Asano Seminar:Doshisha University
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公開シンポジウム
「裁判員制度下での『被害者と加害者』」


基調講演:原田正治氏
(「Ocean―被害者と加害者が出会いを考える会―」代表)

パネリスト:
藤岡淳子・大阪大学教授
(元多摩少年院教育調査官)
トシ・カザマ氏(米国在住カメラマン、米国「人権のための殺人被害者遺族の会」
=Murder Victims' Families for Human Rights: MVFHR=理事)

浅野健一・同志社大学教授(元共同通信記者)
 
2009年6月18日(木)18:30~21:00
同志社大学今出川校地新町校舎・臨光館302番教室



(1)シンポジウム全体の報告

真に「赦す」、「償う」ということ

 2009年6月18日18時半から、同志社大学にて公開シンポジウム「裁判員制度下での『被害者と加害者』」(主催・社会学部メディア学科・浅野健一ゼミ)が開かれた。パネリストには、弟を殺害した死刑囚と異例の面会を果し、それ以来、被害者と加害者の出会いの必要性を訴え続けている原田正治氏(Ocean代表)、被害者と加害者の対話を仲介するNPO法人「被害者加害者対話支援センター」を運営している藤岡淳子大阪大学教授、NY在住の写真家でレンズを通して死刑囚や刑場の実態を発信しているトシ・カザマ氏を迎えて、3名による講演を行い、それから浅野健一同志社大学教授が加わり討議・質疑応答の形で進行した。(末尾にパネリストの略歴)
 シンポジウムを通して、被害者が加害者に対して最も望んでいることが「真の償い」にあり、それは必ずしも「重罰化」を意味するものではないことが明らかにされた。また、被害者・加害者の対話を実現する環境が整っていない日本の実態も浮き彫りとなった。
 被害者が本当の意味で救済されるためには何をしなければならないかとの問題が、裁判員制度が施行された今、改めて私たちに投げ掛けられている。

 原田さんは1983年、「半田保険金殺人事件」で弟を亡くした。しかし、“被害者遺族”としては異例だが、加害者である長谷川敏彦死刑囚(旧姓・竹内、2001年に死刑執行)と3度の面会を行っている。
 「長谷川君は何度も謝罪の手紙を送ってきたが、封も開けず捨てた」。はじめは、弟を亡くした悲しみや犯人への怒り、そして憎しみから極刑を望んだ。だが、事件から10年後に面会を決意する。「面会のドアを開けるときは体の震えが止まらなかった」。そして、長谷川さんに会って初めて言われた、「会っていただいてありがとうございます。そして本当にごめんなさい」、その笑顔と言葉に本当に驚いた。面会を重ねるうちに「死刑を待ってほしい」と思うようになった。4回目の面会を試みたが、“心情の安定”を理由に面会を拘置所側に拒否された。原田さんは、面会拒否の理由である“心情の安定”を死刑確定者本人ではなく、職員のものであると考えているという。そして、死刑執行の延期を法務省に申請した。原田さんは言う。「被害者遺族がなぜそんなことをするのかと言われるのだが、私は許したのではなく、もう少し話がしたいだけだった」と。だが原田さんの要望が聞き入れられることはなく、死刑が執行された。
 決して赦したわけではない、しかしこれで本当に良かったのだろうか。「現在は被害者も加害者も、こうあるべきと勝手に決められています。被害者は墓参りをして加害者の厳罰を望むのが当たり前と規定されてしまっている。でも本当はそうではないのではないか」。「大切な事は、被害者と加害者が向き合って話す事なのです」と一般市民の犯罪への理解の少なさを指摘する。そして、「被害者と加害者が会うことによって何かが生まれるのではないか」、「被害者と加害者が出会う場が必要だ」という考えから、「Ocean―被害者と加害者が出会いを考える会―」を設立した。現在も被害者と加害者との出会いの場、真の罪の償いについて考えている。
 原田さんは今年5月21日から始まった裁判員制度についても、5月12日法務省に要望書を提出した。「本当に被害者のための裁判員制度になってはいない」との思いからだった。
 被害者と加害者のあり方、被害者支援の必要性を提起して基調講演を締めくくった。


 続いて藤岡教授による講演が行われた。刑務所首席矯正処遇官や少年鑑別所首席専門官、少年院教育調査官の経験から話が進められた。講演は「その国について知りたければ刑務所に行け」その言葉から始まった。
 日本の刑務所では、喧嘩があれば、その当事者は別々の刑務所に移される。それは、「周りに迷惑が掛からず、面倒にならないからであり、根本には日本人の衝突を避けたがる精神が色濃く表れている」と、指摘する。「問題があればそれを避けるのではなくて、正面から向かって対話することで、自分の中で葛藤していくなかで、解決の糸口が見つかるのではないか」と強く語る。そして、「人には、自分を伸ばす機会を与えられることが大切」であり、「犯罪・非行は、社会根幹に関わる問題でもあるのでみんなで考えていくことが大切だ」とも述べた。被害者と加害者という対立関係については、「悪者探しをして、非難することに終始するより葛藤を解決し、関係を修復することが大切」だと訴えた。
 また、原田さんの話に関連して、被害者加害者対話支援センターでの活動についても触れた。「被害者と加害者との対話の場を設けるべく何度か面会を申し込んだが、今まで面会までこぎつけた事はほとんどない。原田さんのように被害者であり、かつ手紙で長い交流でもない限り、刑務所には面会を断られてしまいます」と実情について問題を指摘した。
 「現在は、加害者が被害者を貶め、今度は加害者を国が貶めるという構造になっている」と、犯罪、そして裁判の根本構造について言及する。しかし、「被害者を感情面や資金面で支援をすることによって社会復帰を促すこと」、それだけでなく、「加害者も罪を償い、更生し社会復帰できるように促していく」ことこそが本当に必要な事ではないか、と講演を締めくくった。


 トシ・カザマさんの講演は、カザマさんが撮影した写真を見せながら行われた。カザマさんは、「一人の写真家として社会に何かできることはないか」ということから刑務所で写真を撮り始めた。死刑囚達の写真を写しながら、「実際に見た死刑囚たちは、想像とまったく違い、私たちと同じ普通の人間だった。その場に行って実際に感じることが大切だ」と感じたと言う。また見てきた加害者のほとんどは、あまりいい環境で育った人ではないそうだ。「おしみのない愛情が注がれていたら事件は起こらなかったのではないか」と述べた。近年死刑囚の中で冤罪であることが発覚した事例が増加しており、現在米国の多くの州では“死刑停止”が行われているという。
 死刑囚だけでなく、死刑台の写真も映された。米国には5つの処刑方法があり、主に電気椅子によるものと、致死薬というものを注射するものの二種類あり、州によってどちらかが決まっている、または死刑囚その主な2処刑方法から選ぶことができる州もあるという。
 電気椅子の死刑台の座席には黒焦げた跡が生々しく写っていた。「電気によって尾てい骨が燃えるから」だそうだ。一方、致死薬による死刑台の部屋には、電話が備え付けられている。「実施前に州知事から電話がかかってきたら延期を意味する」とのことだった。執行人は電話が鳴ると、「今日は殺さずに済んだ」と安堵するそうだ。
 興味深かったのは、刑務所職員に電気椅子によるものと致死薬によるもののどちらの執行方法が残酷か聞くと、お互いの職員が違う死刑執行を残酷である、と言った点だ。電気椅子による死刑を行う刑務所職員は、電気椅子の方が良いと言う。「電気椅子は一瞬で苦しみが終わるが、致死薬は全身に薬がまわるまでの10数分もの間、もがき苦しむ。その上胸は大きく潰れて、残酷だ」と言う。
 一方致死薬による死刑を行う刑務所職員は「我々の方法では、ほぼ綺麗な状態で死刑囚に亡くなってもらえる。電気椅子は全身丸焦げになり残酷だ」と言うのだそうだ。
日本では絞首刑がとられているが、それも何人かが絞首スイッチを押し、良心の呵責で苦しめられないようにしている、という。
カザマさんは、自身が4年前に事件被害者となった。現場にいた娘は心に傷を負い、3年間カウンセリングを受けた。家族には、「犯罪や暴力は憎め、だが、人は憎むな」と言い続けているそうだ。死刑は、私たちの遠いところにあり、実態を知らない。カザマさんは、「野次馬的にこんなに悪いやつは死刑になればいいと思っても、それが死刑場では実際に人の命を奪うのであってけっして、うすっぺらな野次馬感情ではない」と力をこめて語った。そして、「人間は憎しみだけでは生きていけない、被害者の気持ちは変わっていく」とも述べた。死刑の現場の話や写真を見聞きしてからだったので、まさにその通りであると感じた。


