浅野ゼミ・ゼミ生ページ・卒業生


  2001年4回生ゼミの記録 目次
少年犯罪とメディア
共同研究の目的
佐賀合宿の報告
浪速少年院を訪ねて
山口由美子さんに聞く

2001年度4回生浅野ゼミ共同研究 〜少年犯罪とメディア〜

 
目的

 報道、とりわけ犯罪報道におけるメディア全体のモラルの低下が最近著しく、被疑者のみならず、犯罪被害者にまで執拗に取材する一部のメディアに対して我々は多くの疑問を持たざるを得ない。

 特に最近は目を覆いたくなるような少年犯罪が立て続けに起こっており、事件をめぐる過激な報道が相次いでいる。ある時は犯罪者、またある時は被害者としてセンセーショナルに報道される多くの少年たち。我々は「少年犯罪」を一つの大きな柱としてテーマを設定し、人権についても併せて広く考えながら「少年犯罪とメディア」というテーマで研究を進めていくことになった。

 「少年による凶悪事件」は、神戸児童連続殺傷事件、山口県母子殺害事件、愛知県豊川市の女性殺害事件、西鉄バス乗っ取り事件と続き、今日大きな社会問題となっている。メディアは『17歳』などをキーワードとし、連日様々な報道をしている。

 メディアの中には少年法61条を公然と破り、少年の名誉を侵害して報道をするところもみられる。大阪・堺の少年事件では、新潮社が少年の実名・顔写真を掲載し、西鉄バス乗っ取り事件では、少年の顔写真が一部のインターネット上で出回った。事件が起きると、その社会的背景や要因にはあまり目を向けずに、事件の内容や被害者・被疑者への集中的な報道がされ、少年法に問題があるから事件が起きるのだ、というような風潮をメディアが作っているように感じる。

 国会では少年法改正が論議されており、改正案は5月23日の国会で期限切れのため廃案となったものの、「年齢問題や少年の処遇のあり方などを早急に検討する」とした少年の非行対策についての決議が自由党を除く賛成多数で可決されている。この問題は先の総選挙でも政策課題の一つとして各党が議論を闘わせ、各党とも改正に対して積極的な姿勢を見せている。

 特に保守党は「凶悪犯罪者の氏名の公表を検討」しており、今後の国会において大きな課題をなることは間違いない。

 最近よく言われるように、本当に少年による犯罪は増加しているのだろうか。その再犯率も高いと言われているがどうなのか、そして少年の矯正はきちんと行われているのだろうか。

 一般に、取材から報道に至るまでの過程はあまり知られていない。そこでより具体的に問題を考えるために、マスコミ関係者や、教育・福祉関係者、できれば事件の当事者やその家庭に話を聞いていきたい。様々な人たちからの意見を聞くことによって、より多くの方向から取り組めるのではないかと思う。

 少年法の問題も視野に入れつつ、少年の犯罪を減らし、少年を更正させるために、メディアには何ができて、何をするべきなのか、成人事件の問題とも絡めて、少年犯罪報道のあるべき姿を考えていきたい。最終的には、少年犯罪報道を考える材料として、研究成果を社会へ提示できたら、と考えている。


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佐賀合宿の報告

 私たち2000年度3回生ゼミでは、「少年犯罪とメディア」を2年間に渡る共同研究のテーマとして選び、その中心を西鉄バス乗っ取り事件においています。
 今回、ゼミ合宿として9月27日〜29日の3日間、佐賀県において現地調査を行ってきました。関係者の方々に貴重なお話をうかがうことができ、実りの多い合宿となりました。

 以下にこの共同研究の目的と、合宿の報告を掲載いたします。


 ゼミ員一同

 報告

 もう九月の下旬というのに、最高気温が二十度後半にまで至るまだまだ厳しい残暑が続く佐賀空港に我々は到着した。街の規模や位置、方向などまったくわからない手探りの状態で、大自然の残る佐賀空港を出発し、宿舎のかささぎ荘に向かった。

