. Asano Seminar : Doshisha Univresity
 教授・浅野健一
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記者としての活動

記者としての活動記録

[職務上の実績]

22年間の共同通信記者時代に毎日平均1ー2本の記事を書き、加盟・契約関係のある新聞・放送局が報じた。

入社後に配属された社会部時代には中国から上野動物園に贈られてきたジャイアント・パンダ番記者を務めた。オイルショックの東京・山谷、大阪・あいりんの日雇い労働者の街をルポした連載記事を発表した。

千葉支局では成田空港建設に関する記事や千葉二、三区で金権選挙を取材。宇野亨衆議院議員の逮捕、川上紀一知事の政治資金問題などで取材班の一員として関東総局長賞を受賞した。

ラジオ・テレビ局企画部では、国政選挙、つくば科学博覧会などでラジオ用の録音構成番組を制作、また特派員の妻による「奥様リポート」を企画。文化放送、FM東京をはじめ全国の放送局がオンエアした。北陸放送、文化放送で出向研修を行い、放送メディアの現場を経験した。

外信部記者と外信部デスクの期間(87年7月から94年3月)は主に東南アジア、軍縮問題を担当した。88年には、カンボジアにユニセフ(国連児童基金)のスタディツアーの一員として参加、当時日本と国交がなかったプノンペン政権の実態を取材した。プノンペン政権成立後に日本人記者として初めてカンボジアに入った。取材の成果は4回連載「再生めざすカンボジア」(88年3月24日から27日までの信濃毎日新聞などに掲載)、ニュース特集「女たちの国カンボジア」(88年4月26日の南日本新聞などに掲載)として配信。

88年8月30日、ビルマで民主化運動のリーダーに推されつつあったアウンサンスウーチーさんに、国際電話でインタビューした。彼女に記者がまとまったインタビューをしたのは初めてで、彼女が生涯をかけて祖国の民主主義実現に努力すると表明した。日本経済新聞が外信面トップで掲載するなどほとんどの新聞が報道、共同通信の英字配信のKWSでも流れ、外国通信社も転電した。

89年2月からジャカルタ支局長となり、92年7月までインドネシアを取材した。記事はKWSでも配信され、コーネル大学、アムネスティインタナショナルなどのインドネシア研究者の間でも、ジャカルタ発の共同通信電は注目された。

インドネシアはフランスとともにカンボジア紛争解決のためのジャカルタ非公式会合の共同議長国で、カンボジア問題をパリ和平合意まで取材した。92年5月にはカンボジア現地で一カ月取材、プル・ポト派の内戦再開を取材した。

89年12月にイリアンジャヤ州の熱帯雨林で日本の商社が出資した木材会社がマングローブを違法伐採していることを調査報道した。商社は非を認めインドネシア政府も一時営業停止などの処分を決めた。

89年10月と91年11月に独立運動が続く東ティモールを取材して、連載記事を書いた。89年10月10日、ノーベル平和賞を後に受賞したカトリック教会のベロ司教に日本人記者として初めてインタビュー(10月12日の中国新聞など)した。91年11月12日にディリで起きたインドネシア軍による無差別発砲事件では、現地に入り報道した。日本政府はインドネシア政府に対して、真相解明と責任者の処罰を要求したことを詳しく報道した。

スマトラ島のコタパンジャンダム問題で、日本政府が政府開発援助(ODA)で援助供与国に人権・環境面で初めて条件を付けたことをスクープ、91年4月14日の朝日新聞が総合面で大きく報じるなどほとんどのメディアが報じた。KWSでも配信され国際的なニュースになった。政府がここで示した援助に関するガイドラインは、後に政府によるODA大綱策定につながった。

92年7月に帰国後は外信部のデスクとして、24時間入ってくる世界各地の特派員の原稿の処理と、外国通信社が配信する記事の取捨選択を担当した。

ジャカルタ特派員時代の取材をもとに『出国命令 インドネシア取材1200日』(日本評論社)、『日本は世界の敵になる ODAの犯罪』(三一書房)を出版した。東南アジアにおける人権・環境問題では、土生長穂・小島延夫編『アジアの人びとを知る本1 環境破壊とたたかう人びと』(92年5月、大月書店、95ー116頁)に「問われる日本の経済協力」を発表した。

またカンボジア取材は、『カンボジア派兵』(喜岡淳との編著、1992年、労働大学)で第2章「カンボジア紛争の歴史」と第3章「カンボジア派兵ーそのシナリオと反応」を書いた。また社会評論社が編集・発行した『派兵読本』(92年9月)に「自衛隊は現地で歓迎されたか」を書いた。

株式会社共同通信社が発行する『世界年鑑』の87、88、92、93年版で、オーストラリア、スウェーデン、インドネシア、南太平洋諸国などを執筆した。また平凡社発行の『』の87、88、92年版で北欧、東南アジアの諸国を担当した。

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