ピョンヤン訪問記

「よど号」グループの子供たちに会った

浅野健一

 

 私は九七年七月二六日から二九日まで朝鮮民主主義人民共和国を訪問した。日本のメディアは共和国のことを北朝鮮と表現するが、韓国(正式名は大韓民国)のことを南朝鮮とは呼ばない。朝鮮民主主義人民共和国をどう略しても北朝鮮にはならないはずで、私は朝鮮と書くことにしている。

 日本のマスメディアが、八月二一日に再開した朝鮮民主主義人民共和国と日本の外交交渉を「日北交渉」ではなく「日朝交渉」と呼んでいるのは正しい。

 朝鮮への旅行は初めてだった。七〇年に日本航空の「よど号」をハイジャックしてピョンヤンに渡った小西隆裕氏らの協力を得て「商用・業務」ビザを取ることができた。小西氏らはピョンヤンで日本人女性と結婚し、子供たちと共に生活している。

 北京経由でピョンヤン空港に着いた。「よど号人道帰国の会」の山中幸男代表とメンバーの一人の親類の一人と私のゼミの男子学生一人と一緒だった。ハイジャック闘争のメンバーで現在ピョンヤン在住の小西さん、若林盛亮さん、赤木志郎さん、安部公博さんの四人が空港で出迎えてくれた。

 個人となったメンバーも含めグループの子供たちは、二十歳から二歳まで二〇人いるが、年長の子供たちが一時帰国を希望しており、そのうちの年齢が高い六人(女性四人と男性二人)と会うことができた。七月二八日午後三時から小西さんたちの事務所の応接室で六人にあった。みんな礼儀正しく、明るい若者だ。私がまず六人の子供たち(と言っても二十歳を迎えた人もいる)に日本の状況を話した。子供たちが日本から来た「第三者」に会って話しをするのは初めてと聞いた。日本の若者が祖国のことをどう考えているのか、大学生はどういうことに興味があるのか、日本のマスコミは正しい報道をしているのかなど多くの質問も受けた。

 その後、私に同行した同志社大学のゼミ員の男子学生と一時間半以上、「大人抜き」で話し合った。学生によると、六人は「日本でたくさんの友達をつくりたい」「日本で問題になっている『いじめ』はなぜ起きるのか」。次々と質問されたという。ミスチルなど日本の若者に人気のあるアーティストのことをよく知っていたという。学生の感想は、「みんな明るく元気だ。ハイジャック犯と言われている人たちもみんな普通の人だった」である。

 山中代表らの努力で子供たち二〇人のうち一四人の「戸籍」がとれることになった。外務省、法務省も子供たちに渡航証明書を発行して日本に旅行できるようにする手続きを「粛々と進める」と表明しているという。小西さんたちは、外務省が渡航証明を出して北京経由で日本に「帰国」した後、外務省が子供たちに旅券を発行するかどうか心配している。旅券は帰国後に引き受け先の親類の住む自治体を通じて請求することになるが、親が公安事件に絡んでいるということである筋から妨害があるのではないかという懸念だ。そうした懸念があって、小西さんたちは既に帰国の準備が整っている三人の子供たちの渡航の時期をまだ決めかねているようだ。外務省は旅券の発行を約束すべきだと思う。

 子供たちの中には日本の大学に入学を希望する人もいた。子供たちはピョンヤン市内の普通の学校に通いながら、毎日午後三時から六時まで両親たちが教師になって開いている「日本人学校」で勉強している。両親たちの過去の行為についてはさまざまな評価があるだろうが、ピョンヤンで生まれ育ち祖国をまだ見たこともない二〇人の日本人が、日本と朝鮮を自由に往来する権利を誰も否定できない。親が「公安事件」で「指名手配」しているからと言って、子供の人権を制限すれば国際的に認められている子供の権利に違反すると私は思う。

 子供たちはまだ見ぬ祖国に対する思いを歌にしている。「私は日本人」という歌の二番は次のような歌詞だ。「春になれば きれいな桜 私たちは日本で 住んでいないけど どんな花よりも 桜の花が好き」。「私の祖国」という歌は「あー母が愛し父が愛し 青春を捧げた私の祖国 あなたに会えるのはいつの日でしょうか」という歌詞で終わっている。

 グループの四人の今後について小西さんは、「ハイジャック闘争は政治闘争であり、我々は無罪という立場であり、日本政府側は犯罪だという立場だ。我々は話し合いを政府に呼び掛けている。話し合いだから双方が原則に固執していれば何の進展もない。我々としても一致点を見い出したい」と述べた。小西氏は、日本に帰国した場合に犯罪者としてマスメディアに報道されることを嫌がっているように思えた。刑事裁判を受けて判決に従うことは否定しておらず、身柄の確保なしの形で起訴されることが保証されれば帰国する意志があると私は判断した。証拠湮滅と逃亡の恐れがなければ身柄を拘束する必要はない。四人は過去の行為について自分たちがやったと認めたうえで、出版物などを通して闘争手段や理論の誤りを認めている。裁判になった場合も、事実認定については争いはそうないだろう。日本政府は話し合いに応じて、四人の望みに耳を傾けるべきであろう。