 まず、地元紙の佐賀新聞社に行き、直接西鉄バス乗っ取り事件の取材に携わった編集局報道部長の宮崎俊一さん、また、編集局報道部デスクの吉木正彦さん、編集局報道部記者の森本貴彦さん、岳英樹さん吉丸正栄さんと梅木誠太郎さんから現場の生の声を聞くことができた。第一に、西鉄バスジャック事件の報道の姿勢から聞いた。最初の取材の際にどういう取材をしようか立ち止まったそうだ。まず話し合ったことは、「犯行動機や背景追及などはやるべきだが、同級生や周辺取材はあくまでも慎重に」ということであったそうだ。また少年事件であったため、「この少年はいったい誰なんだ、そして被害に遭っている方はどこの誰なんだ、という「地どり取材」を今回自粛した」ということだ。「こういったことを話し合っていたため、現場に駆けつけたのは一番遅かった。しかし、このような取材方法に関して間違っていないと思っている」とも言われた。「他社のように、少年の苗字と同じ家に片っ端から電話するよりも、そのように一歩ひいた視線で報道してよかった。」と語っていた。

 そして、被害者の少女に対する過熱した報道の話も聞くことができた。「県警司法記者クラブで少女の直接の取材をしないという内々の取り決めはできた。しかし、少女の父親に対する取材はかなりひどかった。マスコミが50〜60人でその父を囲んで、特に中央の大手記者数人が「笑顔の写真を撮らせて欲しい」「今まで撮った写真じゃ話にならない」「笑顔の写真じゃないと国民が納得しない」といったような脅迫めいた取材攻勢をした。」と言われた。本来なら「娘さんにどういう声をかけてあげましたか」という質問をするべきなのに、マスコミの描いた絵空事を押し付けたということであった。

 最後に、「今のマスコミは目的のために手段を選ばないところが批判されている」と語っていた。

 その夜、元佐賀新聞社記者で、佐賀市議会議員の武富泰毅さんと共同通信社の力久修さんと近藤誠さんに、マスコミに携わる人の生の声を聞いた。

 2日目の朝も快晴に恵まれた。この日は、被疑者の中学校、被害者の少女の小学校、被疑者自宅周辺の報道被害の聞き取り調査を行う班と、佐賀県警の報道局内記者クラブ及び、被害者相談窓口に行く班に分かれた。被疑者の卒業した中学校は校長先生と教頭先生に話を聞くことができた。「8月以降学校への取材はないが、7月まではあった。事件の翌日、卒業生であるということがわかり、東京から来た民放局も含め報道関係社10社くらいが学校に来て、その後2週間程度は昼夜問わず、電話での取材も含め、マスコミに悩まされた。できるだけ真実を話そうとしたが、取材の多さにどうすることもできなかった。」と言われた。

 また、事件で一番の焦点となった、中学時代少年が飛び降りた非常階段を撮影しようとマスコミは集中した。校長は校内で撮らないよう申し出たが、そうなると彼らは校外の住宅街にカメラを並べ盗み撮りを始めた。教室から見える場所で、しかも授業中であったため、生徒は落ち着かなくて授業どころではなかったそうだ。一番強く言われたことは、取材に来られた時に断ることはできないかと思ったが、真実を知ってほしかったため断ることはしなかったそうだ。

 小学校では、報道被害というよりも命の尊さついて学ぶことができた。校長先生が一番安心したのは被害者の少女の体が無事であったということであった。

 その後私たちは被疑者宅の近くを訪れ、フィールドワークとしてその周辺の地域住民の人に話を聞いた。多くの人がマスコミ被害に苦しんでいた。「マスコミの車が道路を占拠したせいで商売ができなかった。」「真夜中までインターフォンが鳴り続けていた。」「記者が客に化けて話を聞きに来たため、人間不信に陥った。」と、疲れ果て憤った表情で語ってくれた。マスコミが近所の人々に話を聞きに来ることで、どこの誰がやったかということが、その地域にくまなく広がったという。その地域の人々に与えた精神的ダメージは計り知れないだろう。

 佐賀県警では、被害者対策支援に携わっている方に話を聞いた。被害者のプライバシーの問題で、あまり具体的な話はできないという条件であったが、この事件のケースについて説明された。事件が起きた当初は、被害者の方々から、マスコミの取材に対し、「いつも玄関に立っている」「交通の邪魔になる」「取材が精神的苦痛になる」といったような声が出たため、マスコミに自粛要請をしたところ、だいぶ改められたということだ。ただ、あまりにもひどい場合は、その場で自粛の申し入れをしたそうだ。