 休憩をはさんでパネルディスカッションが行われた。
 まずは、コーディネーターの浅野ゼミ2回生の松下桜子さんが、原田さんに裁判員制度についての意見要望書提出についての説明を求めた。原田さんは、「裁判員制度は絶対的に反対です」という。なぜならば、「裁判員制度は、本当に被害者のためのものなのか、それから我々の社会や国民のためのものであるのかを考えたときに、絶対にそうではないと思うから」とその理由を明らかにした。
 続いて、カザマさんに米国では市民は死刑についてどのくらい実態を知っているか尋ねた。カザマさんによると日本人と変わらず市民は死刑の実態は知らないと述べつつも、米国人は何かに共鳴した場合、直ちに「自分には何ができるか」ということを考え、矛盾点を突き詰めていこう、変えていこうという動きがあり、原田さんのように声を上げる被害者がたくさん存在するという。そして、議会も被害者を議会に招くなどして被害者の声を聞くそうだ。日本では考えられないことだが、日本でも行われるべきことでもある。
 また裁判員制度が始まる上でメディアの報道は重要であるが、メディアが加害者を罰しようとする行動を取る可能性もある。さらにいっそう被害者と加害者の距離は、離れてしまうのではないか。
 そこで藤岡教授には、被告人に対して更生へと導くような報道とは何か、また一般市民はどうしたらいいかという質問をした。藤岡教授は、マスメディアはとても大きな力をもつものであるが、決め打ちが多いと指摘した。米国では、被害者や加害者が自由にマスメディアの前で意見を述べている。「本当に思っていることとかをいろいろ出していって、そこから考えていくことが必要ではないか」と述べた。
 浅野教授は、日本のマスメディアの質の悪さを指摘した。世界では、マスコミが被害者の代わりに加害者を罰するという考え方は間違っているとされるそうだが、日本では、その間違った考えのもと日々報道がなされている。それを浅野教授は、「日本のジャーナリズムが抱える病気」だとした。真のジャーナリズムとは「『どうしてこんなむごいことが人間にできるのか』と哲学的に問うことです」と述べた。すると、会場から拍手が起きた。
 最後にパネリストそれぞれに「犯罪被害者が本当に救われるには、何が必要か」という質問が投げかけられた。
原田さんは、死刑が執行されても事件は世間的に終わっただけで、心の中には、ずっと事件のことが残っているとしたうえで、「被害者が何を求めているか、やっぱり罰を求めているのではない、刑を求めているのではない、刑を求めているのは一般の人たちなのです。被害者は「真の償い」を求めているのです。ですから、これをいかにして皆さんとともに償いとは何か考えてく必要があるのではないかと私は思っています。それが最大の被害者に対する思いだと思っています」と述べた。
 藤岡教授は、事件によって失われた人とのつながりを回復するために必要なことは、「自分の努力だとか、何か大切な物とか愛とか心の中の安らぎとかそんなものを獲得していく努力と、それからそれを感じる、体験することを助けることができるような繋がりとか絆とか社会のまとまり」であると述べた。
 カザマさんは、加害者の償いが必要であるとした。そのためには、「大きな愛に触れた時にはじめて、自分がしたことに目覚めて、その目覚めたことがあったとしたらその時に償いがあるのではないか」と述べた。そして、被害者には、経済的サポートも必要だとした。カザマさんが米国で事件にあった時、周りの人はたくさんの寄付をしてくれ、それが本当に役にたったそうだ。「薄っぺらな感情や同情があるなら行動に移してほしい」と訴えた。そして、日本のメディアは報道する側が外国と違って匿名であることが悪く、匿名という部分では役所や司法も同じで、何事もいい加減になってしまい、矛盾が起きてしまう原因であり、日本の悪い文化であると指摘した。
 カザマさんの発言に藤岡さんは、「日本は、桜やおむすびのように小さなものひとつひとつがまとまって美しいと考える文化である」と反論した。「米国の社会、日本の社会にはそれぞれの在り方があり、現代化によって変わってしまった人とのつながりを今日本は模索している状態だ」と述べた。
 それに対し、カザマさんは「米国が全部いいとは、思っていない」と述べた。
 浅野教授は、「経済的な支援と精神的なケアが本当に大切だ」と述べた。95年に強かんされた沖縄の少女の例を挙げ、自治体が全面的に精神的、経済的支援をして、そして沖縄のマスコミも徹底的に匿名を守ったことによって、現在では元気に暮らしていることを紹介し、このようなことが社会、市民ができることだとした。


 最後に会場の参加者とパネリストとの質疑応答行われた。
 「被害者が加害者の処刑を見た感想はどのようなものか」、という質問にカザマさんは、一人一人違った感想を持っており、時間が経つにつれても変わっていく。一様には言えないと答えた。
 「原田さんの考える真の償いとは何か」という問いに、原田さんは「真の償いとは、何かわからないが、それにたどりつくまでには、加害者と被害者が会うことが大切だ」と答えた。
 「長谷川さんに実際に会って真の償いは得られたのか、触れ合っていくうちにどういう心境になったのか」という質問には、「憎しみは死んでも消えないし、一生許すことはできないが、被害者と加害者が面会できる状況になっていないこと、周りの人が被害者に同情するだけで手を差し伸べないことも問題である」とした。
 浅野教授は、「犯罪加害者がもう二度と社会で犯罪を起こさないようにしろ」と述べる一方で、犯罪者更生センター(「自立更生促進センター」)の設立に近隣の住民が反対している矛盾を痛烈に批判した。また、原田さんが憎しみは消えないと言っているが、被害者の中にも許すと言っている人がいることを付け加えた。「100人被害者がいれば100人の感情がある」という言葉で締めくくった。







 今回のシンポジウムでは、様々な角度から犯罪の「被害者と加害者」のあり方について考えさせられた。講演を聞き、私も「被害者や加害者といった形を規定してしまっている」一員であったことを自覚した。一体なぜだろうか。それは、マスメディアで犯罪について見聞きすることはあっても、どこかで自分には関係ない、現実の事件でありながらも非現実でのことだと思っているからではないだろうか。
 その原因を辿れば、犯罪被害者の本当の“声”や、浅野教授の言う一般人であった人を犯罪者に至らしめた原因について考察する機会や報道がなかったからではないか。死刑制度についても、死刑は必要だ、不要だというただ制度的観点からのみ議論され、本来一番に考えられるべき被害者の意見が無視されてはいないだろうか。
 もちろん、被害者の意見を報道姿勢に反映することや、司法の制度の中に取り入れることは必要でも、量刑を被害者の感情によって変えることがあってはならない。
 裁判員制度は、私たち一般市民が司法についてより興味を持ち、また身近な事象にすることを目的に実施された。そのような時期であるからこそ、これまでの凝り固まった犯罪への考え方や被害者・加害者像を今一度考えるべきではないかと感じた。

(1回生・入江貴弘、鹿江美沙)


(2)シンポジウムの記録

北尾:ただ今より、公開シンポジウム「裁判員制度下での『被害者と加害者』」の第二部のパネリストによる討論を始めます。私、本日の総合司会を務めさせていただきます同志社大学社会学部メディア学科浅野ゼミ3回生の北尾ゆり子と申します。よろしくお願い致します。

 では本日お招きしたゲスト3名を御紹介いたします。まず本日基調講演をしていただきます原田正治さんです。原田さんは、1983年の「半田保険金殺人事件」によって弟を亡くした被害者遺族です。事件から10年後、加害者の長谷川敏彦死刑囚(旧姓・竹内、2001年に死刑執行)と、被害者遺族として異例の面会に臨みました。計3度面会を果し、そこで原田さんは、謝罪と「これで私はいつでも喜んで死ねます」との言葉を受け取りました。そして次第に「死んでほしくない」という気持ちが芽生え、「死刑執行を猶予してほしい」と訴えましたが、その声が聞き入れられることなく、「被害者感情」の名の下に2001年12月27日に死刑が執行されました。許したわけではない、しかし加害者を一方的に恨むのではなく、会って話し合うことが大事であること、被害者救済・支援の必要性、死刑の現実を多くの人に知ってほしいと、講演を続けています。また現在は、2007年に設立された「Ocean-被害者と加害者の出会いを考える会」代表を務められております。そして事件被害者と加害者の出会いの重要性や、被害者救済・支援の必要性、また死刑の現実を多くの人に知ってほしいとの思いから全国各地で講演されています。
 次に藤岡淳子さんです。藤岡さんは、1988年に南イリノイ大学大学院修士課程修了後、府中刑務所首席矯正処遇官、宇都宮少年鑑別所首席専門官、多摩少年院教育調査官を経て、2002年より大阪大学教授を務められています。
 そしてトシ・カザマさんです。15歳で渡米し、滞米生活は35年になるニューヨーク在住のカメラマンです。 米国の少年死刑囚や台湾の死刑囚を撮影してきた経験をもとに、 米国・日本.台湾・ 中国をはじめ世界各地で講演活動を続けています。「人権のための殺人被害者遺族の会」(Murder Victims' Families for Human Rights: MVFHR、米国)理事、「Ocean―被害者と加害者の出会いを考える会―」(日本)運営委員を務められています。ゲストのみなさま、よろしくお願い致します。
 では続いて、今年4月12日に東海テレビで放送されたドキュメンタリー番組「罪と罰―娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父―」を10分間上映致しますので、ご覧ください。