 たまたま「朝鮮戦争勝利記念日」の七月二七日の夜会を見た。金日成広場で約七万人の人々がフォークダンスに興じていた。二ケ月の語学研修に来ているという日本の朝鮮大学校の学生たちも参加していた。「暴発寸前」なら万単位の市民を都心に集めることはできないだろう。ビルマの軍事政権は学生市民が数十人集まるのも警戒しており、大学を九六年九月から全面閉鎖したままだ。

 朝鮮ではどこに行くにも案内人の人が同行する。米国と戦闘状態が続いているわけだから、日本人に自由な取材は不可能だ。日帝時代を知る記者に会いたい、と友人を通じて当局に申し入れたが、実現しなかった。滞在日数が短かったこともあり、新聞社の訪問もできなかった。

 隔週発行の英字紙「ピョンヤン・タイムズ」には、日本政府を厳しく批判する論説記事が毎号のように載っている。特に日米安保条約の再定義、同条約に基づくガイドライン見直しを軍国主義復活の兆しと見ている。七月一九日の同紙は、キム・カンチョル記者の署名記事で、「日本は愚かな試みを止めよ」と題して、防衛庁が「有事」に際して米軍への協力する内容をまとめたことを取り上げ、「日本以外の地域で自衛隊が米軍の軍事行動を支援することになったが、これは日本の『防衛』とは何の関係もなく、法律で禁止されている集団的自衛権の行使であり、憲法違反だ」と批判した。朝鮮労働党の機関紙、「労働新聞」も、米国より日本がより「反動的」とする論評が目立っているそうだ。

 金日成総合大学でキャンパスにいた学生たちにインタビューした。学生たちに日帝時代の歴史教育について聞いたが、「小学校から高等中学までずっと、朝鮮解放の歴史を学ぶ中で、日本の統治時代のことも学習している」と答えてくれた。化学専攻のチョエ・ジョンリムさん(二二歳)は、「日本政府が米国と一緒に現在していることはよくない。日本の人たちが、我が国の統一問題についてよいことをしてくれるよう願っている」と述べた。またスン・ミョンシルさんは「社会主義国である祖国の優れた点をよく見て、日本に広く紹介してほしい」と要望した。

 日本の朝鮮報道は、あまりにも一方的だと思う。事実確認をほとんどせずに韓国安全企画部筋の情報、朝鮮からの亡命者らの「証言」をそのまま報道している。メディア関係者の社会主義嫌いの体質もあり、洪水の被害も体制矛盾のせいだと報道する。国家全体がテロリストであるかのような報道が続いている。ジャーナリストはまず、事実の確認をすべきだろう。

 天皇の戦争責任や南京大虐殺、日本軍性奴隷問題など「大日本帝国」の侵略戦争責任や公安警察によるでっちあげなどについては「確たる証拠」や「第三者の証言」を求め、国家の責任をなかなか認めない国が、主権国家である隣国について「拉致事件に関与している見られる」(八月二一日のNHK)などと繰り返し放送していいのだろうか。NHKはこの日のニュースで「日本側は拉致という言葉は使わず行方不明事件と表現する」と報じていた。

 

 私が北京からピョンヤンに向かう高麗航空機には、赤十字国際委員会(UNHCR)世界食料計画(WFP)、国連児童基金(ユニセフ)、世界保健機構(WHO)などの国際機関職員・専門家がたくさんの荷物と共に乗り込んでいた。人道援助関係者の中に日本人の姿は見えない。

 朝鮮の政治社会体制には問題が多いと私も思う。指導者の世襲制も不自然だ。国際社会から孤立を余儀なくされて、経済発展の面で遅れをとっていることは明白のようだ。

 しかし、朝鮮を孤立化し、敵国扱いまでし、いまだに国交も結んでいない日本や米国に責任はないのだろうか。抗日戦争を闘い抜いて祖国の独立を勝ち取った人たちが中心となって樹立した共和国に対して、かつての侵略国はもっと謙虚に振る舞うべきではないか。

 日本は五二年前まで三五年にわたって朝鮮を侵略した。現在の国家分断の責任は日本にあるのだ。その国に対して、「北が攻めてくる」「クーデター前夜だ」などと言いたい放題でいいのだろうか。朝鮮人民に謝罪も賠償もせずにきた日本が、国連のメンバーにもなっている主権国家、朝鮮の体制を第三者的に誹謗中傷する資格はない。朝鮮の人たちが報道されているように自然災害などにより飢餓に苦しんでいるのであれば、無条件で救いの手を差し伸べるべきだと私は思う。