 その後、二班が合流し、被疑者の両親ケア弁護団の弁護士である本多俊之さんと、被害者支援弁護団の桑原貴洋さんに話を聞いた。「マスコミが両親ケア弁護団に聞きたがっていたことは、まずは「付添人は誰か」ということに始まり、「少年の様子はどうか」「少年は今までに被害者の方々に謝罪の意思を示したのか」ということが中心であった。通常ならば「少年側は被害者にどういう弁償をするのですか」というようなことを聞くべきであるのに、やはり少年の様子や、両親の気持ちに質問が集中した。」と言われた。

 マスコミ側に対する不満としては、「毎朝自宅から43分かけて徒歩で通勤していたが、あまりにも記者がしつこく追い回してくるため、通勤方法を変えざるを得なかった」と言われた。

 また両親は、事件が発生して以来、マスコミがずっと自宅をはっているため、家に帰れなく、全然別の家で生活せざるを得ないという状況のようだ。 「社会の関心事は、いろいろあるだろうが、それにすべて答えるのがマスコミの使命であるのかどうなのかということをこの事件は問うていないだろうか。」、と一番おっしゃっていた。

 次に被害者弁護団の一人である桑原弁護士に話を伺った。「事件直後は弁護士の方も被害者の方も取材慣れしていないから、マスコミの取材にとても苦労した」と語っていた。また、「事件直後にものすごいショックを受けている被害者の方に取材陣がくると、マスコミの攻勢にさらされるという体験が初めてなので、かなりのダメージを受けた。」と言っていた。

 「一番印象に残ったのは、マスコミの報道はあまりにも嘘が多すぎる。例としては、パーキングエリアで「両親は何も説得しなかった」という報道がされたが、それは違う。両親は説得しようとしたが、警察にも専門医にも止められた。これで両親の印象がかなり悪くなった」と語っていた。

 弁護士さんの話を聞いた後、犯罪被害者の心のケアに取り組む民間の支援団体「VOISS 」の代表である田口香津子さん(佐賀女子短大助教授)と中村雅子さんに話を聞いた。「今年の4月19日に設立されたVOISSは、ある程度マスコミが大きく取り上げることは予測できたので、被害に遭われた方の人権を尊重した報道を要望という形でした方がいいという考えになり、マスコミの方の協力も得て、要望書を記者会見して出す方向にまでもっていくことができた。」と言われた。「しかし、その文案を作る中で、マスコミや第三者の中では当たり前とされてることが被害者の視点に立つとものすごいプライバシー侵害と感じた。実際、取材攻勢にあって家にもよりつけない状態で、いろんな物質的、時間的にも浪費消費され、そのエネルギーの消耗が被害そのものより余計辛い人もいた。しかし、世の中の人は早く元気になり、その姿を見て安心したいというニーズがしっかり乗っかった取材をマスコミがしているようだ」と言われた。

 だが、マスコミの方のおかげで、要望書を出す記者会見が実現したので、全面的に批判はできないとも言われた。

 その夜、18年前の1981年6月、大分市のアパートで短大生が殺害された「みどり荘事件」で被疑者として逮捕され、13年間獄中で無実を訴え1995年無罪が確定した、冤罪事件の当事者となった輿掛良一氏に話を聞いた。マスコミについては、「裁判が始まったとしても逮捕された直後の報道量というのはものすごい。しかし一審の初公判の際は、マスコミ関係者の数は多いが、2回目からはほどんどいない。だからどういう状況で審議されているかは報道されない。一審には7年もの月日を費やしたが、結局結審になり、審議再開という異例の判断になってまた大きく報道された。また法廷でのこちらに有利な裁判の状況を報道してくれない」と語っていた。

 また、「警察官も同様で、取り調べの時と裁判所での証人としての発言が全く違う。」と言っていた。

 「マスコミの冤罪報道をした人たちは、謝罪も検証もほとんど行わない。そして、また事件が起これば、いかにも正義感をもって自分たちが正しいとして罪を犯した人を攻撃する。そしてその人に対して反省と謝罪を求めるが、マスコミと警察と裁判所は、自分たちが誤ったことをしたことに関しては、謝罪も反省もしない」と強く言っていた。また、大分県内で起こった少年事件の時に取材陣がまわりの田んぼを踏み荒らしたり、あまりにも住民へのマスコミ被害がひどかったため、このバス乗っ取り事件の時にマスコミ対策の弁護団が設立されたエピソードを聞いた。