ビデオ上映

北尾:それでは原田正治さんの基調講演に移りたいと思います。原田さんよろしくお願い致します。

原田:同志社大学に来るのは数回目になりますが、こんなに広い教室で講演できるのは初めてで、大変嬉しく思います。原田正治と申します。私は、生まれも育ちも愛知県知多半島の温暖な町です。兄弟は四人兄弟で、私は長男です。長谷川君に殺されたのは、5つ下の末弟でした。名前は原田明男で、殺された時は30歳、私は35歳でした。もう20数年前の話になります。
 みなさんは「半田保険金殺人」をご存知ですか。おそらく今の学生さんには覚えがないのではないかと思います。私の住んでいた知多半島では、大変大きな記事になりました。日本全国でも大きなニュースになった。それほど悪劣で大きな事件だったのです。保険金殺人です。犯人は3人いたのです。事件は、1983年(昭和58年)1月24日、同志社大学は京都の北の方にありますが、もっと木津川に沿って24号線を南に下って、奈良に入る少し手前の山中、そんなところで、弟は3人に保険金殺人で殺されました。三重県の方から四条畷・門真の方へというルートでした。当時、弟は長谷川君たちの小さな運送会社に勤務していました。時間的、料金的に有料道路は使わずに夜間走っていました。弟は同僚の井田君と木津川堤防辺りを走り、途中、奈良に入って少ししたところで、井田君が「ちょっと休憩しようか」と言って、山道のトラックの停まれるところに停めました。休憩していると、伊田君が「何か落とした」と言って、弟を車から降ろして探させたのです。その時、持っていた鉄棒で弟の頭の後ろを一撃にして殺してしまった。これがそもそもの保険金殺人です。そして、何食わぬ顔をして弟を運転席に乗せて、交通事故に見せかけて、木津川の堤防から下の河川敷に落とそうとした。そのために、自らが弟を抱きかかえるようにして運転席に座って、木津川のあるところへ行き、そして伊田君は車から飛び降りて、弟を自損事故に見せかけて殺したのです。
 その時に掛けられていた郵便局の簡易保険が2000万円。犯人は3人いました。長谷川俊彦君、当時は竹内という姓を名乗っていましたが、それと井田マサミチ君、そしてもう一人M君、この人は殺人幇助で後に14年の有期刑を受けました。83年の事件ですから、既に社会復帰していると思います。ということでM君と呼ばせてもらいます。彼は有期刑14年でしたが、残りの長谷川俊彦君、井田マサミチ君は、一審判決で死刑判決が下されました。そしてそれぞれが控訴しました。第二審へ進み、長谷川君、井田君共に死刑判決が出されました。ところが、井田君は上告しなかったため二審判決で死刑が確定しました。それが1987年、事件から4年後です。そして長谷川君は、当時まだ竹内君でしたが、上告して最高裁まで争いました。
 この当時から、竹内君から手紙が来るようになりました。逮捕された当初は、犯人の3人から1通ずつ貰っていましたが、二人についてはそれっきり以降手紙というものはなかったですが、竹内俊彦君に関しては、ずっと手紙が来ていました。とにかく一審二審を通じて手紙が来ていた。その内容は謝罪の手紙でした。中には自分に都合の良い話が書かれてあり、それ以来、彼の名前を見るのも嫌になり、それ以降の手紙は開封せずに捨てることが多かったです。その時初めて、今日会場の後ろに展示してある絵が一通送られてきました。これも謝罪の一つだったのかと私は理解しています。それから二審を通じて、私は少しずつ手紙を開封するようになりました。なぜかというと、たまたま開けた手紙の中に、彼が逮捕された当時の新聞報道について書かれてあったからです。新聞報道は、今でもそうですが、すごく乱暴な報道の仕方があります。最近少しは良くなってきているというものの、まだまだみなさんよく御存知の光市事件のように、報道の在り方が非難されています。この報道の問題は責任問題であると私は痛感しています。その報道の仕方によって、彼が新聞社に対して民事訴訟を起こすという。この件に関して、この報道は間違っているかということを私に確認してほしい、そして私に証人台に立ってほしいという話が手紙に書かれていました。そして、やはり間違っているということで、私がOKの返事を書いて出しました。彼はそれですごく気持ちがハイになったのでしょう。その後またすぐに手紙が来ました。その内容は、お墓参りをさせてほしいということでした。もちろん彼がお墓参りに来ることはできないので、彼らを支援している一つのグループから「お墓参りをしたい、彼の代理のお墓参りを許してくれ」と要請されました。これもOKの返事を返しました。さらに彼は舞い上がったのでしょう。それからも、手紙がずっと来ました。私も一度手紙を書かなければと思いましたが、なかなか書けませんでした。
 では一度会ってみようということで、初めて拘置所を訪れたのが、1993年の夏でした。7月の暑いかんかん照りの日でした。怖くて、怖くて扉を開けることも出来ず、門をくぐることさえ出来なかったのです。面会票に自分の名前を書くことすらも困難でした。こんな思いの中で、自分と葛藤しながら面会に向かったのですが、最初に行ったのが土曜日でしたので、面会することはできませんでした。だから8月の休みの時に行けばいいやという思いで2回目は8月に行きました。この時も面会に行くのが怖く、名前を書く手が震え、足も震え、さらに扉のノブを押す手も震えていました。それでも、言いたいことを頭の中にいっぱい詰め込んで行ったのです。彼が私の姿を見つけた瞬間、彼はものすごく大きな表現で嬉しい顔をしました。そして彼は顔があった瞬間にいきなり言った。「ありがとうございます」。これにはびっくりしました。そして続いて口から出たのは「本当にごめんなさい」との言葉。私は彼の態度にすごく圧倒されてしまった。その雰囲気に飲まれてしまって、自分の言いたいことがほんの少しも言い出せなかったというのが、第1回の面会です。
 それから、2回目、3回目、4回目と面会するのですが、1回目が終わった時は、彼は第二審が終わり上告中でした。未決ということで、すんなり会えていました。それから約一ヶ月後、最高裁は死刑判決を下しました。確定したら会えないという事を薄々知っていましたが、本当に会えないということは知りませんでした。実際に「会えないよ」と周囲の人から言われて、そんな思いを背中に背負いながら拘置所を訪れた。すると、会えたのです。会えてしまった。本来は会わせてもらえないです。確定してから会えるのは、裁判の時の弁護士と親族のみというように、死刑囚にはすごく制約があるにもかかわらず、会えてしまった。何故か。これは手紙の交流があったことが一つの理由です。ただその際に、拘置所の職員に「彼らに対して幸せなことを言わないでほしい。これから未来があるなんてことを言わないでほしい」と言われました。また逆に、マイナス要素、例えば彼らに対して暴言を吐いたり、彼らを絶望に落としたりするようなことは言わないでくれ、ということが面会の条件でした。このようなことを誓約させられて、会わせてもらったのです。
 本来は会ってはいけないのですが、では何で会ってはいけないのでしょうか。被害者と加害者が会うことは、何故いけないのか。これは後になって私がすごく考えました。しかし、その当時はそこまで考えておらず、会わせてもらえるならそれで良い、会って話が出来るのならそれで良い、会って彼から謝罪の言葉を聞き、色々な話が出来るのであればそれで良いという思いがあったのです。これが、彼と最初に会った第一印象でした。法廷とは全く違う彼がそこにいて、すごく明るかったなとの印象です。二審の途中から、彼は竹内俊彦から長谷川俊彦に姓が変わります。これは、確定したら面会が出来なくなるので、養子縁組をしたのです。シスターと養子縁組をして、長谷川という姓に切り替わった。そのことによって、養母さん、親族に会えた。そして、2回、3回と会えた。彼は3回目に言いました。「今までこのようなケースはないので、会える日にちも限られてくる」。拘置所の職員に「もうそろそろ会うな」と言われているようでした。そして、4回目、最後の面会に私は行きました。「最後」と言われたわけではなかったですが、薄々感じていました。その時、職員の方も「最後」とは口にしませんでしたが、彼の口からそれらしいことを聞くことが出来ました。実際に5回目に行った時にはもう会えなかったのです。
 その時に拘置所の方が言ったのが、「心情の安定」でした。これはおかしなことを言っているなと率直に感じました。これは報奨通達という昭和38年に通達された通達文書の中にもあります。その中に「心情の安定」というものがある。私はこれにどうしても心が引っ掛かりました。彼の心情を狂わせるようなことをしているつもりはない。それににもかかわらず、「心情の安定」ということを強く言うのです。「心情の安定」とは、そもそも誰の「心情の安定」なのでしょうか。よくよく考えれば、拘置所の職員の「心情の安定」を考えているのではないでしょうか。あたかも死刑囚の「心情の安定」を図るかのように見られていますが、拘置所の職員にとっては、死刑囚は国から預かった大事な身柄であり、死刑は、死刑の執行があって初めて完結するわけですから、それまでは大事な身柄である。その身柄に何かあれば困るのです。我々が行くことによって、彼の心が乱されるという見方だったのです。死刑判決が裁判所から下されると、「とにかく死ぬことしかない」という教育を死刑囚の人たちは受けます。その教育を邪魔されたくない、というのが一つの気持ちではないかと、後からよくよく考えてみるとこのように思います。
 そのことを思いながら、自分なりに死刑という問題を考えてきて、そして、全国の色々なところで発言をさせてもらっていますが、社会の人たちは、我々のことを型にはめてしまっています。「被害者なのに」ということを頻繁に言われます。「被害者なのに」ということはどういうことなのかを突き詰めて考えた場合、「被害者」は一つの型にはまった人間でなければいけないということが明らかになりました。決まった型の中に入って、こうあるべきだ、という型が皆さんの中にあるのではないかと思います。亡くなった人の冥福を祈って、常に仏壇にお線香をあげて、常にお墓の花を換えたり水を替えたり掃除をしたり、これが本当の被害者であるということです。仏壇の前で手を合わせて、涙を流すことが被害者。こういった一つの像がある。私みたいに声を出す被害者、好き勝手なことを言っている被害者、これはやはり悪い被害者だと思われがちです。被害者というのはこういう形では本当に駄目なのでしょうか。被害者であれば、意見を言ってはいけないのでしょうか。私は、自分が感じたことを社会に向かって声を発しているだけです。
 そして、面会についても、何故面会できないのかということが疑問でなりません。今でもそうです。そして2001年に高村法相(当時)に対して、「面会をさせてください」というお願いをして、そのための上申書も書いています。そして、その中に「死刑廃止」は一言も書いていません。そして2004年に出した本の中にも「死刑廃止」なんて一言も書いていない。とにかく彼らと面会をしたいだけなのです。そのために少し時間をください、ということを言っているだけです。被害者と加害者が話すことによって何かが出来るのではないか、何かが生まれるのではないか。接点が無い限りは、何も生まれないと思います。今の法律がそうです。そして、裁判員制度でもそうでしょう。被害者参加制度についても同じです。いずれをとっても、これらは被害者のためだけのものではないと思います。では何が一番大事なのでしょうか。それは、被害者と加害者が本当に出会える場について我々一人一人が考えていくべきことにあるのではないでしょうか。つまり、被害者と加害者に何か接点が出来ないのかと考えることです。
 長谷川君は死刑を執行されてしまったわけですが、本当に被害者として彼に求めているのは、罰ではなく「償い」です。罰を求めているのは司法、そして社会だけです。真の被害者は「償い」を求めているのです。その償いを求める前段階として、人と人が会える場を考えていこうということなのです。そんなことを考えながら、何か出来ないかなと考えながら今まで活動して来ました。さらに一昨年、何か出来ないものかと思い、米国のMVFHR(Murder Victims' Families for Human Rights、「人権のための殺人被害者遺族の会」)という大きな組織がありますが、そこから色々協力を得ながら、立ち上げたのが「Ocean―被害者と加害者が出会える場を考える会―」です。まだ、今の段階では何も出来ていませんが、これから何をすればよいのか、深く考えていこうと頑張っているところです。それには、今の力ではまだまだ足りない。是非ともみなさん、ここを理解していただきながら、もし良ければOceanに入会していただきたいと思います。さらにこのOceanはこれから、長く幅広く活動していきたいと思いますので、京都においても是非皆さんの力が必要になってきます。みなさまに協力をお願いしたい。
 なかなか私の話は、まとまりが悪くお分かりになりにくいと思いますが、機会がありましたらまたお話させていただきたいと思います。そして後ろのほうに10枚ほど絵があります。長谷川俊彦君が獄中で書いた絵の一部です。彼は獄中生活約17年間で書き続けた絵です。総数3000枚あります。想像が出来ますか。これらはボールペン一本で書かれたものです。これはひとつの償いであるということだと思います。またある意味違った見方も出来ると思います。また皆さん時間があればじっくり見ていただければ、違った角度から彼らの生活が見えてくるのではないでしょうか。今日はありがとうございました。