 日本のマスメディアが朝鮮バッシングに熱中するのは、侵略戦争に加担した自らの責任を認識せず、反省も謝罪もしていないからだと思う。朝鮮政府は日本のマスメディア報道を強く批判しているという。日本の報道機関は、なぜ自分たちは嫌われているのかを考えたほうがいい。

 私がピョンヤンに入った時の飛行機に新聞記者らしい人たちが数名いた。八月?日の朝日新聞夕刊に干魃の被害に遭っている水田の写真が載っていた。朝日記者が撮影したのだ。

 CNN副社長が朝鮮に入り、テレビ朝日の「ニュースステーション」にも中継で出演していた。原子力問題などでの動きを見ると、米国が日本の頭越しに朝鮮と国交樹立という可能性だってあると思う。

 

 九六年三月二七日、田中義三(よしみ)さんはカンボジアで逮捕された。ドル札偽造、何百万ドル所持、偽造工場偽旅券などとおどろおどろしく報道された。田中さんはカンボジアからタイへ強制出国させられ、タイで起訴されて裁判を受けている。米国中央情報局(CIA)や韓国の安全企画部からの情報で、朝鮮共和国の指令を受けて偽ドルをばらまいたなどというひどい報道があった。 

 田中さんは「タイには来たこともない」と主張している。カンボジアで逮捕されたのになぜタイで裁判を受けているのか。熱帯の監獄で、九六年末からは足鎖をされているという。

 神戸税関は二〇日午前、神戸港に入港した北朝鮮籍の貨物船内から偽ドル札とみられる紙幣二十数枚が発見された、と発表した。日本のテレビ各社は八月二〇日午後から、「神戸港に停泊中の北朝鮮の貨物船の中から偽ドルを発見」と派手に報じた。同日夕刊も「偽ドル札」の後に「?」を付けて報じた。税関当局の発表のたれ流しである。記者たちは誰もこの「偽ドル」を自分では見ていない。当局が「詳しい鑑定を依頼する」と書いているのだが、見出しを見れば予断を持ってしまう。

 許せないのはほとんどのテレビ局が、過去の「北朝鮮と偽ドルとの関係」という形で、田中氏の誤った初期報道の映像を垂れ流したことだ。同日夕方のテレビ朝日の「スーパーチャンネル」は、田中義三氏が拘束された時の映像や大量の偽札押収のシーンを流して、田中氏がよど号事件の容疑者だとコメントした。そのほか「北がかかわった偽ドル事件」の映像をオンエアした。

 テレビ朝日は「サンデープロジェクト」などで、よど号のハイジャッカーたちが「北の工作員」として海外で活動しており、田中氏の逮捕もそいう活動の中で起きたというストーリーを創ってきた。自らも元ブント(社会主義学生同盟)活動家だと言っているジャーナリストが番組の中で顔を出して、故田宮高麿氏から聞いた話しとして、共和国がよど号グループを工作員として利用しているなどとコメントしている。

 バンコク在住のジャーナリストたちによると、田中氏に関する初期報道はほとんどが虚報であるという。「自分が赴任してくる前の報道だが、何の訂正もなしでいいのだろうかとは思っている」とある特派員は話した。

 また小西氏はピョンヤンで私に、「朝鮮共和国政府が私たちを工作員にするなどということはありえない。高沢氏が亡くなった田宮氏との個人的な対話の中で聞いたとしてあれこれ言うのは信義に反している。日本の報道機関は自ら取材して真実を報道してほしい」と語った。

 

 グループの四人はピョンヤン空港で私たちを見送ってくれた。四人が日本に戻ってくる日はいつ来るのだろうかと考えた。朝鮮政府はハイジャッカーの青年たちを三〇年間、政治的亡命者として保護してきた。日本と共和国の国交正常化交渉が本格化して、四人の処遇が議題になる日が来るだろう。

 日朝交渉に当たる日本の外交官や、それを報じるメディア関係者も四人と同世代の人たちが多い。学生運動、労働運動が昂揚していたあの時代に青春時代を送った世代には、「ちょって友人や先輩が変わっていたら、僕も全共闘に入っていただろう。そうしたら、内ゲバで殺されていたか、外国に行っていたか・・・。タイの刑務所にいたのは田中さんではなく、僕だったかもしれない。だから他人事ではないと痛感した」(鈴木邦男氏「創」「SPA!」)という共通の思いがあるのではないか。三〇年前のハイジャックを短なる「刑事事件」としてだけ捉えずに、社会の問題として考える視点を持ちたいと考える。

 

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Copyright (c) 1997, Prof.Asano Ken'ichi's Seminar Last updated 1997.09.09