 最終日の朝、西鉄バス乗っ取り事件の被疑者に対する審判が出る佐賀家庭裁判所に、過熱報道の実態を見学に行った。被疑者の少年を乗せた車がやってくると、ものすごいフラッシュがたかれた。一般市民は一人もいなかったが雨の中、審判がくだるまで、マスコミ陣は50人程度待っていた。

 その後、佐賀県弁護士会でこの事件のマスコミ担当をされた山口茂樹さんに話を聞いた。「事件直後から、弁護士をこのままにしておいたのでは、マスコミに追われ、弁護士活動などできなくなるということで、ルール作りをすることになった。どういう風に情報を明らかにし、何を明らかにしないということが決まり、付添人団が直接マスコミと接触することはしないということで、マスコミ担当の弁護団が設けられた。そこに情報を流し、マスコミ担当の弁護団の方から情報を流し、またマスコミの方が聞きたいことは、その逆の方法で付添人団に伝えた。その結果、佐賀県弁護士会の会員39名のうち約20名がこの事件に関与せざるをえなかった」ということだ。その後山口弁護士の協力で、ゼミ生から代表3名が記者会見に出席することができた。とにかく張り詰めた雰囲気で、緊張したの一言であった。少年についての生身の質問に集中した。

 その後、福岡の西日本鉄道株式会社本社に向かい、広報課の日高悟さんに話を聞いた。

 「5月11日、運転士さんの記者会見を行うことにより、西鉄バスとしてのマスコミに対応する区切りができたが、運転士さんの自宅に対するマスコミ攻勢は、西鉄側がやめてくれと頼んだが続いている。また、新バスジャック対応マニュアルを制定し、社内の危機管理体制を再点検していく。」と言っていた。

 このゼミ合宿を通じて一番耳にしたことは「これだけの大きな報道が事件直後から行われたが、審判が下ると、あの事件さえも風化され、事件も報道もいったい何だったのかと感じることが一番怖い」ということであった。私たちも、ゼミ合宿を行ったことに満足するのではなく、あの経験をゼミで活用していく必要があるだろう。 最後になりましたが、このゼミ合宿に協力し、支えてくださった全ての方に感謝いたします。


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浪速少年院を訪ねて
 去る10月4日、共同研究のフィールドワークの一環として大阪茨木市の浪速少年院を訪問した。以下その時の奥平裕美院長の講義と質疑応答について。

★浪速少年院
大正12年 日本最初の少年院として設立される。
昭和24年 初等、中等及び医療少年院となる。
昭和39年 職業訓練施設となる。
昭和52年 初等、中等少年院「職業訓練課程」に指定される。
平成 5年 「職業能力開発課程」に指定される。
平成12年 「生活訓練課程」の指定が加わる。

・ 収容定員160名 (平成12年10月4日現在 収容人員159名) (森千尋)

★ 少年院についての知識               浪速少年院長 奥平裕美 先生
 
 奥平院長はあと3年で退官される。この浪速少年院に来られて2年とのこと。2年サイクルで転勤になるそうだ。
 
 現在、北海道から沖縄まで日本全国に53ヶ所の少年院がある。その中で御三家と呼ばれるのが、多摩少年院(東京)、瀬戸少年院(名古屋)、浪速少年院(大阪)で、歴史が古い、収容人数が多い、職員の数が多いところからそのような名がついたということだ。
ここ浪速少年院は大正12年に創立され、今年で77年目になる。定員は160名で、現在159人の少年達がいる。今週にも1名入院するので、定員いっぱいになるそうだ。

 全国で収容数は5、500人、現在5、300人が収容されている。本来少子化で減るはずなのに、そのような傾向は見られないとのこと。職員数は54名、多摩は65名、瀬戸は70名である。

 少年院と呼ばれる施設は、2年収容を原則とする長期のコースもので、それ以外は学院、学園という名がついている。(加古川学園は例外)