北尾:原田さんありがとうございました。続きまして藤岡淳子さんよりお話頂きたいと思います。藤岡さんよろしくお願い致します。

藤岡:今日は、裁判委員制度下の被害者と加害者というテーマだったので、「そういうものなのかな」と思って来ましたが、ここへ来て死刑が問題になっているのかと感じています。私は20年間程、法務省、少年院、鑑別所などに勤めていて、犯罪者、非行少年たちと長く付き合ってきました。殺人を犯してきた人たちはたくさんいましたが、基本的に無期までで、死刑囚とは会ったことがないです。無期と死刑は、結構心情が違うと思います。私たちも実際にはいつ死ぬかわからないのですから、死刑囚のようなものですが、いつか必ず死ぬ。けれども、いつ死ぬかがわかってないから、だらだらと毎日薄められた時間を生きて行くのですが、無期囚も割とそうです。変化のない刑務所の中の生活でいつ出られるかも分からないので、とりあえず、その日その日をそれなりに過ごしてやり過ごしていく生き方をしています。それが、例えば癌の宣告を受けたとか、死刑が確定したとなると急に時間が止まることが目の前に見えてくるわけで、突然生きることの意味みたいなのが前とは違って見えてくるのかなと思っています。
 そういう意味では、今の原田さんの加害者などが、多くの死刑囚たちが死刑を宣告されたことによって、違う生きることの意味とか死の意味とか見えてくることはあるのだろうと思っています。
 私は、被害者と加害者が話し合うことや出会うことが、一つの選択肢としてあったらいいと思い、2004年から「被害者加害者対話支援センター」を大阪で開いています。ただ5年間での相談件数はほんの数件でして、時期尚早だったのかと思っているところです。被害者のご遺族の方から、「死刑が確定した加害者と会いたいので仲介してくれないか」という申込はありますが、私たちが拘置所に掛け合いに行って「会わせる気はない」とあっさり断られます。その点、原田さんは、手紙のやり取りをしていたこととか、拘置所であったこととか、その時の施設長の裁量とかいろいろなタイミングがあったのでしょうが、すごいなと思っています。私たちの場合は、全く門前払いでした。みなさんがどのくらい刑務所をご存知なのか分かりませんが、職員も公務員ですから自分の仕事に忠実に、つまり受刑者を死なせないという形できっちり仕事をしているわけですが、行政サービスですから、国民が別なことを願えば、やり方が変わらざるを得ないと思います。ただ、国民が刑務所はとにかく事故なくトラブルなくお金もあまりかからず、自分たちの目の届かないところで粛々と運営されていればいいという感覚を持っている限りは、動かないと思っています。
 従って私としては、裁判員制度が始まったことはよい機会であると思っています。どの国も自分の文化にふさわしい程度の刑務所しか持てないとよく言われますが、日本の国民が、刑務所のこと、被害と加害のことに関心がない限り、何も変わらないのかなと思っています。色々大変かもしれませんが、被害と加害のこと犯罪のこととかも知り関わり考えていくことによって様々なことが変わっていくのではないかなと私としては期待しています。
 原田さんが、良い被害者や悪い被害者、被害者が意見を言っていけないと言われるとおっしゃっていましたが、自分の考えを言ってはいけないというのは被害者だけなのでしょうか。日本では、他国でもそうなのかも知れませんが、本当の自分の気持ちとか考えとかをいうことは被害者だけではなく、学生も公務員もサラリーマンも本音は言わないと私としては思っています。優秀なサラリーマンや公務員は、本当のこと言いませんよ。極端ですが、上がこうだと言ったら腹の中でどう思っていようと喧嘩しない。そうでないとよい子になれないというのは、ある程度日本の在り方なのだと思います。それはそれで、狭い所に農業などをしながら大勢で暮らしているところでみんながいろんなこと言い出ししたらまとまりつかなくなるから、とりあえず偉い人に任せて、その人がきちんとした人である限りは、他の人の心情とか気持ちとか都合とかわかってくれて、パワーをうまく使ってくれて面倒も見てくれるという風に動くのでしょうが、時々とんでもないボスとかが出てきて力を握るとパワーの乱用を始めた時になかなか歯止めが効かないってことはあると思います。
 米国とかフランスとか個人の主張が強いところでどんな風に動いているのかわかりませんが、これが日本の社会の在り方なのかなと思っています。原田さんが被害者と加害者がどうすれば出会えるかという問題提起をするためにOCEANをつくられたと聞いた時にもしかしたらこのテーマの立て方のほうが適切ではないかなと思ったのです。つまり、被害者加害者対話支援センターは、被害者と加害者が直接会うことを支援するNPOですが、実は千葉にも前からありまして、そこは主に少年事件をやっていて8年間くらいで50件くらい扱っていますから、比較的軽微な少年事件では対話が実現しています。それ以外のところでは全然進んでいません。どうしたら会えるのか、どうして今会えないのかを考える方が大事なのではないかなと思い、今日はそれを考えようかなと思ってやってきました。
 一つはやはり、社会自体がそれを求めてないというのか、それが時期尚早なのか、ずっとこれからもそうなのかわかりませんが、社会自体がそれを求めていないというのが今のところの本音なのではないかなと思います。私が法務省に勤めていた時代に米国に留学させてもらい帰国したのが1988年です。そのころは被害者の声はほとんど表に出ませんでした。それがあっという間にマスコミで取り上げられ、「被害者の傷は癒えない」など、キャッチフレーズのように決まった形で報道され続けてきたと思います。それでも被害者の方たちの声が表に出ることはものすごくいいことで、マスメディアの影響力も大きいし、憎む、許せない、とんでもないということを一部の人かもしれませんが言える状態が出てきたことは、日本の社会が少し成熟したことを示すのかのかもしれないくらいにさえ思っています。そのころ鑑別所で殺人事件などの鑑別をしても、例えば遺体写真などを調査のために見て、事件報道で被害者の家族がいたたまれなくて引っ越したとか、あるいは「被害者があんなだったからこんな事件に巻き込まれた」などというとんでもない報道を見たりするとすごく腹が立ったりして、「やったのは加害者が悪いのに、なぜこんなに被害者がこそこそしたり引っ越したりしないといけないのだろう」と憤りを感じていました。そういう意味では、被害者の声が表に出てきたのはとってもいいなと思うのですが、ただそれは今のところ、段々被害者の声がマスコミとかで報道されて、それを聞いた一般市民は「大変だ、気の毒だ。加害者を厳罰に処しましょう」と言い、自分は何らかの責任を果たしたつもりになり、「いいじゃないの、罰すれば。以上終わり」という所にとどまっている。だから裁判員制度も人が人を裁けるのかとか、自分が死刑判決を下すのはいやだとか、いろんな意見がありますが、自分がいざやるとなると勘弁してほしいみたい状況にあるのかなと思っています。
 もうひとつ大事な点は、被害者・加害者対話をしたときに被害者への支援がまだまだ不十分であるということです。ようやく声が上げられるようになったものの、ひとつ事件があれば金銭的な面でもものすごく大きな影響が生じます。例え遺族でなくても、たとえば車を取られただけでも、その時に行こうとしていた会社に行けなくなり、遅刻しますなどと会社に連絡を入れたり、保険会社に連絡をしたり、もちろん警察に調書を取られるなど、とにかく自分のせいではないにもかかわらず、普通に動いていた日常生活が突然誰かの暴力によって打ち壊されて、様々な経財的精神的苦痛を被り、周囲の人も同情していても、本当はよくわかってくれていないのが事実です。そしてそのうちに、「いつまで言っているのだ」という話になってきてしまう。法的には多少整備されていて、被害者参加制度などができつつありますが、今の刑事司法は加害者が被害者に暴力を振ったので、今度は国家が加害者を刑務所に入れる、あるいは死刑に処して厳しい罰を与えることで辛い目に遭わせる、それによって両方のバランスを図ればいいという考え方のままではないかと思います。やはり被害者に対してサポートをきっちりして、被害者の回復を支援して、加害者の回復も支援するべきだと私は思っています。加害者も被害者も、社会も一人一人が大切にされる世の中をほしいのかどうか、それを作る気があるのかどうかだと思います。被害者も支援し、加害者も支援し、そしてみんなが犯罪で崩れてしまった絆であるとか、平穏な生活であるとか、それらを取り戻す努力や責任をみんなで追い求めていくことによってバランスを取り戻すことの方が、ずっと意味があるのではないかと思っています。
 まずは、被害者支援をもっと行うことです。被害者は時々、「加害者をよくこんなきれいな刑務所に入れてけしからん」と言いますが、被害者自身が辛い目に遭って、生活もままならない状態である限り、加害者が安穏と暮らしていることに対して苛立ちを感じるのは当然だと思います。そういう状態では、対話は論外だと思います。それから次は、やはり対話による葛藤解決の方法がまだまだ未熟で、それがうまくできると思っている人が少ないと思います。喧嘩したり葛藤したりするのは、大変です。だから国家公務員だけでなく、学校もできるだけ物を言わせず、人とは違うことは言えずにみんなで仲良くやっている。しかし大勢の人が社会で暮らしていたら、喧嘩や葛藤など欲求の衝突が起るのは当然で、割とそれを表沙汰にさせずこれまで来ているので、優秀な学生でも人との関わり合いが苦手というのか、物言えば唇寒しというのか、何か自分から積極的に関わって一緒にものを作ってやり遂げることがあまり得意ではない気がして、その辺の葛藤解決の方法を、なかなかうまくやれるスキルっていうのを社会も個人も持てないままに、今の世の中はきているのかなとも思っています。
 非行少年や犯罪者は土下座が大好きで、なにかというと土下座をして謝るということがあります。私は今、ある官民共同の刑務所で教育プログラムをやっているのですが、入所者に対して入所当初からきちんと責任を取らないといけないのだということと、何らかの形で被害者と社会に関して謝罪と償いの行動をとることが必要なのだということを口を酸っぱくして、言い聞かせて教育をしているのですが、そういう準備をきちっとさせた上で「会う」という流れに持ってこない限りは、また大変なことになってしまうと思います。
 その刑務所でちょっとした喧嘩があって、ある受刑者が、他の学歴の高い受刑者の感情のこもらない知的な言い方がいつも気に食わなかったらしく胸ぐらを掴んで、二人とも懲罰で上げられたのです。刑務所は普通、懲罰後は元いた房には戻さないのです。よそに回せばそれで解決なのです。元に戻ってまた喧嘩し始めたら職員や一緒に暮らしている受刑者も大変なので、ことを荒立てずに全部を回避することで見ないことにするのが楽な点も確かにあるわけです。
 でもそれでは教育にはならない。葛藤をどうやって乗り超えるのかというのを身につけさせようとしたら、加害者側の話を聞き、どこがまずかったかを言い含め、被害者側にも言い含めました。そして被害者が最終的に先に寮に戻ってきたら、驚いたことに寮の他の入所者が、「おまえは迷惑をかけたのだから土下座して謝れ」と迫っていました。気持ちが通じるのか、みんな加害者側の味方なのですね。どちらがいいとか悪いとかではありませんが、みんなも二人を喧嘩させてしまったとか、あるいは考えていること悩んでいることを聞いてあげられなかったとか、被害者の責任と加害者の責任と一緒に暮らしている共同体としての責任があると思います。それぞれがそれぞれの責任を自覚して、そして自分の変えるべきところを変えて、葛藤を乗り越えていく経験を持つことがすごく大事だと思っています。そしてそれはやっぱり、出会いと対話を通して、喧嘩をしながら覚えていくしかないと思います。ユニット全体で話し合いました。
 非行少年や犯罪者には暴力が蔓延しているのですが、威圧的な人間関係、威圧的な行動の仕方というものが、ものすごく特徴的で家族でも学校でもそうだと思うのですが、とりあえず人の話を聞くとかではなくて、大声を出すとか押さえつけるとか、話を聞かない、決めつける、あるいは気に入らなければ無視をするという形で自分の欲求や感情を通す威圧的なやり方がすごく多いです。そうするとそういう中で育ってきた子どもとか人は、親同士が喧嘩し、人と関わると喧嘩になる、トラブルになるということがまず頭にあるので関わりを避けてしまいます。それから曖昧状況、ただ目が合っただけなのに、「おまえ何ガン飛ばしているんだ」のように、敵意を認知して攻撃的な関係性を認知してしまう。それからお互いポジティブな関係というのが、段々なくなりがちで、そうすると人との繋がりを通じて相手の気持ちを知ったり、自分の気持ちを知ったり葛藤があったときに解決していくスキルが小さい頃から全然育ってこなくなるのです。そういう人が親とか教師とかになると、効果がないような気まぐれなやり方で罰したりすることが多いのです。行動を変える上で罰は必要です。即時に、短く、少なめにです。叱り飛ばしたり、適当に罰を与えたりしているだけで、子どもの行動が変わるのであればいくらでもやります。でもかえって悪くさせることが多いと思います。親は一時的に叱り飛ばすけれども、そのあとは関心を持たないので、むしろ子どもの非行が増えてしまう傾向にあります。暴力を振るう人は、他の問題解決の方法を知らない人、そのスキルを持ってない人であると思います。
 非行少年や犯罪者は顕著ですが、実際の世の中全般にある程度の差はあっても、結構そういう部分はあるのではないかと思っています。そうすると、やはり私たちがどういう世の中を作りたいのか、どうやって問題行動や犯罪行動に対処していこうとしているのかということをみんなで考えていくことが大事なのではないかと思います。個人的には、人間には一人一人自分の持っている力をきちんと伸ばす機会が与えられるというのはすごく大事なことだと思っていて、それは被害者であろうと加害者であろうと、私たち一人一人がきちんとそれを実現できるような社会を作っていくことが、いいのではないかと考えています。
 例えば女性差別とか、部落の問題だとか、貧困の問題だとかいろいろな問題がありますが、私たちはそれを少しずつ解決してきているように思います。私が学生の頃は、「女なんか大学行くな」という感じでした。でも今では、そんなこと内心思っていても誰も言わないし、全体としては差別がなくなる方向に解決してきていると思います。今暴力の問題とか犯罪の問題とかは社会の中で生きる個人、社会と個人の在り方の根幹にかかわる問題なので是非みなさんで話し合っていけたらいいなと思って、今日は参加させてもらいました。

