絡で、委員会が2月18日深夜に「中止に同意した」という事実はないことが分かった。課長は嘘をついていたのだ。

 

2月20日の講演会は無事に終わった。参加者の一人からメールが届いた。

《 私は昨日2月20日、南区役所主催の市民学級で浅野さんの「人権と報道」を興味深くお聴きした者の一人です。 お話の中で「やった人にもマスコミは石を投げるべきではない」等と話され、スウェーデンの例を 紹介されました。これは私にとって衝撃的なお話でした。

私は「裁判ウオッチング市民の会かながわ」の会員の一人で、主に横浜地方裁判所の裁判の傍聴活動を続けている68才の年金生活者ですが、刑事裁判の判決の中で、裁判官が被告人に対して、社会的制裁を既に受けている事を考慮して、量刑に反映させている事を考えると、先ず裁判官の姿勢を正さなければならないと感じたからです。

今迄私は社会的制裁になってしまうマスコミ報道に対し、やった人に対しては何の疑問も 抱きませんでした。 気が付かなかった事を教えて頂き本当に有り難うございました。》

私はこんな返事を送った。

講演をよく聞いてくださり、心から感謝します。「有実者にも人権がある」という考え方に到達するのに、私も時間がかかりました。しかしそれ以外に冤罪をなくす方法はありません。すべての人に基本的人権を認めてこそ、人権です。そういう意味で、オウム事件のときに、オウムには人権を認める必要がないと言ってしまった文化人には大きな責任があります。オウムの幹部たちも無罪を推定される権利があるし、ましてや一般の刑事事件には無関係な信者にはなんの責任もない場合があると思います。判決による刑罰以外に、メディアによる処罰を受けている現状は、法の支配がないということです。私はメディア・リンチだと呼んでいます。貴殿がおっしゃるように、裁判官がメディア裁判を肯定し、「報道されたこ とにより、既に社会的制裁を受けている」ということを情状酌量の理由にする(弁護士にもそう主張する人たちがいます)のは、自ら法律を無視するものです。

日本では逮捕が懲罰になり、逮捕されると実名報道されるというルールで、警察とメディアが、裁判が始まる前に、社会的に抹殺するという構造ができています。司法を民主化するためにも、犯罪報道を北欧のように変えていく必要があります。欧州でも同じ考えがあります。私も学生を連れて裁判を傍聴しています。これからも裁判を監視していってください。〉

 

講演会が予定通り開かれてよかった。多くの市民と出会うことができた。

明石氏は都知事選挙で惨敗した。

4月13日、参加者の一人からはがきが届いた。彼は自民党の傲慢さと明石氏の都政についての無知を指摘したうえで、《先生が生涯学習講座で触れました反明石と南区役所の対応を知る者として、今度の大敗を結び付けますと彼らが演じたのはドンキホーテの役であったと思います。》と書いていた。

以上のことについては、「語る、かたる・トーク」(国連登録NGO 横浜国際人権センター発行、045ー261ー3855)49号の「コラム」で、大岡みなみ氏(ジャーナリスト)が詳しく書いている。また、大岡みなみ氏のホームページでも触れている。(以上)

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Copyright (c) 1999, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1999.05.22