 浪速少年院は1996年に改築された。名古屋から沖縄までをカバーする職業訓練センターで、初等、中等(心身に障害のない、また著しい犯罪傾向の見られない)の16歳から20歳までが入院している。特別少年院には犯罪傾向が進んでいたり、性格に問題がある少年が入院し、医療少年院は2つに分けられる。知的障害、情緒的障害が見られる少年が入院する少年院が全国で3ヶ所あり、総合

 病院としては京都医療少年院や関東医療少年院がある。

 浪速少年院には次のような傾向がある。年齢が高い、IQが高い、無職、保護環境が悪い(父母が引き取らない-----少年院に残りたくて犯罪を重ねる)。
最低1年、平均13ヶ月が入院する。(清水苗穂子)

★ 少年非行と矯正教育 ――少年院の現場から―― *資料参照  

1. 法務教官(少年院の先生)について

 *死を受容する5段階説
 ・ 反発、否定
 ・ 怒り
 ・ 取引(薬、医者、宗教等)
 ・ 落ち込み、憂鬱
 ・ 受容

 入所する少年は・か・の気持ち。・で頑張って資格を取ろうとする子は本当は良くない。もっと揺さぶって問題を起こし、鍛えないといけない。・は自殺するかもしれない子なので、注意が必要。1割近くは・で、なんとか立ち直ろうとして入ってくる少年。

 * 法務教官の専門性の中で、行動観察の技術が最も重要。昨日とは何かが違う、目がおかしい、後ろ姿が暗い等。それは少年の後悔の気持ちが(しまった、大変なことをしてしまった)、いつ出てくるかわからない。いつも見ていてあげること。被害者の命日に供養できるようにしたり、月1回仏壇に拝める日をつくったりしている。
 
 年に1回の運動会には家族も参加できる。家族の有難さが分かったりする日。感動しているときに言葉をかけると、少年たちはもっと変わってくる。

 2. 矯正教育について

 * 矯正教育は「気づき」(認知)によって人間の成長を促す。

 しかし、日常生活で気づきの教育なんておこがましい。とにかく教官は「気づいてくれ」と祈るような気持ち。
   薬物が一番難しい。それは本人が絶対もう大丈夫、薬物はやらないと言っても、実
   際薬物と向かい合うと、自信がなくなる。禁酒も同じ。

 3. 出院準備

 社会見学をする。一番感動するのは「老人ホーム」。少年達は最初老人をホームレスと同じように見ている。けれど実際ホームで老人に接して「ありがとう」と言われると、今まで「ありがとう」と言われたことのない少年達はとても感動する。感謝の気持ちが出てくる。少年達は誰から声をかけてもらチても感動する。

 4. その他

 被害者教育------少年法に被害者の視点が欠けている。現在努力をしている最中。
 少年院の収容率------現在、少年の収容率は上がってきている。創設以来一番高い。対象者は少子化で減っているが、収容する割合が増えている。これは警察のスタンスによってかなり変わってくる。サミット中などはかなり検挙が減るとのこと。(清水苗穂子)

 ★ 施設の見学

 ・ 浪速少年院は職業訓練を中心とした教育を行う施設であり、木工・溶接・金属加工・ クリーニングなどの訓練ができるように、それぞれの実習室が設けられている。またその実習で作られた作品が院内のいたるところに並べてあった。実習時間は9:00〜12:00、13:00〜17:00である。

 ・ グラウンド・体育館・プール・テニスコートといった施設もあり、週に2回は実習のかわりに体育の実技のようなものが行われている。

 ・ 宿舎は、新しく入ってきた少年たち、中間期になり実習を受けている少年たちといったように段階的に分けられている。また個室になっている宿舎もある。

 ・ その他の施設

 ・菜園 菜園で育てた野菜などは国が買い取ったり、自分たちの食事に使われたり する。→関連:1日の食費は1000円ぐらい。食事をつくるところが院内にあり、少年が配膳を手伝ったりもする。

 ・ 視聴覚教室 多目的に使われる。具体的にはコーラスの練習・誕生日会など。(森千尋)