北尾:藤岡さん、ありがとうございました。それでは次に、トシ・カザマさんよりお話頂きたいと思います。カザマさんよろしくお願い致します。

風間:写真の紹介を基本に進めていきたいと思います。僕は写真家で、米国でずっと生活しています。一人の写真家として社会に対して何かできないかなということで、色々な自分の感じる矛盾点を表現したいと思って、少年の死刑囚を米国で撮影してもう13年ぐらいになります。米国で21人の死刑囚、そしてその加害者の家族、その被害者家族、そして彼らが死刑執行をされる執行場の写真、そして一昨年は台湾でも死刑囚の少年や執行場の写真、同じように被害者、加害者の写真を撮ってきました。
 メディアの方もいると思うのですが、皆さんが日ごろ疑問に思っていることや矛盾といったことから、実際に自分がその場所に行ってみて、見たり感じたりすることが大切だと思います。先ほどの光市のお話もありますし、原田さんのお話もありますし、先生のお話もありますし、いろんなヒントがあると思います。私達が新聞やTVで言っていたことを鵜呑みにしてしまうというのも、そうやって得た情報と僕がいろんな人に会って感じたこと、その間にはすごいギャップがあります。例えば光市の事件、僕はその加害者の少年に会いに行きました。世間で言われるような人とは全然違うし、完全に精神的に病んでいます。ですから皆さんも、実際に何かを自分でもって読んだりしたことを鵜呑みにする前に、自分で実際にその場に行ってみたり感じたりすることはとても大切だと思います。僕自身が死刑囚を撮って、撮影する前は殺人をする人間、犯す人間、壁の向こう側の人間は、丸で自分からかけ離れた人間で、全く別世界の人間だと思っていました。

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 これが僕の最初に入った死刑執行室です。これ、電気椅子ですね。電気によって人の命を絶ちます。木でできています。ここに黒い跡がありますけど何だかわかります?これは、死刑囚の尾てい骨が焼き付いてできる焦げ跡です。
 
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 みなさん、死刑囚ってお会いになったことありますか。これが僕の最初に会った死刑囚です。彼が僕の目の前に現れたとき、僕はびっくりしました。それまで僕が思っていた死刑囚の観念を丸で全部変えてしまったのです。目の前に現れた人間は、モンスターではなくて、ごく普通の少年。彼は、IQが62しかないんです。IQが少ないというのは、米国ではメンタルリタゼーションという精神障害の少年ということです。彼は、死刑囚でもちろん若くて16歳です。米国では、その当時16歳、17歳の死刑囚がいたのです。彼は他の死刑囚から性的な暴力を受けていました。これがその死刑囚のマイケル、そしてそのおじいちゃんおばあちゃん。

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 そしてこの白い家、これが被害者の家で、この中で尊い命が奪われたわけです。76歳のおばあちゃんがレイプされて、そして体中を縛られて火をつけられたのです。

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 そしてこれも同じ町の70代のおじいちゃんが、斧でもって体中をズタズタに切られました。
 何故こういう犯罪が起きるのでしょう。私達は社会として死刑制度に頼って、「なにか犯罪が起きて、人が死んだり殺人が起きたら、死刑にして殺してしまえばいいんだ」と思っていませんか。でもそれは、私達が被害者になるチャンスというか、本当に被害者になるということを防いでいるのでしょうか。どうしてその事件が起きて、どうして犯人がその罪を犯したのか、いろんな角度から、いろんなアングルから見ていくことがとても大切だと思います。

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 これも死刑囚ですね、ルイジアナの子です。

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 ここはですね、ここで被害者が殺されました。

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 被害者の遺族の方ですね。すごい小さな方で、ルイジアナ州のニューオーリンズ郊外に住んでいます。この事件ではこの彼女以外の家族が全員殺されて、彼女だけ生き残りました。彼女は、最初の1年間は何もできなかった。でも彼女には1つの光がありました。彼女の家族はみんな殺されたのですが、彼女の事件では、彼女の家族以外に警察官も一人殺されていて、その殺された男性の警察官の奥さんは、事件の次の日に赤ちゃんを産んだのです。その彼女は、被害者同士で一緒になってその生まれたばかりの赤ちゃんを育てました。彼女も言っていたのですが、被害者になると、もうどうしていいかわからないと。憎しみ、怒り、そして復讐という気持ちがあるのですが、赤ちゃんを育てる上ではその気持ちでは育てられない。赤ちゃんを育てる上では、愛というのはとても大切で、一緒に育てていく中で彼女の中でその愛という気持ちを磨いていってどんどん大きくしていきました。それが彼女にとって心の癒しとなっていったのです。彼女は事件の1年後には社会のために自分にできることは何かを考え、それを全てやって、自分と同じような被害者を生まないためにできることをしている、素晴らしい人です。こういう女性に会えたのは僕にとっては宝です。というかこの頃はまだ、まさか僕自身が犯罪被害者になるとは思っていませんでした。
 でも僕自身が被害者になってしまったのです。4年前の10月10日に、その当時僕の娘は9歳でしたが、学校に迎えに行った帰り道に、僕は無差別の犯行に遭って、僕は3日間意識不明で、娘は体に被害は無かったですが心に傷を負って、お父さんが目の前で叩きつかれて、頭がかち割れて血が噴き出してっていうのを見て、彼女は心の病を持ちました。3年間カウンセリングを受けました。医者が僕は助からないだろうと家族に宣言していて、助かっても車いすの生涯になるだろうと言っていました。でも僕の目が覚めて、集中治療室に僕の家族、子どもたちが3人いました。僕、若そうに見えるのですが、もう50歳になります。その3人の子どもが部屋に入ってきたとき3人の顔には、本当に何が起きたのかわからない、どうしたらいいのかわからないという怯えた様子が現れていました。僕が子どもたちに言ったのは、「犯罪や暴力には、怒りをもって憎め。でも、人は憎むな」。どういうことかというと、僕に犯行を犯した犯人っていうのは、僕のことはどうでもよくて、自分のことなんかどうでもいい、人のことなんかどうでもいいというそういう気持ちでもって、僕に対する憎しみ、周りに対する憎しみというものがあったけれども、それを暴力としてあらわして殺したわけですよね。でも僕がそれを、「こんちくしょう、絶対犯人を見つけてやる。殺してやる」という風に憎しみだとかを表現したら、僕の家族はずっと憎しみや怒りをもって生きていかなくてはいけないわけです。親だったら、自分の子どもがずっと毎日怒りをもって、恐怖と共に生きていくなんて想像できないです。嫌です。だから、僕は(写真の)彼女みたいな素晴らしい道を見つけた人、愛を見つけていた人に出会っていたので、とてもよかったです。