 ★ビデオ ニュース番組の一内容として少年院を取り上げており、それが浪速少年院を取材したものだったので、そのビデオを見せていただいた。

 ・法務省広報からの依頼で取材を受け入れた。
 ・ フジテレビ系列で約15分間、関東のみで放映されたもの。
 ・ 少年たちへのインタビューや技術訓練以外の訓練(職業訓練ではなく、精神面に関わる訓練)の様子を中心に構成されていた。
 ・ 少年たちが家族に対して思いをうちあけたり、涙する場面が多く使われ、親子の絆を大きなテーマとした内容になっている。(森千尋)

 ★ビデオに関する奥平院長の話(マスコミとの関わりに関連するもの)

 ・ 最終的にまとめられたのは15分だったが、実際はずっとカメラをまわされていた。 しかしこの番組はきちんとまとまっているほうで、中にはディレクターが「家族の絆をテーマにしたい」といって撮ったものでも、デスクの判断で全く違ったものになってしまうものもある。また取材を受ける時にきちんとした協約を結んでおかないと、最初の取材意図とは全く違うことに使われる危険性(例えば、テレビの取材だったの に週刊誌に使われ、おもしろおかしく書かれてしまったりする)もある。(森千尋)

 ★ 質疑応答 (奥平院長へ)

 1. Q. どこの少年院に入院したかが報道されることに対してどう思うか。

 A. 報道してほしくないし、知られたくもないが、出院時に被害者に教えることもある。また、発表しないとマスコミが嗅ぎ回り、それぞれの少年院を調べるので、発表したほうが良いという風潮もあることは事実。

 浅野先生からのコメント
   マスメディアが追うから仕方がないというのではおかしいのではないか。
   マスコミが騒いだものだけを発表するというのは不公平。どこまで公表するか
   法で決めなければいけないのではないか。
 
 2.Q. 出院後のアフターケアはどうしているのか。少年が教官に会いたければ会えるのか。

 A. 仮退院中は保護監察官(保護局、矯正局)の仕事となるので、こちらからのアプローチはできない。
   しかし、少年が望めば、手紙や電話で連絡することは問題ない。外で出会っても教官からは声すらかけられない。少年から声をかけてくれればよい。現在そういう制度がないのが、家裁が要求し始めている。外に出て行ける教官をつくりたいと思っている。(清水苗穂子)

   Q. 少年法改正案が検討されているが、どのように考えているか。

   A. 現場で指導する立場からは、メディアで報道されているほど少年の凶悪犯罪が増えているとは思えない。少年法で適用年令を20才から18才に下げようとする動きもあるらしいが、もしそのように改正されれば、少年院の収容人数が半分に減ってしまう。直接現場で少年更正に従事する人の意見を充分聞かず、また法務省とも話し合わない姿勢に疑問を感じる。

 ★見学を終えて

 ・ 今回の見学で初めて少年院というものに触れた。普通ならこんなことはできないからとても貴重な経験になった。そして今回ビデオを見せていただいたこともあり、普通できないことを間接的にでも伝えるのがメディアの役割なのだということを感じた。それは当然正しいことを伝えなければならないのだから、そう考えれば自然と正しい報道のありかたにつながっていくはずである。また常に正しい報道ができていれば取材相手から取材を拒否されるというような「信頼されないマスコミ」になることもないだろう。現状では「正しい報道ができない→取材を受け入れてもらえない→正しい報道ができない」といった悪循環がしみついてしまっているように思う。もっと様々な情報が私たちのもとに入ってくるように、そしてその情報をもとに私たちが様々なことを考えていけるように現在の悪循環を改善していかなければならないと思う。(森千尋)

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山口由美子さんに聞く
浅野ゼミの3人で二回目の佐賀訪問
2001年度・浅野ゼミ4回生

 2001年7月27日の昼、私たちは再び佐賀空港に降り立ちました。去年の9月27日から29日に佐賀で行った合宿に続き、二回目の佐賀訪問です。今回の目的は、山口由美子さんに会うことでした。山口さんは亡くなった塚本達子さんと共に、コンサートを見に行くために佐賀駅からバスに乗りました。その途中で事件が起こり、少年に牛刀で切りつけられて重症を負い、いまだ顔や手に後遺症を残しておられる方です。手紙と電話で何度かのやりとりがあり、研究に協力していただけることになりました。

 インタビューは27日の午後1時半から山口さんの自宅で行われました。

 インタビューは3時間にもおよび、事件のこと、少年について、教育について、多くのお話を聞くことができました。事件後から、山口さんはテレビや新聞、週刊誌にまで精力的に出ておられましたが、それについて「基本的にマスコミから取材の申し込みがあれば断りません。塚本先生のメッセージを伝えたいから」とおっしゃっておられました。塚本さんの開いていた幼児教室に、山口さんが息子さんと娘さんを連れて行くようになってから、15年以上にもなります。

 山口さん自身は「少年が悪いのではない」と考えておられるそうです。両親、学校、地域、ひいてはこの社会を運営している大人全員が悪いのだ、という風に考えておられます。しかし、このような考え方はやはり特別なもので、ほかの被害者の方は加害者の責任に対して言及しています。そのようななかで、自分だけが「少年は悪くない」という発言をすることに後ろめたさを感じてしまい、一時期発言するのをやめようとしたことがあったそうです。それでもやはり、今まで自分が経てきた経験全部が元になってこう思えるのだ、ということを隠さずに発言しようと思えるようになり、現在に至っています。少年法改正が審議された参議院にも、参考人として出席され、「少年法改正ではなにもかわらない」という意見を述べられました。

 娘さんが登校拒否になった経験とバスジャック事件に遭遇した経験からきた教育観、ご自身が子育てで苦しんだことから得た子育て観は、本当に心に響いてくるものでした。これから親になり、色んな経験をしていくだろう私たちにとって、山口さんに会えたことは、かけがえのない経験になると思います。

 山口さんは今、大学に通って心理学を学びながら、自身の経験を多くの講演会で語り、塚本さんのメッセージを世の中に伝えようとしておられます。

 インタビューの後、山口さんがその場で亡くなった塚本さんのお宅に電話を入れてくださり、亡くなった塚本達子さんの夫である、塚本平さんにお会いできることになりました。山口さんの車で塚本さん宅に行きました。

 塚本達子さんは元小学校の教師で、学校教育に危機を感じたために仕事をやめ、自宅で幼児教室を開きました。それが16、7年前のことです。そのときから学校教育に危機を覚え、幼児教室を開き、「街角かわら版」という新聞を街角で配ったり、ほんとうに教育に生涯をかけておられた方です。私たちは、塚本達子さんが教師時代に出されていた学級通信も見せていただきました。ちょうど私が生まれた年の昭和55年のもので、手書きでほとんど毎週発行されていました。それには、学級で起こった出来事や、保護者に対する教育のアドバイスなどが書かれており、それを見るだけで、どれだけ塚本さんが教育に熱心に取り組んでいるかが伝わってくるようなものでした。

 急なことにもかかわらず、塚本平さんは自身が経験された報道被害について詳細に語ってくださいました。事件の直後帰宅すると、自宅がマスコミに囲まれてしまっていたこと。画家である息子さんが、取材攻勢のために仕事を中断せざるをえなくなったこと。達子さんのお葬式に大挙して訪れ、急遽葬儀の前に全社一括で記者会見のような形で取材を受けたこと。しかも、平さんが許可をしていないのに、葬式の様子が撮影されてしまったこと。

 塚本さんは、本当に多くの報道被害を経験しておられました。大切な人を亡くしてしまった直後からこんなことをされたとしたら・・と自分の身に置き換えて考えてみると、とても許すことのできる行為ではないと思いました。

 塚本さんは取材の申し込みに対して、代表者を立てるよう言ったり、記事をきちんと送るように言ったり、毅然とした態度でマスコミ各社に対してのぞんでいたそうです。その塚本さんでさえ、これほど嫌な思いをされています。マスコミは取材対象に言われれば、代表者を立てて取材をしたり、きちんと記事を送ってきたりします。しかし、これからはそういう申し入れがなくてもマスコミ自身が配慮をしていかなくてはならないと思います。

 三回生の初めから、バスジャック事件についての研究を続けてきましたが、被害者の方にお会いするのは初めてのことでした。去年のゼミでは、弁護士の方にだけお話を聞いていました。今回のインタビューで、より研究も深いものになると思いますし、私にとてもかけがえのない経験となりました。
 山口さんは10月27日に東京で開かれる人権と報道・連絡会のシンポジウムにパネリストとして参加します。

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