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 これは薬物で処刑する場所ですね。映画にもありますが、その本物です。ルイジアナの。ここに穴があって、そこからチューブが出ていて、両腕に針を刺しその穴から3種類の薬品を入れてそれで処刑します。壁の向こうにかかっているのは電話です。ひとつは刑務所所長とのホットライン、もう一つはルイジアナの州知事とのホットラインです。この撮影をした時に、「トシ、すごいことが起きたんだよ」と、ある話を聞きました。処刑の5分前、(受刑者には)もう両腕に針が刺さっていたとき、なんと州知事のホットラインが鳴ったそうです。そのとき刑務所の人たちは、わっと拍手をしたそうです。それはどういうことかというと、処刑の5分前の電話というのは、処刑を延期を意味する電話でしかないのです。その刑務所の人たちは、「あー、よかった今日は人を殺さないで済む」と安堵したそうです。わかりますか。僕も大阪拘置所に行きましたが、人を殺すということですよね、死刑ということは。死刑執行人の人たちに、楽しく殺している人なんていないですよ。人を殺して精神的にものすごいダメージを受けるのです。でも彼らの場合は私達の代わりに人を殺している。私達みんな、裁判員制度が始まったとかいうことでなくても、死刑執行人も選ばれるべきです、もし死刑を望むなら。死刑制度を望むのであれば。
 (ルイジアナの話に戻って)電話を取ったら、この州知事は酔っ払った声で「時間通り死刑を執行するように」と言ってガチャンと電話を切ったそうです。なんて非人道的、むごいことをする人間だと刑務所の人たちは怒ったそうです。どういうことかというと、刑の5分前、州知事等にとって死刑というのは自分の目の前の紙1枚、そこにサインをするだけのことなのです。その人が実際ここに来て立ち会って死刑執行のスイッチを押すわけでもないし、静脈に薬を流すわけでもなくて、彼らにとって死刑はすごくかけ離れたものなのですよね。それは私達にとってもそうじゃないですか。とってもかけ離れています。実際事件が起きた時は、騒がれてもそのあとはメディアの小さい記事でしか取り上げられません。「誰かがしてくれるのだろう」、死刑でも戦争でもそうです。実際に上からゴーを出す人達は、自分の手は汚さない。昔聞いた話ですけど、鳩山って人が法務相だった時に、死刑はオートマチックに執行されるべきだと言ったそうですね。人間というのは、間違いを犯すのです。システムを間違えば間違いを起こすし、冤罪なんてたくさんあります。実際死刑囚に遭ってその事件をいろんな角度から見てみれば、おかしいと思うことばかりです。だからたくさんの砦を作るのですよね、フィルターを作るのです。そのフィルターをもしなくしてしまったら、たくさんの冤罪の人が出てしまいます。

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 米国で起きた一番若い女性の死刑囚です。

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 これもおもしろいです。テネシー州ですけど、手前に電気椅子、奥に注射で処刑する処刑台、死刑囚はどちらで処刑されるか選ぶことができます。電気椅子の州に行くと、処刑する人たちが電気椅子は最高だ、と。もちろん自分たちが処刑しているわけですから、いいと思ってやるのでしょうけど、スイッチを入れた瞬間に焼死してしまう、すごく人道的な処刑方法だというのですね。そしてこの人たちが注射する方法のことを、あれは非人道的だ、15分もかけてじわじわ人を殺すことなんてと言うわけです。注射ですから、皆さんも経験あると思いますが、点滴でもそうですけど漏れちゃったりすることもあるわけですよね。そうすると半殺しのままもう一回入れなおすわけです。そしてその薬は筋肉を収縮させるというか凝縮させる薬なので、最後は胸のところの空洞がポンと音を立ててつぶれるのですね。それであんなむごいやり方はないって言うのです。
 でもそれが、注射で殺す州に行ってみると、あんな電気椅子なんてむごい殺し方はないと言います。「体はまっちゃ色になって焦げちゃうし、目は飛び出すし、体中の体液は全部お尻から流れ出るし、真っ黒焦げになって、あんなむごい処刑の仕方はない。その点私達の注射の処刑は人道的だ。胸は潰れちゃうけど」と。そして原田さんが先ほどお話になった長谷川死刑囚。僕は処刑された後の彼の写真を見ました。日本の処刑の仕方は絞首刑ですよね。その場合は首の骨が折れちゃうと思っている人が多いと思いますが、完全に首が離れてしまうのですよね、写真見た時も首がすごく長く伸びていて、ロープの縄のあとが一つ一つ鬱血して見える状態でした。
 人道的な処刑の方法ってあるのでしょうか。人を殺す方法で、人道的なやり方ってあるのでしょうか。

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 これ、電気椅子の州ですね。椅子の横に二つのスイッチがあります。二人の刑務所員が、同時に入れる。どちらのスイッチがその日つながっているのか彼らにはわからないようになっています。日本は5つとか7つの床を落とすボタンがあって同時に押しますよね。結局自分ひとりが殺したっていう気持ちから逃れるためですよね。野次馬的に、「被害者の気持ちになれば、こんなところで殺されても仕方がない、死刑になってもしょうがない」、そういう薄っぺらな感情で現場では人の命を奪いません。自分で、もしここに例えば光市の少年がいますよね、「さあ、あなた、このピストルをあげます、ピストルで頭を打ち抜いて下さい」と言われた時に、何人の人がそれを実行できますか。
 そして原田さんもお話になりましたが、被害者の感情は、どんどん変わっていくものです。人間は憎しみと怒りと復讐だけでは毎日生きていけません。どこかで自分で和解を得て、なんとか希望を見つけて生きていかなきゃいけません。僕の属している被害者の会が米国にもあるのですが、多くの人が時間とともに被害者の気持ちは変わっていくのです。皆さんの知っている被害者の気持ちは、殺人直後のメディアの報道ですよね。さっき女性の死刑囚がいて、藤岡さんもお話になっていましたが、加害者には共通することがあって、みんなまず貧しくそして教育がものすごく無いということです。そしてもうひとつ思うのは、僕が見た加害者の家族は薄っぺらの愛情の家庭、表面的な愛情が多いということです。どこかで誰かが、彼らに惜しみない愛を注いでいたら、いろんな形で変わっていたと思います。親でなくてもいい、学校の先生でもいい、近所の人でもいい、友達でもいい、何か人に対して惜しみないケア、感情、そして愛っていうのを与えられること、それが鍵になっているような気がします。

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 この子はのちに冤罪だとわかって出てきた子です。でもこの子はずっと冤罪だと言い続けてきた、けれど誰も信じませんでした。ラッキーでした。日本でも米国でもなかなか再審はしてくれません。藤岡さんがいらっしゃったイリノイ州は、DNAのテストをすると、実はほとんどの死刑囚は無罪でした。それでそのことがわかって、その後イリノイ州は死刑を停止しました。

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 最後の食事のテーブルです。死刑囚はここでもって最後の食事をするわけです。これが最後の独房です。そしてその中でもってシャワーを浴びて体をきれいにして、死刑執行です。

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 この彼は、この写真を撮って3ヶ月後にエイズで死にました。この彼ですけど、この彼のケースで、米国では未成年の時の罪で処刑するのは非人道的なことではないかと最高裁で話し合われて、彼のケースを通して米国では未成年の時に犯した殺人に対する死刑はなくなりました。余談ですが、当時の最高裁判事の女性の方と僕は一緒に本を出して、僕の写真もたくさん載せて、そういうことも背景にありました。

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 そして台湾。台湾には2年前に行って、僕が当時の陳総統に面会して(撮影の)許可が下りました。日本と同じで台湾は一切写真を撮らせないのですが、初めて写真を撮りに入って、撮った写真です。いろいろ話があるのですけど、写真だけ見せますね。

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 だいぶ感じが違うでしょ、米国の死刑囚と。さきほども藤岡さんもおっしゃっていましたけど、その国のことをよく知りたければ刑務所を見るとわかりますね。その国がよくわかると思います。

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 お母さんです。

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 これが台湾の死刑執行場です。表にお堂があって、そこでお線香あげます。それで自分が死刑執行されたときに、その魂が地上にいて死刑執行人を呪わないためにやっているんです。お線香あげたあとこっちに(執行場)きて法務所から来た3人の人が名前を確認します。

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 その正面が死刑執行場。台湾はそこへ、自分でシーツを持っていきます。その下にあるのは黒い砂ですね。で、そこにうつぶせに寝ます。そして死刑執行人が下に向かって死ぬまで撃ち続けます。そして、臓器提供者であれば首の後ろを、臓器提供者でなければ心臓を打ちます。だから砂なのです、黒い砂。黒=血が見えない、そのたびに砂を変える必要がないということです。近距離で打っていますから、砂にするということは、万が一、弾が跳ね返らないようにということです。

(写真の切り替え)

 台湾も、最後の食事があります。自分が死ぬ場所を見ながら、そして仏の絵を見ながら。

(写真の切り替え)

 これは、弾の跡ですね。この中には弾が、人の体を通過して。台湾の隣の中国本土では死刑はビジネスです。臓器の依頼があると執行するという形で。

(何枚か写真の提示)

 時間ですね、これで終わりにします。

(拍手)

北尾:ありがとうございました。それではここで10分間の休憩を挟みたいと思います。

休憩

北尾:それでは時間となりましたので、原田さん、藤岡さん、風間さん、そして浅野先生の4名によるパネルディスカッションを始めさせて頂きたいと思います。ここからはパネルディスカッションのコーディネーターである松下桜子さんに進行を代りたいと思います。

松下:コーディネーターを務めさせていただきます、浅野ゼミ2回生の松下桜子と申します。よろしくお願いします。
それでは、さっそくパネルディスカッションを開始したいと思います。まず原田さんにお聞きします。今年5月に死刑判決が下される可能性のある事件に関する裁判員制度の停止を求めた要望書を法務省に提出されましたが、このことについて詳しくお話ししていただけますか。

原田:時間的な問題がありますから、かいつまんでお話ししたいと思います。基本的に私自身は、裁判員制度は絶対的に反対です。裁判員制度は、本当に被害者のためのものなのか、それから我々の社会や国民のためのものであるのかを考えたときに、絶対にそうではないと思うからです。死刑制度を肯定している人が約8割強いると聞いています。ただ裁判員に選ばれた場合、実際に死刑は肯定しているけれども、量刑としての死刑判決を「下すのは嫌だ」と多くの人が言っています。そういう面から言って、死刑制度や裁判員制度が本当に必要なのかどうかということ。また死刑はこれ以上ない被告人に対するリンチ刑だと思っているので、個人的に反対だと思っています。

松下:ありがとうございます。裁判員制度が始まりますと、死刑判決が多数下されると懸念されていますが、それは一般市民が死刑の実態について知らないということが原因だと考えられます。
 では、次に風間さんにお聞きしたいのですが、米国の市民は死刑についてどれだけ実態を把握しておられるのでしょうか、また死刑に対する世論はどのように感じられますか。

風間:これは日本と同じです。全く把握はしていません。まず僕が最初に死刑のプロジェクトをしようと思って、死刑のことを調べてみますと、何と少年の死刑囚がいることにびっくりしました。そして写真を撮って米国の人たちに見せると、みんな「えぇ!まさかこう少年の犯罪に対して死刑なんて自分達ですると思ってなかった」との反応でした。日本と同じように、実際に死刑の現実を見てないし、知らないし、遠い向こう側で起きているという感じでした。写真を通してみんなびっくりしていました。
 ただ米国の人は、「あぁ、これは違う」と思った時だとか、「あっ、これはなんかおかしいや」というふうに共鳴した時は行動が早いです。その場で変えていこうとします。そして矛盾点を突き詰めていこう、変えていこうという動きがすぐあります。大学で講演しても、「トシ、すごいこれ、僕は今日からどうしたらいいんだ」何かしなければいけない気持ちになって、「何か出来ることはないか」というような反応があります。
 今の米国ですが、死刑に関しては、死刑廃止または執行停止に向かってます。最近では、ニュージャージー、ニューメキシコ、ニューハンプシャー、そしてニューヨーク州がすべて、死刑が停止または廃止になっています。その動きは多いと思います。(要因として)一番大きいのは、被害者の声です。日本と同じように、一般的に被害者は、「良い被害者」と「悪い被害者」がいて、「良い被害者」というのは、ただ単に犯人を憎み続ける。「悪い被害者」は、犯人またはその犯罪に対して和解をしてしまう。ただ被害者の人たちも心の移り変わり、気持ちの移り変わりがあります。日本にもそういう方はたくさんいると思うのですが、被害者の中で日本では表立ってたくさん話す人は原田さんを含めてすごく少ないと思います。米国では逆にそういう風に思う人は数多くいて、どんどん前に出てきます。だから、そういう人たちがその州の議会で死刑に関する議論をする時には、呼ばれて話をします。すると議員たちも「あぁ!」という風に目覚めて、どんどん変わっていく状況です。ですから、日本でももっといろんな形の被害者いることを僕は広めていきたいと思います。

松下:ありがとうございました。裁判員制度が施行されるにあたって、メディアの事件報道がこれからさらにもっと重要になってくると思います。続いて、藤岡さんにお聞きします。メディアの事件報道が被疑者・被告人が悪で被害者は善という対立構造で、被害者と加害者の融和・交流は不可能になるのではないのでしょうか。加害者の更生・矯正につながる報道とはどういうものだと思いますか。また、一般市民にできることは何だと思いますか。

藤岡:よくわかりませんが、マスメディアはすごく力があるなと思っていて、風間さんの写真を見ていても、やはり視覚的に訴えるものはそれなりに独特の強さがあるなと思います。マスメディアはすごく力があるのですが、やはり一般市民として感じるのは、決め打ちみたいなものを結構されるという感じがしていて、被害者に対しても加害者に対しても一般市民についても同じですが、最初から答えを持っていて、特にテレビでは何時間話しても放送されるのは1分や2分ですから、報道する側がこれだと決めたところだけを抜き出して、それだけ放送されるので、そういうのはすごくいやだなと思っているので、相当信用できる人でないと関わらないようにしています。
 米国などでは犠牲者でなくて生存者になっている被害者の人たちの声とか姿とかも見られます。それから回復した加害者らも報道されているではないですか。それから、受刑者たちも自由に割と顔を出して自分の気持ちや考えを話していて、その時点で日本の加害者というのは、顔を出して話をしないし、刑務所だったらほとんど取材もできないし、もしできたとしても選ばれた受刑者に一定の質問や話しかできませんし、これも刑務所側にきちんとチェックをされていて、相当なコントロールが掛っていると思います。私が思うのは、「こうであるべきである」とか決め打ちでやるのではなくて、本当に思っていることとかをいろいろ出していって、そこから考えていくことが必要ではないかなと思っています。
 なぜ米国では生存者となった被害者や加害者がいるのに、日本では、そういう人たちがきっといるのでしょうけど、表に出てこないのかなというのが私の方から聞きたいことなのですけれども。

松下:浅野先生はどのように思われますか。

浅野:私は、日本のジャーナリズムは、新聞・テレビ・雑誌のレベルとしては世界最低の国の一つであると感じます。本当にレベルが低いです。映像の質とか新聞の印刷は世界一です。問題は中身です。特に新聞記者が書くところです。朝日新聞は、新聞記者が書いているところ以外は面白いです。「声」欄とか、先日、辺見庸さんの記事が載っていましたが素晴らしいです。それは、朝日新聞の記者が書いたものではないからです。NHKもNHKの記者以外が出ているところは素晴らしい。
 要するに、日本はフランス革命前の新聞です。市民社会が、まだ日本に成立してなくて、つまり日本は「臣民」社会なのです。「臣民」社会から市民社会に、ヨーロッパでは1789年に変わっていた。これによって、被害者や被害者遺族の代わりに国家が復讐する、仇討するという考え方ではなくて、ルソーなどの社会思想が出てきて、個人の人権を大切にして罪を憎んで人を憎まずなどの思想が今の近代市民社会ができているのです。
 ところが日本では、法務省も警察庁も1945年8月15日の前も後ろも変わってないのです。刑事手続に関わる人たちもそうです。だから広島少年院のような職員による暴力事件が起きるのです。何のために矯正をしているのか、ジャーナリズムは何のために報道しているのか分かっていないのです。だから、光市事件でいえば、「何の罪もない被害者を殺した」という言説は通用しないのです。この人たちがすべてテレビ・新聞を占拠する。そして報道している人たちも、「被害者の悔しい思いにこたえていく」と言い、それがメディアの仕事だと勘違いしている。これは、勘違いです。
 日本以外の先進国では、ジャーナリズムがそういう仕事をするのは間違いなのです。裁判でも「被害者の悔しい思いにこたえるのが裁判員」と思うのは全くの見当違いです。日本国憲法では、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(第76条第3項)と書いています。良心を持って裁判を行う。独立して裁判を行う。裁判員法にはそれがないです。
 良心に基づくという同志社の建学の精神である良心が裁判員制度の法律にはないのです。そこがすごく重要だと思います。だから、単純な善と悪を対峙する。国際政治でいえば、北朝鮮が悪で日米が善。善と悪に全部区分けして対立構造をつくって、それが非常にわかりやすいです。だから、視聴率も上がるかもしれない。それに異を唱える人はいない。しかし、本当のジャーナリズムとはそうではなくて、先ほど風間さんが言っていたように、「どうしてこんなむごいことが人間にできるのか」と哲学的に問うことです。
 多くの加害者の人が幼児期に虐待を受けていたということは実際に多いです。幸せな天皇家に生まれた人が犯罪を犯すことは聞いたことがないです。世田谷の麻生さんの近所の人が犯罪を犯すことはあまりないです。社会的な要因がすべてであるとは言いませんが、多くの要因の中にその人の社会環境、経済環境、生い立ちが関わっていることを明らかにすることが、記者の仕事であるはずです。それにもかかわらず、勧善懲悪型、絶対的な善と絶対的な悪ということに生きがいを感じています。これは日本のジャーナリズムが抱える病気です。それをどうやって一人一人が直せるかにかかっている。

松下:ありがとうございます。では、時間も迫ってきておりますので最後に一言づつ皆さんにお聞きしたいと思います。犯罪被害者が本当の意味で救われるためには一体何が必要だと思いますか。また、そのために一般の人々にはなにができるのだと思いますか。

原田:犯罪被害者として何を一番それぞれが欲しているか。それは、やっぱり何といっても「罪の償い」だと思います。事件を起こした、そして拘置された、そこに待っているのは罪を償うことではなく、罰を受けること、刑を受けることなのです。そして事件は最終的に終わるのです。これで本当に被害者は救われるのでしょうか。私は、まったく救われるとは思ってないのです。癒されるとは思ってない。ただ世間的にはもう終わっちゃった。ただそれだけのことです。
 私の弟が殺されて20数年。ほとんど覚えていらっしゃる方は少ないと思います。その間、10年前に長谷川氏が死刑を執行されています。そして、この事件は終わりなのです。ところが、私現在62歳です。もう還暦過ぎていて、この年を迎えてこれから何年生きるかわからないです。その間というのは、やはりこの事件を忘れることができません。ですから、被害者が何を求めているか、やっぱり罰を求めているのではない、刑を求めているのではない、刑を求めているのは一般の人たちなのです。被害者は「真の償い」を求めているのです。ですから、これをいかにして皆さんとともに償いとは何か考えてく必要があるのではないかと私は思っています。それが最大の被害者に対する思いだと思っています。

松下:ありがとうございます。次に藤岡さんお願いします。

藤岡:よくわからないですね。どうもなんかやはり、何が正しいか、死刑か死刑反対かとか、裁判員制度が正しいか正しくないかっていう議論に私はどうもついていけない感じがあります。それから、被害者も加害者も救われるものなのかというのがあって、やはり生きていれば色々なことがありますから、様々なことで暴力だとかでばらばらになってしまった自分だとか、人との繋がりだとかをどうやって被害者も加害者もそれから私たち一人一人がどうやって回復していくか。それは、自分の努力だとか、何か大切な物とか愛とか心の中の安らぎとかそんなものを獲得していく努力と、それからそれを感じる、体験することを助けることができるような繋がりとか絆とか社会のまとまりとかそういうものなのかなと思います。

松下:ありがとうございます。それでは次に風間さんおねがいします。

風間:そうですね、僕自身の場合ですが、まず償ってほしい。償うというのは、ただ単に「ごめんなさい」と言ってほしいのではなくて、この人が一体本当の意味で僕にまたは僕の家族に何をしたかを本当に分かった時点で、もしもそういう状況になったとしたら本当に心から彼は償うと思うのです。そういう状況に彼がなってほしいっていうのがあります。結局、藤岡さんも言っていましたが、そこに彼が至るのにはきっと何か彼が大きな愛に触れた時にはじめて、自分がしたことに目覚めて、その目覚めたことがあったとしたらその時に償いがあるのではないかなと思います。
 そして、できることなら彼と食卓を囲んで一緒に食事をしたいと思います。それが唯一の僕の娘に対する癒しであると思います。彼女はずっとトラウマでもってカウンセリングをしてという部分があるので。「あっ、この犯罪をおかした人は怖い人なんじゃなくて、こう悔い改めてこういう素晴らしい面もあるんだ」と。人間というのは、素晴らしい面もむごい部分もみんな持っていると思います。
 被害者の家族にとって現実的に大切なのは、経済的なことです。これは原田さんも共鳴しているところだと思うのですが、被害者の家族は、お金が掛ります。たとえば、僕の場合では入院費が600万円掛かりました。ニューヨークの州が僕に払ってくれたのは6万円だけです。残りは、誰が払うのか。僕が払わなきゃいけない。もちろん、被害にあったら仕事もできないですし、収入もないし、でも支払は毎月ある。そういう部分に対する援助がまるでないです。日本も同じように経済的なサポートはものすごく低いです。みんながするのは、ただ単なる薄っぺらな同情だけ。「かわいそうに」、「ああ、こんなむごいこと」。冗談じゃない。薄っぺらな感情や同情があるなら行動に移してほしい。自分のお財布にその気持ちがあるのならば変えてほしい。僕の場合はラッキーなことに、娘の学校のPTAや学校の先生、生徒の家族、友達等色々な団体の人たちがものすごく寄付をしてくれました。僕の寝ている枕元に代表の人が来てくれて、2~30センチもある現金を持ってきました。わかりますか。彼らは、薄っぺらな同情ではなくて、しっかりとしたサポートを僕にしてくれたのです。だから僕は、なんとか経済的にやりくりできたのです。日本の方にもそういう面をもっと見ていただきたいし、行動してほしいと思います。
 話は戻りますが、日本のメディアについてです。一番の違いは、外国のメディアはその新聞も記者だろうがなんだろうが名前を出します。その記事を書いた人間には名前があって、人間がいるのです。顔があるのです。だからしっかりとした記事を書こうとするのです。日本はほとんどの場合ないです。誰が書いたのかわからない。それは、メディアもそうだし、司法もそうですし、お役所もそうです。たとえば、あと日本にいじめがありますよね。またブログでものすごく非難をするというのがありますが、あれはどうしてそういうことができるのかというと、自分の顔もないし名前もないからそういうむごいことができるのです。そのへんがものすごく日本の悪い文化だと思います。

藤岡:すいません。人に暴力を振るうときには、その人を人として見なくて済むように顔を見なくて済むように個性を没していく操作をするっていうのはあると思いますが、やはり日本はおむすびとか桜の花の文化ですので、一粒一粒米粒がそろって一つにかたまってやっとおいしいおにぎりになり、一つ一つの花びらが小さくてもこれが満開になることによって桜の花になります。米国には米国の社会の在り方があり、日本には日本の社会があるのではないかという思いがどうしても抜けません。その日本の社会でも少し社会が安定していた一昔前だったら、家族のつながりとか地域のつながりとか、そのなかで実際の支えあいとか絆があったのですが、それが現代化などによって違ったかかわりを持たなくてはならない時期に今社会が変わりつつある時にきていて、そこがどう変わっていくのかというところを模索しているところなのだと思うのです。米国には米国なりの生き方、かかわりの持ち方があるとは思いますが、それが全部よいという感じになってしまうと「ちょっと待った」と言いたくなってしまいます。

風間:僕は米国の社会がいいとは思いませんけど、僕から見てそうではないですよ。

浅野:被疑者側への経済的な支援は本当に大事です。日本も米国も同じだと言いますけど、米国の方がマシだとも僕は思います。というのは、ある程度日本では事件・事故の被害者になるなら交通事故がいいです。自賠責で最低1000万円ぐらい出ます。ところが殺人事件とかだと、ほとんどいろいろな書類を書いてやっと900万円。河野さんの例では、河野さんの妻澄子さんが800万円でした。経済的支援の分野で日本はもっとも遅れています。少しは良くなってきていますが、さらにこれをよくしていく。やっぱり主たる収入源である親が亡くなったら、犯人を憎む気持ちがなかなか消えません。だけど、生活は新たにやり直していかなければならない。その人をミッシング(亡き者への愛慕)する気持ちはなかなか消えません。心からの謝罪と償ってほしい気持ちも消えません。しかし、その人を憎んだり、殺してしまいたいという感情は、時間とともに人間は克服することができる人も結構います。そういう意味で大事なのは、経済的支援を拡大することと精神的なケアです。カウンセリングですね、精神科医、精神分析医というような人のサポートが要ります。
 一例挙げますと、沖縄で複数の米兵によって強かんされた少女がいました。その人を小さな町ですが、首長が先頭になって、精神科医、弁護士、女性団体など各界の協力を得てカウンセリングでの精神的ケアと経済支援とを行って徹底的に守りました。本土から取材に行った週刊誌、テレビ局の情報番組関係者は現場付近で取材していますが、沖縄のマスコミは、被害者少女の匿名性を守って、「沖縄本島北部の少女」としか報道しなかった。年齢も学年も書かないことに徹しました。その少女はいまは被害を乗り越え元気になって、勉強しているそうです。沖縄では、米兵による類似の事件が起きると、同じような対応で被害者を支えています。
 そういうことが被害者に対して社会や行政ができることではないでしょうか。そういうケアををしないで「被害者がかわいそうだ」「加害者を重罰にしろ」ということだけの感情移入だけを拡大しているだけの光市事件などの犯罪報道は最悪です。そういう視点が全くありません。

松下:いろんな方々の貴重なご意見をいただき大変勉強になりました。それでは、時間が参りましたのでこれでパネルディスカッションを終わりたいと思います。


●パネリスト略歴●

原田正治さん
 1947年、愛知県で生まれ。1983年5月に弟が事故死、ところが1年後の84年5月、弟は事故死ではなく勤めていた会社の社長に事故死を装って保険金目的で殺されたことを警察に知らされる。「半田保険金殺人事件」の被害者遺族としての怒りの日々が続くが、事件後10年目、加害者である死刑囚と被害者遺族として異例の面会に臨む。最初の面会は、94年4月、95年8月までに3度面会するが、それ以降名古屋拘置所は面会を拒否。そして2001年12月27日に死刑が執行された。
現在「Ocean-被害者と加害者の出会いを考える会」代表を務め、加害者を一方的に恨むのではなく、会って話し合うことが大事であること、被害者救済・支援の必要性、死刑の現実を多くの人に知って欲しいと、現在全国各地で講演を続けている。
著書に『弟を殺した彼と、僕。』(ポプラ社、2004年8月6日第一刷発行)。「Ocean」ホームページhttp://www.ocean-ocean.jp/

藤岡淳子・大阪大学人間科学部教授
 上智大学文学部卒業。上智大学大学院博士前期課程修了。南イリノイ大学大学院修士課程修了。府中刑務所首席矯正処遇官、宇都宮少年鑑別所首席専門官、多摩少年院教育調査官を経て、2002年より現職。博士(人間科学)、臨床心理士
主な編著書
『非行少年の加害と被害―非行心理臨床の現場から』 (誠信書房 2001)
『包括システムによるロールシャッハ臨床―エクスナーの実践的応用』 (誠信書房2004)
『性暴力の理解と治療教育』 (誠信書房2006)
『被害者-加害者調停ハンドブック』 (誠信書房2007) 監訳
『犯罪・非行の心理学』 (有斐閣2007) 編著
『関係性における暴力』 (岩崎学術出版2008) 編著 

トシ・カザマさん
15歳で渡米、滞米生活35年、ニューヨーク在住のカメラマン。 米国の少年死刑囚や台湾の死刑囚を撮影してきた経験をもとに、 米国・日本.台湾・中国をはじめ世界各地で講演活動を続けている。「 人権のための殺人被害者遺族の会」(Murder Victims' Families for Human Rights: MVFHR、米国)理事、「Ocean-被害者と加害者の出会い を考える会」(日本)運営委員。

浅野健一・同志社大学社会学部教授
1948年、高松市生まれ。72年、共同通信社入社。本社社会部記者、ジャカルタ支局長などを歴任。94年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。人権と報道・連絡会世話人。主な著書は『「犯罪加害」の現場を歩く』『戦争報道の犯罪』(社会評論社)『メディア「凶乱」』(以上、社会評論社)『天皇の記者たち』(スリーエーネットワーク)『抗う勇気 ノーム・チョムスキー+浅野健一 対談』(現代人文社)『対論 日本のマスメディアと私たち』(野田正彰氏との共著、晃洋書房)(社会評論社)『裁判員と「犯罪報道の犯罪」』(昭和堂)。
(了)

掲載日:2009年9月29日
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